第218話 囁く悪意 

初夏の夜の帷が降りると緑の光が乱舞し始めた。

光の明滅は少し早いくらいか。

蛍の雄は飛び回りながら、雌は草の上などで光っている。

子供達は親と共に純真な眼差しで蛍の明滅する光を見つめていた。

その飛び交う光の中を通り、松永久秀はとある寺に入って行く。

寺の僧の案内で部屋に通された。

その部屋には菜種油の灯りが灯されていた。

部屋の障子は開けられ、寺の庭園では蛍が飛んでいる。

松永久秀は座り、蛍の放つ緑の光を見つめていた。

暫くすると一人の男が入って来た。

「久秀殿。どうされた」

「六角様。夜に申し訳ございません」

部屋に入ってきたのは、近江守護六角義賢であった。

ここは、六角氏が京に滞在する時に使う寺であった。

「かまわん。暇を持て余して酒を飲んでいた。ついでだ一杯付き合え」

六角義賢は、家臣に命じて酒を用意させた。

お互いに一口酒を飲む。

「久秀殿。何かあったのか」

「今の幕府をどう思われます」

六角義賢は、酒を飲む手を止める。

「何が言いたい」

「上様は、権威を高め、さらに丹波国、山城国、摂津国を直轄領となされました」

「めでたい事ではないか。上様は、源氏長者になられ武家としての権威を高め、上様が長年夢見た直轄領が手に入った。実にめでたいではないか」

「本当にそうでしょうか」

「違うと言いたいのか」

訝しむように松永久秀を睨む六角義賢。

「全ては上杉晴景殿のお陰、上杉晴景殿の独壇場。源氏長者、右大臣、直轄領。これらに六角様は関わりましたか」

「・・・いや・・・」

「それは、おかしいのでありませんか」

「何がだ」

「細川京兆家は六角様のお身内。細川晴元様が上杉に敗れたとは言え全ての領地を没収。おかしくないですか」

「・・・・・」

「どのような沙汰を下されるか、六角様にも相談があって然るべきかと思います。今まで幕府を将軍家を支えてこられたのは六角様。それにも関わらず、一言も相談無く上様と上杉殿の二人で沙汰を決め。没収した領地の一部を使い源氏長者・右大臣を手に入れる。これでは細川晴元殿も浮かばれません。上杉晴景は次を狙っているのではありませんか」

「次を狙う?何を狙うと言うのだ」

「近江が危ういのではないですか」

「上杉晴景が近江を狙っていると・・・」

「別にそうとは言っていません。しかし、上杉家の勢力は日増しに増大しています。東日本はほぼ上杉家につくもの達で占められています。その力は恐ろしいほどで強大。京の北、丹後一色、若狭武田は上杉晴景に従っています。我が主人、三好長慶様も上杉に取り込まれてしまいました。京周辺で残るは、朝倉様、六角様」

「・・三好長慶が細川晴元殿を嵌めたからではないか」

「これは異なことを言われる。細川晴元殿が討たれ最も困ったのは三好家でございます。三好長慶様は細川晴元様が討たれと聞き驚いておりました。しかも、それを口実に三好家に討伐軍が送られるのでは無いかと心配しておりました」

「ふん・・どこまで本当か」

「三好長慶様は、上杉相手では三好は勝てないとはっきり言われていました。一方的に負けるとまで言われていました。あの強気の三好長慶様がです。その状況で我らが細川晴元様を嵌めるはずがありません。それが証拠にわざわざ大徳寺に出向いて、戦わずして上杉晴景様に従うことを決められました。そんな我らが細川晴元様を嵌める訳がありません」

「な・・ならば、全て上杉と言いたいのか・・・」

「それは分かりません。上杉晴景様に聞いてもまともに答えるはずもございません」

「・・・・・」

「それでは、夜が更けてまいりましたゆえ、これにて失礼」

松永久秀は素早く部屋を出ていく。

寺を出ると松永の嫡男久通と松永の家来達が待っていた。

「父上。六角殿の反応はどうでした」

「半信半疑であろう」

「この様なこと、意味があるのですか」

「人の心は、疑念が生じると容易に打ち消すことは出来ない。少しでも疑念があればその思いは残り続ける。疑念が積み重なり大きくなると、ある日突然噴き出すことになる」

「上手くいくのですか」

「六角は、上杉がただそこにいるだけで圧倒されつつある。本人も薄々分かっているようだ。縁戚である細川京兆家への沙汰に、自分が加えられずに決められた事は面白くなかろう。そして、幕府内での自分の立場と発言力が急速に弱くなっていることは誰よりも分かっている。さらに、上様の上杉晴景に対する信頼は絶大だ。その上杉晴景の立場に自分がなることができなかったことに、悔しくて悔しくて歯軋りする思いであろう。儂は、ただ単にそこに疑念の種をまいてやっただけだ。その種が大きく芽吹くかどうかは本人の責任。だが、本人の思いとは別に負の感情を餌に疑念の種は大きく成長する」

松永久秀は口元に笑いを浮かべていた。

「成程」

「まだまだ乱世を終わらせる訳にはいかん。乱世が終われば、我らの栄達の道が終わるということだ。我らはまだ何も手に入れていない。全てはこれからだ」

松永久秀らは、夜の闇に紛れて行った。

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