第94話 赤い桜の花
天文8年4月初旬(1539年)
越後府中、上杉晴景の屋敷。
屋敷から外を見ると朝から青空が広がり暖かい日差しが降り注いでいる。
河川改修をした川の土手に植えた多くの桜がすくすくと育ち、花を咲かせていた。
山桜や江戸彼岸桜を中心に植えられている土手が薄紅色に見えている。
今日は、河川改修で土手に植えた多くの桜の花が満開になってきたため、ここ数年、毎年皆でやっている桜の花見を行うことにした。
親父殿、志乃、お藤殿、景康、楓、景房、虎千代らと共に屋敷に近い場所の満開の桜の下で花見の準備を始める。
周囲は、多くの家臣達が警戒してくれている。
植えられている桜の木はすくすく育ち、土手にしっかりと根を張ってくれている。
木々に薄紅色の花を咲かせいる。
この時代は、ソメイヨシノはまだ無い。江戸時代に入り品種交配で作られるまでは、山桜と江戸彼岸桜が多く花を咲かせている。
暖かい日差しの中、満開の桜の下に座りお重箱を広げる。
四段の重箱を2つ用意してある。
志乃は嬉しそうにしている。
「晴景様、重箱を重ねる意味をご存知ですか」
「重箱を重ねる意味・・考えたこともなかった」
「フフフ・・・重箱を重ねるのは幸せを重ねると言ってとっても縁起が良いのですよ」
「ホォ〜重箱にそんな意味があるのか」
親父殿は既に酒を飲み始めている。
「晴景、お前も飲め」
親父殿が酒を注いでくる。
「親父殿、飲むのが早いな」
「たまにはお前も酔うほどに酒を飲め、考え事ばかりしていてはいい案も浮かばんだろう」
「やれやれ・・・確かにそうかもしれん」
内政、軍事的備えなどやることは山積状態だ。打つべき手を打ち結果待ちも多い。
家臣たちの意見も聞くが、最後に決断するのは自分だ。
「兄上、この虎千代にも頼ってください。力になります」
おむすびを頬張る虎千代に言われてしまった。
「ハハハ・・・わかった、わかった。今度頼りにさせてもらうよ」
親父殿の注いだ酒を飲み干す。
周りを見ると皆嬉しそうに重箱の料理に箸を伸ばし食べている。
暖かい日差し、満開の桜、心地よい微風。
いつまでもこんな毎日が続いてくれればと思うのであった。
2杯目の酒を飲もうとしたその時、少し離れた場所で爆発が起きた。
あれは火薬の爆発。
「何が起きた。あれは火薬の爆発だぞ」
「直ちに調べます」
その瞬間、鉄砲の銃声が2発響いた。
目の前で弟の景康、景房が血を流して倒れた。
「鉄砲の攻撃だ」
晴景の言葉に周囲の家臣達が一斉に晴景達を守るように人の壁を作った。
まだ二人に意識はある。
景康は右足を、景房は左肩を打たれたようだ。
再び、爆発音がする。
「景康と景房が撃たれた。すぐに手当を、田代殿を呼んでくれ」
晴景は、医師の田代三喜殿を呼ぶように声を上げていた。
上杉晴景の屋敷では、医師田代三喜の指示のもと田代三喜の弟子達が手当てを行っていた。
「田代殿、二人の容体は」
「お二人は今眠っております。お命は大丈夫でございますが、景康様は右足を撃たれており右足が動かぬ可能性があります。景房様は左肩を打たれております。左腕が動かぬ恐れがございます」
「命があっただけよかった」
「ですが、今後武将としてのお働きは難しいかと・・・」
「戦だけが武将の働きでは無い。引き続き治療を頼む」
「承知いたしました」
二人のことは医師達に任せ、広間へと移動した。
直江親綱と軒猿衆上忍3名が待っていた。
「このようなことになり申し訳ございません」
「お前達の責任では無い。油断していた儂の責任だ」
「ですが・・・」
「良いか、同じことを起こさぬことが大切だ。責任を取るなどと言って腹を切るなどとは言うなよ。それは、絶対に認めん」
「承知いたしました」
「長門、敵の足取りは」
「逃げた敵は二名。その内一名と戦いとなり、敵は激しく抵抗したため、捕縛を諦め討ち取りました。残り一名は未だ逃走中にございます。討ち取った敵には身分や証拠となるものは身につけておりませんでした。敵は2発鉄砲を撃ち、その後周囲で複数の焙烙玉を爆発させ、その混乱に乗じて逃げ出しました。軒猿衆総出で追っておりますが、事前にかなり綿密に計画し、逃走路を確保していたらしく逃げた一名は未だ捉え切れておりませぬ。ただ、敵が使用した鉄砲を1挺確保いたしました」
藤林長門が証拠となる鉄砲を1挺出してきた。
通常の鉄砲よりも少し長い作りだ。
「今回は通常の鉄砲では届かぬ距離からの攻撃だ。普通の鉄砲では無い。このような物を用意できるのはどこぞの大名であろう」
「これはおそらく国友で作られた物のようでございます」
「そのようだな。今、鉄砲を作れるのは、我ら越後と近江国友、堺の天王寺屋だ。我らのものと天王寺屋のものともとも違う。そうなれば国友しかあるまい」
「近江国友を調べますか」
「無駄だ。近江国友が喋るわけがない。近江六角氏と揉めることになる」
「我らの
「長門の伝か」
「六角氏配下の甲賀衆にも多くの配下と伝がございます」
「わかった。ならばこの件は長門に任せよう」
「承知いたしました」
天文8年5月中旬
親父殿、直江親子たちと今後のことを話し合っていたところに、藤林長門から報告が上がってきた。
「あの鉄砲は、甲斐武田家家臣を名乗る山本勘助なる人物が近江国友の国友善兵衛に特注して購入したそうでございます」
「武田晴信の手の者か」
「晴景様、甲斐を攻めますか」
「これは、甲斐を攻める大義名分にするには弱い。その鉄砲は盗まれたと言われたらそれまでだ。今はまだ待つしかない」
「ですが、よろしいのですか」
「良くはない。良くはないが時を待たねばならぬ時がある。戦う時が来れば、倍にして返してやろう。次は徹底的に叩く。必ずだ」
「兄上!景康兄、景房兄が怪我を負わされ、そのままにするのですか」
部屋の入り口に虎千代が立っていた。
「虎千代・・・今はできん」
「なぜですか」
「儂は越後、佐渡、越中、信濃、出羽庄内を治める。儂の両肩には、数万の家臣、その数倍の領民の命と生活がかかっている。はっきりとした証拠も無いまま戦いを起こせばそれは私怨による戦い。大義の無い私怨による戦いに数万もの命を危険に晒すわけにはいかん」
「大義ですか・・・家族が大怪我を負わされたのですよ」
「幸い、二人は生きている。この先、不自由な面もあろうが命を拾うことができた。それなのに家臣達に死ねと言うのか」
「それは・・・」
「いいか、戦を起こせば確実に誰かが死ぬのだ。家臣一人一人にも家族がいる。儂らの私怨のために家臣に死ねと言うのか、儂は言えん」
晴景はとても悲しそうな表情をしている。
「兄上・・・」
「儂の家臣達は、儂に命をくれと言われれば喜んで戦いに身を投じるだろう。儂には勿体無い程のそんな家臣達が戦で死ぬなら、故郷を守り、家族を守り、世の安寧のために戦ったという誇りと誉を与えてやりたい。死んだのちもその魂が、胸を張って大義のために戦ったと誇りを持てるようにしてやりたい。だから、私怨や恨みで戦いを起こしてはいかんのだ。領主が私怨や恨みで戦いを起こしてしまったら、その戦で死んだ家臣達が戦ったことを誇りに思うだろうか」
「・・・・・」
「虎千代、儂の跡を継ぐのはお前しかおらん。儂もいつ戦場で屍を晒すかもわからん。儂の後はお前が越後上杉家を率いるのだ。親父殿も、景康、景房も承知している。それゆえ、大義とは、義とは何なのか、お前が掲げ求める義とは何なのかを考えよ」
「・・・兄上・・申し訳ございませんでした・・・虎千代が浅はかでした。ですが今にでも死ぬようなことは言わないでください」
虎千代は涙を浮かべ頭を下げた。
「戦に出ていくさ人と成れば、いつ死んでも後悔せぬ心構えが必要なのだ。心配するな、戦う時が来たら必ず倍にして武田晴信に返しやる。倍返しだ」
晴景は優しい表情で虎千代に話すのだった。
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