第90話 和睦に潜む思惑

駿河国今川館

今川義元は、太原雪斎と甲斐情勢に関して報告を受けていた。

「義元様、武田晴信殿が小山田を討つべく兵をあげたようでございます」

「ホゥ・・勝てるのか?」

「討てなくとも上野国との街道を抑えるつもりのようで」

「越後上杉が黙ってないだろう」

「既に越後上杉の精鋭が佐久と諏訪から合わせて5千が甲斐に入り、武田と睨み合っております。さらに後詰めで続々と諏訪に兵が集結しつつあります。現在の諏訪には、後詰めで既に5千近い兵が集結しているとの事。さらに上杉晴景自身が兵を指揮すべく、1万もの精鋭を率いて間も無く諏訪入りするようです」

「五千の兵がいるところに、上杉晴景が兵を率いて合流となれば、後詰めだけで1万5千を越える兵となる。既に甲斐に入っている兵を合わせれば2万の軍勢となるな」

「越後上杉からすれば、まだかなり余力を残していると思われます。万が一に備え信濃善光寺平にもかなりの兵を用意しているようです」

「いくらなんでも越後上杉の動きが早すぎる。事前に武田の動きを掴んでいたのではないか」

「これだけの早さで用意できるとなれば、その可能性は捨てきれませんな」

「さてさて、困った事になるな。このままだと越後上杉2万が甲斐に雪崩れ込む事になる。そうなると我ら今川の受ける影響は甚大だ」

「和睦を仲介しますか」

「越後上杉勢が甲斐に雪崩れ込む前に決着させたい。雪斎頼めるか」

「承知いたしました」

「もう一つ頼みたい事がある」

「もう一つとは・・・」

「せっかく諏訪まで上杉晴景殿が出てくるなら、上杉晴景殿に会ってみたい」

太原雪斎は少し驚いた表情をする。

「本気でございますか」

「本気だ。わずかな期間で越後、佐渡、信濃、越中、出羽庄内を抑えるほどの人物。この目で見てみたい。どれほどの漢なのか。和睦はそのための挨拶代わりだ」

「承知いたしました。考えようによっては、越後上杉と関係を築く好機ともいえますな。越後上杉との関係がよくなれば、得られる利益は計り知れません。木曽を通じての入ってくる品々は他では手に入らないものばかり」

「そうであろう。越後上杉と良い関係を築くことができたら、甲斐は今のままでも構わんだろう」

「上杉晴景殿との会談も含め至急動くといたします」

「頼むぞ」



武田晴信陣中

関東管領山内上杉家の使者上泉信綱が武田晴信の陣中に訪れていた。

「和睦は飲めん」

武田晴信は、上泉信綱の和睦の仲介を蹴っていた。

「それはあまりに早計ではありませぬか」

「くどい。早々に帰られるが良い」

武田晴信と上泉信綱は一触即発のように睨み合っていた。

「晴信様、今川家太原雪斎殿がお見えです」

「何、雪斎殿が・・・」

武田晴信の言葉を待たずに僧侶姿の太原雪斎が入ってきた。

「晴信殿、失礼する」

「一体何事で・・・」

「そちらの関東管領山内上杉家のご使者と同じ事で参った」

「雪斎殿も和睦せよと言われるか」

「それが武田家のため」

「小山田を討つことこそが武田家のためである」

「小山田を討てば、甲斐武田家は終わりますな、間違いなく」

武田晴信は怒りを露わにする。

「何を持って甲斐武田家が終わると言われるのか」

「諏訪側には、既に越後上杉勢2万を越える大軍が控えております。上杉晴景殿も着陣しておられるようです。上杉晴景殿の下知が下されれば、その2万を越える軍勢が甲斐国になだれ込むでしょう。小山田と事を構え、さらに後ろから精鋭と呼び声高い越後上杉の2万相手に勝てますかな」

「諏訪に2万ですと・・・2万の軍勢をこんな短期間に集められるはずが無い。それは越後上杉が流した嘘の情報であろう」

「本当です。既に、今川家で越後上杉の2万の軍勢が諏訪にいることを確認しております。さらにその後方には、万が一のための支援部隊もいるようです。そうなると2万を遥かにこえる軍勢となりますな。いかに同盟を組んでいても、負けが見える戦に兵は出せません。今川家の家臣を犬死させるわけにはいきませんからな」

軍配を握りしめ、怒りを抑える武田晴信。

「和睦でよろしいですな、晴信殿」

「クッ・・・・・」

「和睦でよろしいですな!」

再度、確認するように強い口調で話す雪斎。

「・・・・好きにされよ・・」

「その言葉、和睦を承知したと受け取りましょう。詳細は、山内上杉のご使者を含め、後ほど詰めるといたしましょう。越後上杉側とはこの雪斎が交渉を行いましょう」

憮然とした表情で武田晴信は立ち上がると、座っていた床几を蹴り飛ばし板垣信方を呼ぶ。

「信方、館に帰る・・・後を頼む・・・」

「承知いたしました」

立ち去る武田晴信を見送った太原雪斎は、和睦の詰めを他の今川家の重臣に任せ、上杉晴景への使者を出し、上杉晴景との会談に入るため諏訪の越後上杉陣中に向かった。



信濃と駿河の国境にある小さな寺。

本堂の中で駿河今川家当主今川義元は一人の人物を待っていた。

「義元様、上杉晴景様がお見えです」

太原雪斎の案内で上杉晴景が入ってきた。

義元は驚いた。上杉晴景が部屋の中に家臣を連れずに入ってきた。

普通なら数名の家臣を連れて入ってくる。

それなのに一人で入ってくるとなどとは。

「上杉晴景である」

上杉晴景の言葉に我に返り慌てて名乗る。

「今川義元でござる」

「まさか、今川義元殿から会談の申し出が来るとは思わなんだ」

「この目で越後をまとめ上げた人物を見てみたいと思いましたゆえ、しかし、いささか不用心では・・・」

「不用心とは・・?」

「このような会談。騙し討ちに備えて、普通ならば家臣の数人を同席させるもの」

「ハハハハ・・・そのことですか、騙し討ちにするくらいなら和睦の仲介なんぞしないでしょう。しかも、今回は頼んでもいないにも関わらず、今川家から和睦をするように武田に働きかけたと聞いています。騙し打ちでは無く、違う思惑があるのではありませぬか、義元殿」

「フフフフ・・・なかなか、食えぬお人ですな」

「褒め言葉として受け取っておきましょう」

「和睦仲介は越後上杉家と良き関係を築くための挨拶のようなもの。儂は越後上杉との関係をより良くしていきたい。具体的には、越後上杉との商いを活発化させたい。越後上杉とは下手に戦なんぞするより、商いで結びつく方がよほど儲かるというものだ」

「なかなかハッキリと言われますな。それは構わぬが、武田や北条はどうされるおつもりで」

「現状のままで良かろうと思う。武田にしても、北条にしてもあまり力を持たれると逆に危険だとみている。力を持てば、いつかこちらに牙を剥いてくるであろう」

「それは、我らも同じでは」

「それは大丈夫かと」

「なぜ」

「信用できる漢だと思ったとしか言いようがない」

「自らの感を信じると言われるか」

「その感が外れるなら、儂はその程度の漢だったということ」

「フフフフ・・・面白い方だ。いいでしょう。今川家との商いを活発化させましょう。お互いに利があるようにしましょう」

「越後上杉流の領地開発も学ばせてもらうたいと思う」

「かまいませんよ。特に隠し立てすることもない。いつでもどうぞ」

この後、越後上杉家と今川家の極秘の取り決めが結ばれることになった。

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