第112話 小豆坂の戦い【決着】
織田信秀は,越後上杉勢の鉄砲隊の前に数多くの屍を晒していた。
楽勝のはずの戦いが,今川に変わり越後上杉が前面に出て来てから戦の流れが変わった。
越後上杉の鉄砲隊の前に,自慢の槍が全く意味を為さなかった。
まるで悪夢のような戦況だ。
織田勢は,越後上杉勢に近づくことすらできない。
近づけば鉄砲の餌食となり屍を晒すことになる。
鉄砲を休み無く撃ち続けているにも関わらず,鉄砲の火薬が切れる素振りすら見えない。
「あれだけ鉄砲を撃ち続けていながら,鉄砲が撃ち止む素振りすら見えん。なぜだ!」
「兄上,火薬は高価な物。あれだけの数の鉄砲であればいずれ火薬が尽きるはず」
越後上杉勢は,徐々に織田勢に向かい接近しながら鉄砲を撃ち続けている。
「クッ・・・撤・・撤退だ」
「兄上」
「信康。言うな,これ以上は無理だ。安祥城に引き上げ,一旦仕切り直しだ」
「一大事にございます」
織田信秀の下に駆け寄る織田の家臣。
「松平広忠に安祥城が奪われ,織田信広様が生捕りにされました」
「な・・なんだと・・・不味い,このままでは挟み撃ちにされてしまうぞ。引き上げだ。尾張まで撤退するぞ」
「兄上,信広殿はどうする」
「信広が生捕りにされたと言うことは殺すつもりはないだろう。交渉の余地があると言うことだ。急げ,撤退だ。急げ」
織田信秀は,兵をまとめ素早く撤退して行く。
越後上杉勢は追撃をかける事はせずに,撤退していく織田勢を見送った。
松平広忠が安祥城を奪還し,織田信広を生捕りにしたことで,この戦いは松平と今川の勝利となった。
織田信秀が去った戦場にいた上杉晴景のところに,今川義元がやってきた。
戦が終わった直後のため,血の匂いと火薬の匂いが濃く漂っている。
「晴景殿。貴殿のお陰で今川の多くの兵が救われ,此度の戦で形の上では勝利となった」
今川義元は頭を深々と下げた。
「松平広忠殿の活躍のお陰でしょう」
「クククク・・・それはお主がそのようにしたのであろう。お主と話した後から広忠の顔つきが変わった。いつもオドオドして人の顔色を窺うような男が,目に力が宿りいっぱしの武人の顔になりおった。あれはまさに一軍の将たる顔だ」
「フフフフ・・・儂は腑抜けた男に喝を入れてやっただけだ。後は奴の覚悟の深さよ。元々奴に将たる器があっただけだ。寝ていた将たる器がやっと目覚めたのさ」
「やれやれ,うまい具合にちょうど良い駒が手に入るかと思ったら,お主のお陰で大化けして猫が虎になってしまった。怖い怖い隣人が誕生してしまったかもしれんな」
苦笑いを浮かべながら戦場跡を見つめる義元。
「頼れる同盟相手にすればいいじゃないか」
「確かにそうだな,ならば奴はどの程度の器か見定めてやるか」
「織田と戦う上で松平は必要だ。奴が武人としての才を見せたのだ。この先頼れる相手になるはずだ。それと,織田信広はどうする」
「捕らえたのは,広忠だ。奴が織田に何を要求するのか,それ次第だろう」
「それもそうだな。そこは相談に乗ってやってくれ」
「わかった。流石に広忠は織田との交渉まではできないだろうから,雪斎に命じてそこはしっかり手を貸してやるさ」
「その代わりに,お主が前々から言っていた鉄砲を安く融通してやろう。後日家臣を送るから相談してくれ」
今川義元は,笑みを浮かべ
「鉄砲を割安で入手できることが此度の最大の成果と言うことだな。いよいよ我ら今川も鉄砲を本格的に揃え,戦に使えるようになる日が近いか」
今川義元は,一足先に駿河に帰っていった。
三河国岡崎城
松平広忠は安祥城の備えを固めた後,岡崎城に戻っていた。
上杉晴景殿に言われた通り,無我夢中で安祥城に向かうと城門を守る織田の兵が倒れており,城門が開いたままになっていた。
間違いなく上杉殿の仕業に違いない。
だが勝てたのは奇跡としか思えなかった。
色々考え事をしていたらいきなり上杉晴景殿が現れた。
「よう,広忠殿。見事な勝利だったな」
「晴景殿。ありがとうございます。お陰で勝ことができました」
「お主に将たる器があったから勝てたのだ。どんなにお膳立てしてもダメなやつは勝てない」
「将たる器ですか」
「そうだ。お主は一軍の将としてその力を天下に示した。誇っていいと思うぞ」
「誇って良いのですか」
「ああ,誇っていいし,自慢していいと思うぞ」
「は・・はい」
「織田信広の扱いは,義元殿と相談して決めろ。義元殿には言ってある」
「はい」
「儂から戦勝祝いがある。受け取ってくれ」
越後上杉家の家臣達が次々に木箱を運び込んでくる。
「この中身は一体・・・」
「開けてみろ」
松平広忠が木箱の蓋を開ける。
中にはギッシリと永楽銭が詰まっていた。
「越後上杉領内で使っている天下泰平小判を持って来ようと考えたが,三河では使えんから永楽銭にした。全部で2万貫文ある。贅沢には使うなよ。領内の整備に使え。それと少しは家臣達に美味い酒でも振る舞ってやれ,それだけでも皆喜ぶものだ」
「こんなに・・・」
「あと,領地整備を学びたければいつでも来い。歓迎するぞ。また会おう」
それだけ言うと足速に去って行った。
「フフフフ・・嵐のような方だ。儂の意見なんぞ聞かず言いたいことだけ言って去って行った。この恩は,いつの日にか返さねばならんな」
松平広忠は,遠ざかる上杉晴景の後ろ姿をいつまでも見つめていた。
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