第113話 呪われた土地(壱)

上杉晴景は,織田信秀との戦いを終え甲斐国を視察して帰ることにした。

駿河から甲斐への街道をゆっくりと進む。

甲斐国に入り甲府が近づいてくると異様に腹が膨れ,苦しそうにしながら農作業をする農民を数人見かけた。

「信繁殿。時折腹が異常に膨れた農民を見かけるがあれは一体なんだ」

「あれは,この地域特有の奇病にございます」

「奇病?」

「はい,釜無川周辺から甲府一帯の農民に多く見れれる奇病で,治療法もわからず,腹が大きく膨れたらもはや助からないのです。人によっては激しく痙攣を起こすものもおります」

なんだろう。何か記憶に引っかかるものを感じる。

「甲斐国甲府における地域特有の謎の病・・・腹膨れる・・・膨れたら助からない・・・」

上杉晴景は何かを思い出すかのように考え込み呟く。

朧げながら思い出してきた。

病名は忘れたが確か寄生虫だ。貝の名前も忘れたが小さな巻貝を媒介にして増える寄生虫だ。

目に見えないほど小さく,手でも掴めないほど小さな寄生虫の幼体が水中にいて,水に肌を晒すとその肌から体内に侵入して,人の血液を餌に大量繁殖を始めて死にいたる。

「晴景様,甲府周辺以外からこの地の農村に嫁にくるもの達は,死を覚悟するとも言われております。人によっては呪われているとも陰口を言うものもおります」

この時代の医学や化学では,原因を突き止めることは出来ないだろう。

数百年後になってから,一人の日本人医学者の献身的研究で原因がわかり根絶された病だ。

どう説明したらいいのか,目に見えない虫と言っても信用しないし理解できないだろう。

ならばいっそのこと単に巻貝が原因の病と言った方が良いかもしれん。

「晴景様,どうされました」

「・・・・・」

「晴景様」

「すまん。少し考え込んでいた。信繁殿,もしこの病を治すことは出来ないが,根絶することができるかもしれないとしたらどうする」

「根絶できるのですか」

「今の医術では発症したら治すことはできん。だが,病の発症を減らし,最終的に根絶することができる可能性がある。だが,10年,20年,30年とかかる。もしかしたそれ以上の年月がかかるかもしれん」

「ですが,根絶することは可能なんですね」

「・・・可能性があるとしか言えん」

写真のない時代に特定の巻貝だけを選別して処分するには無理がある。全ての巻貝を根絶するしかない。だが,それを行うと生態系を完全に破壊するかもしれない。

別の問題を引き起こすかもしれない。

「晴景様,お願いでございます。多くの領民がこの奇病で苦しんでおります。治せなくとも将来この病を根絶できるのでしたらその策を教えてください」

信繁が突如土下座を始めた。

「信繁殿,上手くいかないかもしれん。無駄に終わるかもしれんぞ。それでもいいのか」

「今のままでは,呪われているなどと陰口を叩かれ皆死んでいくのです。可能性があるなら皆その可能性に賭けると思います。この信繁が皆を説得いたします。どうか教えてください」

「わかった。それでは,話そう。この病はこの甲斐国内の巻貝が病で汚染され,巻貝から人に病が移り死に至るのだ。川や田の用水,水田の水のある所に巻貝が潜み,川や水田の水から人の素肌を経由して巻貝から病が移るのだ」

「巻貝でございますか」

「そうだ。対策として川や水田の水に素肌をさらさない。足袋や手袋をして川や水田の水に直接触れない。さらに,全ての巻貝を根絶しなくてはならん。定期的に領民達と協力して巻貝を集め油をかけて完全に燃やし尽くして灰にしてしまう。川や用水を混凝土で完全に覆って巻貝が繁殖できないようにする。さらに,水田での感染と水田での巻貝の繁殖を無くすために,水田をすべて無くし畑で米を作る陸稲や芋・麦などに作物を変えて行くことが必要だ。そして湿地帯は完全に埋めてしまうことも必要だ」

「それを実行すれば,奇病をなくせるのですね」

「可能ではあるが,とんでもなく時間がかかるぞ。そして領民も簡単には動かんぞ」

「晴景様は信濃川の河川改修に長い時間をかけておられます。これも同じことです。何年かかってもやらねばならぬなら,やり通すまで」

信繁の目には,強い意志が宿っているように見える。

「そうか,わかった。信繁殿に任せよう。必要な銭や人員・混凝土の材料などを用意しよう。領民達と話し合い,計画をたて実行していかねば病の根絶はできないぞ」

「わかっております。これも戦の一つ。ならばこれから始まる長い戦に勝って勝戦といたしましょう」

「長い戦の始まりか!信繁殿,お主なら打ち勝てるだろう」

甲斐国内で普通の戦とは違った新たな戦が始まった。

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