第108話 甲斐の新たな歩み

天文10年10月上旬(1541年)

越後上杉領内

竹田信繁と名を変え上杉晴景に仕えることになった武田信繁は、1年ほど前から1年間の期間限定で越後に来ていた。越後上杉流の軍事・政策を学ぶためだ。

最初の三ヶ月は虎豹騎軍の軍事訓練に参加していた。

四ヶ月目からは各行政や軍略について学んでおり、今日は直江実綱殿の案内で信濃川分水路の工事現場を見に来ていた。

「直江殿。ここが信濃川の分水路ですか」

この時代の土木工事現場では、見たこともないほどの多くの人々が土木工事作業をしている。

数えきれないほどの数多くの男達が鋤や鍬で地面を掘り斜面を削る。

藤のつるで編まれたモッコや背負子に土や石を入れ運ぶ男たち。

少し大きな岩は木ソリで運んでいる。

運べないほど大きな岩は少量の火薬で砕いて運んでいるそうだ。

既に掘り終えた場所の斜面を見ると数多くの板が設置されている。板と斜面の間に混凝土コンクリートと呼ばれるドロドロした液状のものが流し込まれていく。

あんなドロドロしたものが、時間が経つと石や岩の様な硬さになるとは、いまだに信じられない。

「この分水路は、大永7年から工事を始めて約14年ほど経過した」

「えっ・・・工事を始めて14年ですか」

「そうだ。現在出来上がったのは予定の6割ほどか。完成までにおそらくあと5〜6年ほどかかるかと思う。信濃川の土手の工事の完成に約13年かかった」

「なぜ、そこまで時間のかかる事をするのですか。国主といえどもそこまでやる必要がありますか」

「晴景様は、誰よりも家臣と領民のことを考えている。信濃川の改修工事、信濃川の分水路、全ての領内における新田開発。全て晴景様からの指示で始まった」

「ですが、莫大な費用がかかります。いくら豊富な金銀があるとはいえ無茶ではありませんか」

「そうだな、家臣は皆無茶だと言った。だが、晴景様は将来のためにやらねばならんと言って皆を押し切った。そして、佐渡で得られる豊富な金銀を惜しげもなく工事に使用した。晴景様の生活は実に質素だ。普通なら大量の金銀を得れば、贅沢三昧や傲慢になったり、数多くの側室を持ったりするだろう。だが、側室は持とうとせず、正室の志乃様お一人。お子が無いから志乃様も側室をと言ったがそれを断り、末弟の虎千代様に跡目を譲るおつもりだ。贅沢することも無く越後府中にいる時は、朝は剣術の稽古をされ、その後政務をされることの繰り返し。虎千代様と囲碁や将棋をするのが楽しみの様だ」

「まるで修行僧の様ですね」

「そして、長雨や洪水の時に晴景様の正しさが証明された。多くの人々が助かり、そして多くの田畑が洪水の災害から守られ、飢えずに済んだ」

「多くの食糧備蓄をされていたと聞きました」

「あれだけの食糧備蓄。普通は誰もやろうとも思わん。だが、結果として多くの命が救われた」

「飢饉の影響を受けなかったのは越後上杉家の領内だけと聞きました」

「京の都では数万の人が餓死したそうだ」

「上に立つものが違うとそこまで違うのですか」

「信濃川の河川改修が終わり、この分水路が完成したら越後は日本一の穀倉地帯となるだろう。そして、飢えを恐れることがなくなるのだ」

「夢のような話ですね」

「夢では無い。そんな時代がもうすぐやって来る」

「飢えを恐れない時代・・・」



甲斐国

真田幸綱は甲斐国内の安定を最優先に動いていた。

そして、越後から甲斐に戻ってきた竹田信繁は真田幸綱を補佐する事になった。

現在の甲斐は、飢饉や河川氾濫に伴う影響が抜けきれていない状態であり、新田開発と河川の安定が急務であった。

越後上杉家の他の領内から食糧支援を受けながら、新田開発と河川改修に着手することにした。

甲斐国で問題なのが釜無川である。

幾度となく氾濫を起こして大洪水を引き起こしてきた。

「やっと、釜無川の河川改修に入れるな」

「幸綱様、いよいよ甲斐の領民たちが待ち望んでいた釜無川の河川改修ですな」

「信繁殿、釜無川の河川改修が終われば甲斐国内は安定することになる」

竹田信繁として上杉晴景に仕えることになった武田信繁は、1年近く越後府中にて河川改修や新田開発の様子を見てきていた。そして、越後上杉家の土木技術の高さに驚いていた。

「そうですな。しかし、あの混凝土コンクリートと呼ばれているものを見た時には驚きました」

「最初は儂も驚いた。あんなドロドロしたものが時と共に固まり、石や岩のように固くなるとは今でも信じられん」

「混凝土を河川改修や築城に使うことで、河川の土手の強度を保ち増水にも耐え。築城においては築城の時間短縮にも貢献しております。越後上杉領以外ではあり得ないことです」

越後上杉家からは、多くの人材が来て河川改修・新田開発・農業指導を行っていた。

これら技術支援で信濃・越中・庄内も作物の生産量が大きく増え、皆豊かになっていた。

甲斐における河川改修は始まったばかりだが、新しい作物などの農業指導による収穫量の増加は既に出始めていた。

竹田信繁は、新しい時代が始まったことを実感していた。

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