第147話 流浪する人々

天文18年12月(1549年)

相模国小田原城

北条氏康は苦渋の表情を浮かべていた。

氏康は、叔父北条幻庵と共に、家老の一人にあたる松田盛秀から武蔵国における惨状を聞いていた。

「武蔵国の多くの名主たちが農民のことを顧みずに年貢を集めているのか」

「ハッ、4月の地震の影響で多くの領民や農民が生活に苦しむ状況でありながら、各名主たちは通常のままで年貢を集めております。それだけでは無く多くの賦役を課し、いろいろな名目で賦税も課しているため村の崩壊が始まっております」

「村の崩壊だと、なぜだ」

北条氏康は驚きの声をあげる。

「大地震の影響を受け収穫量が激減、それにもかかわらず各名主たちは一切考慮しないため、年貢や賦役・賦税の負担が重く、武蔵国の領内において生きていくことができないと村を捨て、田畑を捨てる者が後を絶ちません。特に、武蔵国南部に荒廃した田畑がどんどん増えている状況となっております」

「武蔵国南部だと・・武蔵国北部は違うのか」

「武蔵国北部は上野国衆がかなり援助しているようです」

「上野国衆だと・・なぜだ」

「上野国衆と武蔵国衆は縁戚関係が多いためかと思われます」

「たとえ縁戚関係とはいえ、限度があるだろう」

「どうやら上野国衆の背後には上杉景虎殿の意向があるようです」

「上杉景虎だと」

「越後上杉家が直接武蔵国の領民や農民に支援をすれば、我ら北条家にいらぬ誤解を与え騒動になると考え、縁戚関係にある国衆を通じて支援をしているようです。伝のある上野国衆に話を聞くと、上杉景虎殿は武蔵国から棄民が大量に上野国に流入することは、武蔵国だけでは無く上野国の情勢不安にも繋がる恐れがあるため、大量の棄民の流入はできるだけ避けたいと考えているようです。だからと言って、国境いを閉じるわけにはいかないため、上野国衆を通うじての支援となった様です」

「武蔵国北部は安定しているのだな」

「武蔵国南部からの棄民が流入しているためえ、安定とまではいきませんが、あくまでも南部に比べれば安定しているといえます」

「北条家としても至急動かねばならん。我らの領内のことだ。人任せでは、領民の信頼を失ってしまう。いつまでも上野国の支援に頼る訳にはいかん。その支援が上杉景虎の指示であることくらい皆分かるであろう。いつまでもそのままにしていると、上杉景虎の名声のみが上がり、我ら北条の威信が地に落ちることになる」

「では如何にいたします」

「武蔵国の領内の安定を最優先にしなければならん。食うに困っているものには、備蓄米を放出せよ。さらに、年貢、賦役、賦税に関して抜本的な見直しをこなう」

「どの様に見直しをいたしますか」

「年貢の負担割合の低減化。賦役は無駄なものは全て廃止。賦税の種々雑多なものは整理統合して率を下げよ」

「ハッ、承知しました」

「さらに、名主たちの横暴を抑えるために領民や農民からの直訴を認める」

「直訴をですか」

「そうだ。我らの目が領内隅々まで行き届く訳ではない。見落としなどもあろう。この小田原のお膝元であれば直ぐに分かるが、他ではわからぬことが多い。我らの目が届かぬと言って横暴を働くことがない様にさせることが目的だ」

「なるほど、直ちに準備させましょう。できるところから直ちに取り掛かります」

「頼むぞ」

松田盛秀が部屋を出ていった。

「氏康殿」

北条幻庵が、声をかける。

「叔父上、何か足りぬことがありました」

「いや、十分な政策であろう。それどころかなかなか抜け目ないと思ってな」

「抜け目ないとは」

「直訴の件だ。我ら北条家に領民や農民が直訴できる権利を与えると言うことは、領民や農民を直接支配するものたちの力を削ぎ、我らの支配力を強めることに繋がる。我らに黙って税や年貢を増やして私腹を肥やすものたちにとっては恐ろしいことになるであろう」



上野国平井城

「朝信、武蔵国からの棄民の流入具合はどうなっている」

「景虎様。まだまだ続いておりますが、やっと北条側がことの重大性に気づいた様です。備蓄米の放出と年貢・賦役・賦税の抜本的な見直しに取り組み、早期に武蔵国内安定を図ることに取り組む様です」

「ようやくか、遅いな。兄上なら地震が起きたらすぐさま手を打つでだろう。北条の打つ手が遅いのが問題だ」

「ですがようやく北条が動き出したのです。これで良しとしましょう」

「それで、上野国に流入した棄民の扱いはどうなっている」

「新田開発と利根川河川改修工事に振り向けております」

「厩橋城の普請にはいいのか」

「厩橋城の普請は仕上げに入っております。土木工事的な部分は終わっております」

「そうか。棄民流入による上野国内での治安の悪化は無いか」

「できるだけ棄民には何らかの仕事をさせることで、どうにか国内の治安を維持しております」

「わかった。ならば、引き続き武蔵国からの棄民はそのようにしてくれ。関東の周辺の動きはどうだ」

「今の時点では、動きは見られません。上総のあたりでは武蔵国に近いですので地震の影響があるようで、ジッと大人しくして領内の掌握に努めている様です」

「今の関東では、上総の武田が油断できん存在だ。動静を注視しておく必要がある」

「承知しました」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る