第210話 雲散霧消
細川晴元討たれるの報は、すぐさま松永久秀から三好長慶に伝わり、同時に六角義賢と上杉側より将軍足利義藤に伝えられた。
松永久秀は越水城に報告に来ていた。
「そうか。細川晴元は上杉に討たれたか。久秀ご苦労であった」
「はっ。細川晴元は8千で上杉勢に奇襲をかけたそうです。それに対して上杉側はわずか3千の兵だけを動かし、3千で8千の敵を討ち破ったそうです」
三好長慶の僅かながら驚きの表情を浮かべる。
「確か上杉晴景は美濃から1万を率いてきたはず」
「それは間違いございません」
「8千もの敵が奇襲をかけてきて、わずか3千のみの兵を動かして討ち破ったのか。他の兵を動かせない理由でもあったのか」
「他の兵達はいつでも動けるように臨戦体制であったそうですので、動けない理由は特にないかと思われます」
「なるほど、上杉の余裕の現れか。それほどまでに自らの兵に自信を持っている訳か。上杉の被害は殿程度だ」
「死者は数十人程度ようです」
「少ない。少なすぎる。ほぼ被害なしと同じではないか。双方潰しあってくれると考えていたが、まるで意味がないではないか」
細川晴元の軍勢が半壊状態となり逃げ出しているが、上杉側の被害がわずかな事に驚いていた。
「ですが、目障りな細川晴元は消えました」
「確かに目障りな細川晴元を始末できた・・・しかし、不思議なものだ」
「不思議・・ですか?」
「我が父の仇であり、元仕えていた主人でもあった。恨みと怒りを心の奥に封じ込めて仕え、機会があれば自らの手で始末してやるつもりでその機会を窺っていたが、いざ上杉の手で討たれてしまうと一抹の寂しさがある。人の心とは不思議なものだ」
「それはきっと自らの手で敵が討てなかったためではありませんか」
「フッ・・・そうだな。きっと、父の敵を自ら討てなかったことが悲しいのだろう」
三好長慶は自嘲するように笑った。
「これから如何いたしますか」
「いつでも戦える体制をとりながらうまく和睦の道を探る。無駄な戦をしても何の得も無い。上様の動きを探りつつ、多数派工作をしていくとするか」
「朝廷を動かしますか」
「それが最善であろう。それと周辺国衆を取り込むことと、上様周辺の奉公衆の切り崩しだ。久秀。お主は朝廷に働きかけよ。奉公衆や国衆に関しては弟達にさせる」
「はっ、承知しました。では、さっそく」
松永久秀は朝廷工作にため急ぎ京へと戻って行った。
三好長慶は一人きりとなった天守の中、ゆっくりと窓際まで歩いていく。
そこにはよく晴れた青空の下に和泉灘の海(大阪湾)が広がっていた。
和泉灘の海は穏やかな姿を見せている。
風は穏やかで波も静かだ。
海を見ながら昔を思い出していた。
10歳の頃に、誠実なまでに主君に仕える父を主君細川晴元に謀殺され、母と弟達を守りながら、いつ追手に追いつかれ殺されるかもしれない恐怖を覚えた日々。
10歳の身で母と幼い弟達を守らなければならない重圧の中、堺から阿波へと逃げた日々。
屈辱を胸に秘め父を謀殺した細川晴元に仕えることを決めた日。
どんな苦しい日々も時と共に単なる思い出に変わっていく。
そんな中でも三好長慶は、自ら決めて心に秘めていることがある。
二度と大切なものは、奪われることはさせない。
いかなることがあっても守ってみせる。
和泉灘を見つめながら再び自らに言い聞かせるのであった。
将軍足利義藤は、細川晴元が討たれるの報を聞き複雑な気持ちであった。
細川晴元が上杉に討たれてホッとした気持ち。
同時に後ろ盾の一人が消えたことの詫びしさ。
細川晴元は、将軍の管領としての役割をしっかり果たしたかと思えば、急に敵に回り将軍に牙を剥く。
そうかと思えば急に味方に変わりながらも、将軍の後釜として
「義賢。細川晴元はお主の縁者であったな」
「此度のことは、仕方なきことかと・・・事の真偽をよく確かめずに一方的に目の敵にして襲い掛かったのです。上杉殿は降りかかる火の粉を払ったまで、上杉殿に非は無いことと思います」
「そうか。分かった。ならば良い。晴元の妻子は義賢に預ける」
「はっ、承知いたいました」
「しかし、晴元のことは誰かが嵌めたということであろう」
「おそらく間違いないかと」
「三好か」
「残念ながら何も証拠はございません。証拠もない以上こちらから三好を非難することは難しいかと思われます」
「まあ、そうであろうな」
将軍足利義藤は今後の展望を考えていた。
細川晴元が討たれたことは、こちらに有利に働くことになるかも知れんと考えていた。
いつ牙を剥くかわからない晴元よりも、上杉が近くにいてくれる方が信用できる。
そして、細川晴元よりも強大な力を持っているにもかかわらず地位や名誉に執着していない。
六角義賢には悪いが、権力欲の塊のような晴元をあっさり排除でき、むしろ良かったかも知れないと考え始めていた。
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