第87話 風林火山‘’弐‘’

天文7年10月末(1538年)

「お待ち下さい。晴信様、この軍勢では危険でございます」

板垣信方は、小山田攻めの編成に異議を唱えていた。

武田晴信は、武田家の騎馬部隊を含めた精鋭部隊を3つに分け、甘利虎泰、原虎胤の両名に小山田側の甲斐北部国衆の制圧と上野国との街道制圧。飯富虎昌は信濃からの越後上杉勢の牽制役とした。

自らは、板垣信方、教来石景政、山本勘助と共にかき集めた足軽農民兵を主力とした編成として、留守を叔父である穴山信友に任せる事にした。

今回は、かなり無理な徴兵を行なって足軽を集めていた。

「餌は美味しそうな方が食い付きやすいであろう。ほぼ農民達ばかりの足軽でできた軍勢など、小山田からしたら簡単に蹴散らせると思うはずだ」

「しかし、自らを餌などとは、万が一の時はどうするのですか」

「お前達を信用しておる。必ずや速やかに甲斐北部を制圧してくれると」

「ですが・・・」

「そのために甲州忍びも組織した。儂はできる限りゆっくりと進軍し、その間に富田郷左衛門の甲州忍びが小山田のお膝元で暴れて儂が攻めてくると宣伝させる。小山田の意識はこちらに注目するしか無くなる。そうなれば、その分甲斐北部制圧の時間を稼ぐことができる」

「しかし・・・」

「くどい!これは決定事項だ」

「・・・承知しました。ならば、この身に代えて必ずやお守りいたします」

「すまん。頼りにしている・・・」

武田晴信は、集まった一同を見渡す。

「甲斐北部制圧部隊は、今日の日暮れと共に出陣せよ。これは時間との戦いでもある。一気に制圧したら抑えを残しこちらに合流せよ。此度は甲斐北部を制圧して、越後上杉と小山田の人と物の往来を断つのが目的だ。それ以上欲をかくな。越後上杉と小山田との往来を断つことができれば、小山田を討つのは後からでもできる」

「「「承知」」」

「富田郷左衛門が率いる甲州忍びは、夜に小山田の配下の城や領内に火を放て、儂が攻めてきたと声高に叫べ」

「承知」

「囮でもある我ら本隊は、ゆっくりと進軍する。準備にかかれ」

男達は、慌ただしく戦の準備に入った。


小山田有信領内。

武田晴信が兵を集めているとの報告が入ってきていた。

足軽達を躑躅ヶ崎館周辺に集めたばかり、こちらに攻め寄せてくるまで、まだ四、五日はかかるのではないかとの物見の報告である。

小山田有信が配下に戦の準備をするように指示を出してたその日の深夜。

「火事だ〜火事だ〜」

「武田晴信が攻めてきたぞ〜、武田晴信が攻めてきたぞ〜」

「火事だ、火事だ、火事だ〜」

谷村城内から火の手が上がった。

慌てて飛び起きた城内の者達が必死に火を消そうとするが火の回りが早い。

武田晴信が攻めてきたとの声が聞こえたため、多くのものが応戦すべく城外に出るが敵の姿が無い。応戦のために多くの者が城外へ出た。そして火を消そうとする者が減ったために、火の手はますます強くなり、消すことが出来ないほどになっていた。

夜が明ける頃には、城の半分近くが焼け落ちていた。

小山田有信は、焼けた城を見ながら悔しさを滲ませていた。

「くっそ〜・・やられた。武田晴信も手段を選んでいられんと言うわけか」

そこに家臣達が慌ててやってくる。

「新しく築いた4つの砦の内、2つが燃え落ちております」

「何だと・・」

「武田晴信の手の者と思われます。無事であった砦は、砦に詰めていた者達が火をつけようとしていた者達を発見して追い払ったそうでございます」

小山田信有は、武田晴信が攻め寄せてくるには、まだ少し時間があると思い油断していたことを痛感していた。

「武田晴信の軍勢は何処にいる」

「躑躅ヶ崎館からは、さほど離れていないようでございます」

「まだ、距離があるのか・・・直ぐに戦の支度をせよ。武田晴信を迎え討たねばならん。それと、武田晴信の軍勢はどれほどだ」

「国衆達が少なく、農民達をかなり無理をして集めたようで足軽達が三千程かと思われます」

「国衆の支持が少ないのか・・足軽程度なら蹴散らせば良い。戦の準備を急げ」



信濃国佐久郡佐久城

真田幸綱は、諏訪に築城中の新たな城の進捗状況の報告を受けていた。

「幸綱様」

真田忍びの利助が慌ててやってきた。

「どうした」

「昨夜、武田晴信の軍勢が甲斐北部の小山田側国衆を強襲」

「いよいよ動いたか!」

「甲斐北部の小山田勢の国衆たちのほぼ半分を制圧。甲斐北部の国衆の多くは武田側に討たれたか、もしくは武田側に降ったものと思われます。残った国衆が武田に降るのは時間の問題かと思われます」

「小山田側の状況はわかるか」

「武田晴信はまだ小山田側へは攻め込んでおりませぬが、武田晴信側の忍びと思われるものが領内で火をつけて回ったようでございます」

「武田晴信の軍勢と甲斐の状況は」

「武田晴信の軍勢は、かなりゆっくりと小山田側へ進軍中と思われます。信濃と甲斐を結ぶ街道は全て封鎖されて、武田勢が佐久に通じる街道上に陣取っております。甲斐北部が制圧されつつあるため上野国から小山田側に入ることが難しくなっております」

「障害なく使えるのは、武蔵国からの街道のみか。武蔵国は遠すぎるな・・・武田晴信の本隊の動きは、甲斐北部を制圧するための時間稼ぎか・・・何もせずに小山田を見捨てるわけにはいかん。このことを至急諏訪に向かっている晴景様に伝えよ。儂はこれより出陣する」

上杉晴景は甲斐にいる軒猿衆の報告を受け、すぐさま虎豹騎軍第二軍と第五軍と共に諏訪に向かっていた。

「承知いたしました」

真田幸綱率いる虎豹騎軍第四軍は七千の規模となっていたが、諏訪側の守りに三千を割いていたため、佐久城に四千名が詰めていた。

真田幸綱は、佐久城の四千の内三千を率いて出陣した。



虎豹騎軍第二軍、第五軍は、上杉晴景の指示で善光寺平城には入らずにそのまま諏訪に向けてかなりの早さで移動していた。

軒猿衆の報告から急ぐべきと判断したからである。

上杉晴景自身も第二軍、第五軍と共に諏訪に向けて移動していた。

武田晴信は早さを重視した戦をやろうとしていると判断したからである。

「実綱、あとどれくらいで諏訪に着く」

「かなり急ぎましたからあと1日ほどでしょうか」

虎豹騎軍第二軍を預かる直江実綱は、厳しい表情で答えた。

「ですが、かなり無理な移動をしております。鍛え抜いた精鋭といえどもかなりの疲労。すぐには戦えません」

「短期間でこれだけの兵が移動してきたことが重要なのだ。諏訪と甲斐の国境では、村上義清と甲斐の国衆が睨み合いの茶番を演じている。甲斐と戦うとなればその国衆たちはこちらに味方となる。真田幸綱も既に出陣しているだろう。これに諏訪周辺の信濃国衆が加わる事になる。そうなれば我らは兵を休ませることができる。とにかく今は急ぐことが重要。一刻も早く我らの旗印を諏訪の地に掲げ、武田側に見せつけることが大切だ」

「承知しております。さらに急ぎましょう」

さらに諏訪へ急ぐ越後上杉の軍勢であった。

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