第232話 尾張国の争い
天文24年(1555年)9月末
残暑も和らぎ過ごしやすくなりつつある京の都。
二条城にいる上杉晴景,上杉景虎の下に一つの報告がもたらされた。
「尾張で家督争いが激化しそうだな」
報告に目を通しながら晴景は呟いていた。
「兄上,どうしました」
「尾張国の織田弾正中家の家督争いが始まるぞ」
「尾張国織田弾正中家と言えば織田信長でしたか」
「そうだ。弟は織田信行。信行が兄信長の直轄領である篠木を横領して砦を築いた。信長も対抗して名塚に砦を築いたようだ」
「そこまで行けば,衝突は避けようも無いですな」
「織田信行は既に織田弾正中家を手に入れたつもりで,自らの書状に弾正中家の名乗りを入れているそうだ」
「それは随分と気の早いことですな」
「さらに織田信行には,伊勢国司である北畠具教が支援に乗り出してきている」
「なれば,織田信長は劣勢で挽回は厳しいです」
「そこで信長は,とんでもない手を打ってきた」
「とんでもない手とは」
晴景は一通の書状を景虎に渡した。
渡された書状に目を通していく景虎。
驚きの表情へと変わる。
「信長は本気ですか,敵といえる我らに支援を求めるとは」
「信長の花押も入った正式な要請だ。信長麾下の織田信房が先ほど書状を届けてきた」
「向こうには斎藤道三もいます。美濃国を失った斎藤道三が反対するはず」
「ところが,その斎藤道三が上杉家の後ろ盾を得るように信長を説得したようだ」
「えっ・・斎藤道三が我らに支援を求めることを考えたのですか」
「さすがは蝮よ。冷静に物事を見ている。北畠具教が織田信行の後ろ盾となれば,まともに戦えば間違いなく負ける。ただでさえ劣勢なのだ。今の信長の手勢は道三の手勢を入れても1000程。それに対して織田信行側は1700程。そこに伊勢国司北畠が加われば圧倒的に不利なのは誰の目にも明らかだ。ならば自分達も誰かの助けを得なければ負けることになる。周囲を見渡すと,我ら上杉と上杉に近い今川しかいない」
「ならば我ら上杉家ですか」
「道三流の面子なんぞ気にせずに実利を求める姿勢は健在だな」
「面子よりも実利ですか」
「面子にこだわり,それが原因で滅んでしまったら何にもならんだろう。生きていてこその面子だ。生きていればどうにでもなる」
「ならば,織田信長の頼みを聞いてやるのですか」
「織田が正式な使者を出してきたのだ。無下には出来んだろう。織田信長が助けを求めてきたことは既に上様にも伝わっている。そこで,美濃から支援を出してやろう」
「よろしいのですか」
「信長がある程度優勢になったところで,上様から和睦の斡旋をしてもらう」
「なるほど,尾張国織田家の争いを利用して上様の権威を上げるのですね」
「そうだ。向こうも我らを利用するのだ。お互い様だ。使えるものは使わねば」
「承知しました。上杉領に戻るときに美濃に立ち寄り差配いたします」
「それでいい。頼むぞ。それから,くれぐれも自ら尾張国に行くなよ」
「・・・分かっております・・」
景虎の返事が少し間が空いた。
「本当か?」
疑わしそうに目を細める晴景。
晴景の言葉に視線を逸らす景虎。
「・・・努力いたします」
これは絶対に尾張に行くつもりだと晴景は思った。
「ハァ〜・・・上杉領内の政に支障が無いようにだけしてくれ」
「それは心得ております」
それだけ言うと景虎はすぐさま美濃国へと出発した。
尾張国末盛城
この頃の末盛城は城というよりも砦に近い作り。
織田信長の弟である織田信行は上機嫌であった。
末盛城の広間で上座に座る織田信行の前には,家老である柴田勝家がいる。
「勝家」
「はっ」
「伊勢国司北畠具教殿からは支援は間違い無く得られるのだな」
「北畠様は3千の兵を出してくれることを確約してくれております」
家老である柴田勝家は自信たっぷりに言葉を返す。
「ならば,収穫が終わったら多めに農民を集めれば5千には届く。あの大うつけの手勢はどんなに集めても2千に届くかどうかだ。これで我らに負けは無い」
織田信行は嬉しそうに笑っている。
「そもそも大うつけでは尾張国を治めることは無理でございます」
「そんなことは当たり前だ。父の葬儀におけるあの振る舞いを見れば分かることだ。あの織田家の恥晒しは,許し難い奴だ。この尾張国は私が治めることこそ相応しいのだ。大うつけなんぞに任せられるか。我らの篠木の砦はどうなっている」
「信長側が我らに対抗するように名塚に砦を築いたようですが,いまだに攻めかかってくる様子はございません」
「攻めかかってくれば,その場で叩き潰してそこで全て決着がついたであろうに,奴らは我らを恐れたか」
「信行様。焦らずとも我らの勝ちは確実。ひとつひとつ潰して押していけば,いずれは降参しましょう」
「ハハハハ・・あの大うつけが降参したら,戦の先鋒としてせいぜい使い潰してやろう。この織田信行のためになるのだ。奴にとって名誉なことであろう」
「さすがは信行様。大うつけにとっても名誉なことでございましょう」
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