第124話 河越城籠城戦

天文14年9月末(1545年)

武蔵国河越城(現在の埼玉県川越市)

河越城は武蔵国の要衝であり、北条家が扇谷上杉家から奪い取り支配していた。

「綱成様、この河越城は上杉勢に完全に包囲されております」

河越城を守る北条の武将は、北条綱成。北条五色備と呼ばれる軍勢の一つ黄備えを率いていた。

綱成は地黄八幡じきはちまんとかかれた旗指物を使っていた。

「物見の報告によれば、敵の総勢は8万以上。南西側の柏原と西側の上戸には関東管領山内上杉家の軍勢、南側の砂久保には扇谷上杉家の軍勢、東側には古河公方足利晴氏様の軍勢、北側には太田資正殿の軍勢。関東諸将の軍勢は城の北東側、越後上杉家の軍勢は北西側3里ほど先に、いずれも1里から3里ほどの距離に陣を構えております」

「すっかり囲まれておるな」

河越城の守りは三千人。事前に北条氏康からの指示で長期籠城戦に備えて半年以上の兵糧を運び込み、できる限り城の備えを厚くするように改築もしていた。

長期籠城戦で敵方の油断を誘う策と聞いていた。

綱成は北条氏康とは同年齢であり、義弟でもあり、戦いでは常に先頭に立って戦う北条家随一の猛将でもあった。

河越城は天守のない城であり、綱成は最も高い三層式の富士見櫓の上で周囲を見渡していた。

河越城を取り巻くように敵方の旗や馬印が見えている。

「ハハハ・・・こいつは壮観だな」

「殿、笑い事ではありません」

綱成の家臣たちの表情は緊張感に溢れていた。

「お前たち、我らはたった三千。たった三千のちっぽけな我らにわざわざ8万もの大軍を用意してくれたんだ。十分にもてなしてやらんでどうする」

「で・・ですが・・・」

「お前たちは戦う前から負けるつもりか。この地黄八幡を掲げる北条綱成は負けてやるつもりは一切無いぞ」

綱成は八幡菩薩を信仰しており、旗に書かれた地黄八幡は八幡菩薩の直下という意味もあるらしい。

「8万もの敵に勝つと言われるのですか」

家臣の言葉に不適な笑みを浮かべる。

「あたりまえだ。負けるつもりで戦う奴があるか。皆のものよく聞け」

綱成は全ての家臣に聞こえるように声を上げる。

「ここで負けてしまえば大軍に挑んだ愚か者として永遠に語られるであろう。だが、我らが8万の敵を三千で押し返したら我らは末代まで名を残すであろう。もはや引き返す道は無い。我らにあるのは、8万の敵に討ち勝って名を残す道のみ。お前たちの命をこの北条綱成に預けよ、そして末代まで語られる生き様を儂と共に残そうではないか」

河越城の彼方此方から鬨の声が上がる。



越後上杉陣営

上杉景虎を大将として総勢8千の軍勢。

甲斐国からは真田幸綱が千名。

信濃国からは佐久城代甘粕泰重と嫡男の甘粕景持らが千名を率いている。

越後国からは宇佐美定満、柿崎景家、鬼小島弥太郎らが6千の軍勢を率いていた。

景虎は、兄である晴景の指示の通り河越城からやや離れた位置に陣を置いていた。

他の軍勢は河越城からは1里から2里程度の距離に陣を置いている。

それに対して越後上杉勢は3里ほど距離があった。

周囲に柵をめぐらし、八千もの軍勢を収容できる砦が作られていく。

景虎は、越後上杉勢の主だった者たちを集めて軍議を開いていた。

「景虎様、戦はすぐに終わると噂されておりますが、我ら越後上杉勢のあり方はまるで逆。長期戦を想定しているようですですが」

「真田幸綱殿と甘粕泰重殿、景持殿にはまだ話してなかったな。これからその件について話そう。越後からの者たちには越後を立つ時に話しておいた事だ。これから話ことは口外せぬようにして欲しい」

越後上杉家の諸将は無言で頷く。

「兄上晴景様はこの戦は半年以上かかる長期戦になるであろうと言っておられる」

「半年以上ですか」

「そうだ。北条側は徹底的に戦を引き伸ばしにかかる。上杉方の軍勢が長期戦で軍規が緩み、油断し切るまで徹底的に負けたふり死んだふりをするであろう」

「我らが油断しきったところを一気に攻め寄せ、大将首を狙うと」

「その通りだ」

「このことは公方様や関東管領様には」

「兄上は言うなと言われた。8万もの大軍に酔いしれているであろうから、言ったところで笑われて終わりだと言っておられた。儂もそう思う。ご挨拶に伺ったら軍勢の数の多さを盛んに自慢しておられた」

「それならば、言ったところで聞いてもらえませんな」

「北条側も長期戦を密かに準備していたようだ。軒猿衆の調べではかなり早い段階から河越城に兵糧を密かに運び込み始め、既に半年以上の兵糧を備蓄しているそうだ」

「半年分ですか、尋常な量ではありませぬ。通常の備蓄をはるかに越える量です」

「既に北条の策は始まっている。盛んに許しを願う書状や公方様の配下として働くなど言っているが何一つ具体的に動かぬ、書状を送るだけだ」

「ならば、我ら如何に動きますか」

「それに関してはこの景虎に一任されている。味方の軍規が緩み、油断が蔓延するときに北条は動くであろう。それまでは我らもわざとその動きにのっておく」

「油断したふりをするのですね」

「そうだ。そのために兄上は他の軍勢よりも離れた場所に陣を置けと言ったのだ。我らの動きを知られないために」

「我ら越後上杉勢と北条勢の騙し合いということですな」

「騙されたふりをして敵の動きに備えねばならんぞ」

「我らを騙すなど百年早いと教えてやりましょう」

「そのためにさらに後方にもう一つ陣を作っている。そこでは軍勢が緩むことが無いように軍勢の訓練を行う。ここでは北条を騙すための動きをする。皆、抜かりなく頼むぞ」

「承知いたしました」

越後上杉の諸将は皆景虎の指示で動き出していた。

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