第97話 飢饉の裏

天文9年5月上旬(1540年)

甲斐国北巨摩郡に越後上杉家の軍勢が砦を築いているとの報告が武田晴信の下に届いた。

「どうなっているのだ」

「さらに砦の建築に武川衆、津金衆が協力しております」

山本勘助の言葉に武田晴信は驚きの表情をする。

「武川衆と津金衆が寝返ったと言うのか」

「状況からして間違い無いかと」

「なぜだ・・・」

「どうやら、飢饉が影響しているようです」

「食料か」

晴信の言葉に山本勘助は頷く。

「越後上杉家から武川衆、津金衆に食糧支援が行われているようです」

武田晴信は、武川衆・津金衆からの年貢免除と食糧支援を求められたが、年貢を免除するにとどめた。武川衆・津金衆だけでは無い。全ての国衆から同じ要望が出ていた。

全ての国衆を支援するだけの食糧の備蓄が無い為、武田晴信は全ての国衆に対して年貢免除にとどめていた。

しかし、食糧事情が逼迫しているのは事実である。

全国的な飢饉のため、食糧の余裕にあるところは無い。売ってくれる所が無いのだ。

唯一の例外が越後上杉家である。

数年前から異常なほど食糧増産と食糧備蓄に力を入れていた。

噂では、少なくみても1年は全ての領民を食べさせることができる程の備蓄があると聞く。

さらに、長雨や洪水の影響が驚くほど少ないらしい。

河川改修にも異常なほど力を入れていたと聞く。

「不味いな。武川衆、津金衆が越後上杉の配下となり食糧支援を受けていると知られれば、他の国衆も次々と越後上杉に降ることになる。隠すことは難しいか・・・」

「北巨摩郡内で越後上杉の赤備の兵が堂々と出歩き、砦を武川衆と津金衆と協力して作っている以上、隠し様がありません」

武田晴信は、目を瞑りしばらく考え込んでいた。

「晴信様。ならば、飢えた領民を使い戦を仕掛けては如何ですか」

「戦で口減らしか・・・・」

山本勘助が不敵な笑みを浮かべる。

「飢えた領民が減れば必要な食糧が減ることになります。戦を仕掛ければ国衆や領民の矛先を躱せることにもなります。ただし、領内が荒れてしまい、復興に時間がかかってしまうことが難点ですが、領民なんぞ後から年貢を低くすると触れを出せば、他国からいくらでも集まりましょう。問題ありますまい。ならば飢えた領民や国衆達に、武川衆・津金衆は自分達だけいい思いをしている。奴らの溜め込んだ食糧を奪えとけしかければよろしいかと」

「フフフフ・・・そうだな。我らが生き残るには、もはやそれしかあるまい。飢えた足軽共なら容易く我らの思惑通り動いてくれるだろう」

「承知いたしました」



甲斐国北巨摩郡越後上杉家砦

武川衆の青木信種と津金衆の津金胤時は周辺国衆を伴い砦にやってきた。

獅子吼城の今井信元は驚きの声をあげる。

「話には聞いていたが、本当に越後上杉が北巨摩郡内に砦を築いている」

「今井殿、我らから戦わない限り、越後上杉家から襲われることは無い。心配無用だ」

「青木殿、しかし・・・」

「皆の衆、心配はいらん。こっちに来てくれ」

津金胤時はそう言うと、砦の中に入っていく。

戸惑っていると青木信元が中に入るように促す。

やむなく中に入ると、一人の男が待っていた。

「ようこそおいで下された。越後上杉家家臣村上義清と申します」

「今井信元と申す。これは一体・・・」

「今井殿、そして甲斐の国衆の方々、まずは昼飯を食べてから話をしよう」

村上義清の指示が出るとすぐさま各自の前に昼飯が用意された。

出来立ての白米のおむすび2個と漬物、猪肉が入った味噌汁が出てきた。

おむすびと味噌汁からは湯気が立ち上る。

「さあ、食べてくだされ。毒は入っておらんから心配無用ですぞ。お代わりがいるなら言ってくだされ」

村上、青木、津金の三人は昼飯を食べ始める。お椀の味噌汁を美味そうに啜る音が聞こえる。

唾を飲み込む国衆達。

皆、最近はまともな食事をとっていない。

1日1食だったり、粥にして量を増やすような食事ばかりであった。

一人がおにぎりを口にする。

「美味い・・・」

その言葉を聞いた瞬間、皆一斉に食べ始めた。

そして皆が猪肉の味噌汁をお代わりしていた。


食事を終えたもの達は皆満足そうな表情をしていた。

「さて、昼飯も食べたことだ。これからの話をしたい」

村上義清は甲斐の国衆を見渡しながら話を始める。

「もう分かっていると思うが、青木殿の武川衆と津金殿の津金衆は上杉晴景様に忠節を誓う道を選んだ」

「なぜだ」

「今井殿、乱世に生きる残るためだ。理解してくれ」

津金胤時の言葉に渋い表情をする今井信元。

「さて、甲斐国衆には二つの未来を選べる権利がある。一つは儂や青木殿、津金殿の様に上杉晴景様に忠節を誓い家臣となり食糧や領地開発の援助を受ける道。二つ目は今まで通り武田晴信殿に従う道。こちらは食糧援助は望み薄だな。それどころかワザと我ら上杉家との戦を起こして、口減らしのために飢えた領民や国衆を戦に追い込み始末するつもりのようだ」

「な・・なんだと・・・そんな馬鹿な」

甲斐国衆たちは驚愕のあまり呆然とした。

「本当のようだぞ。戦を起こして飢えた領民が減れば、その分食糧を考えなくいいと考えているようだ。武田晴信殿は密かに戦の準備を始めているぞ。特に飢饉で不満の高い者たちにここを狙えば食糧が手に入ると吹き込んでいる。烏合の衆がいくら来ようがしかばねの山を築くだけにもかかわらずだ。それを分かっていながら領民を唆している」

「い・・いくらなんでも・・・」

「戻って調べてみるがいい。嘘でないと分かるはずだ。以前、上杉晴景様が言っていた。武田晴信殿は乱世に染まりすぎていると!まさに、乱世そのものの悪辣な考えだ」

飢饉で飢えた領民と国衆を戦を起こして始末するらしいと言われ驚く一同。

「今ここでどうするかは決められないだろう。戻って情報を集めてみるがいい。我らと組むなら戦が始まるまでに上杉晴景様に忠節を誓うと表明されよ。無ければ敵とみなすまで。上杉家の臣下となれば飢えることは無い」

村上義清の言葉を聞き、急ぎ領地に帰っていく甲斐国衆達であった。

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