第85話 銭の持つ力

信濃佐久から甲斐への街道を多くの商人が通るようになっていた。

越後や信濃から多数の商人が我先に甲斐国へと入って行く。

さらに武蔵国からも多数の商人が甲斐東側へ入り込んできていた。

軒猿衆や真田忍びたちが商人たちに対して、甲斐小山田信有が甲斐東側の国衆に大量の‘’天下泰平‘’小判を配ったと噂を流したからであった。

信濃の商人で甲斐に出向いていた商人の一人が、小判を貰った国衆相手に商売で儲けたとの噂を聞いた商人たちは、その小判が目当てで甲斐東側へ大挙して押し寄せていた。

商人たちはついでに甲斐にある悪銭を両替する。越後上杉家が買取両替するレートよりも下げて両替して、越後上杉家領内で正規の両替を行い差額を儲けるのだ。

甲斐東側の領民相手にも商売を行い、栄銭や永楽銭を受け取り‘’天下泰平‘’銭に替えていく。

真田幸綱の配下である真田忍びたちも商人に扮して甲斐東側に入っていた。

真田忍びの目的は情報収集ではあるが、同時に甲斐に流通している栄銭と永楽銭をできるだけ集めることも目的としていた。

その理由は聞かされないが、主である真田幸綱がさらにその主である上杉晴景様より命じられたとなれば全力で取り組まなくてはならん。

幸綱様は里におられたときはいつもつまらなそうにしておられたが、上杉晴景様に仕えてから表情が生き生きとしておられる。そんな幸綱様を見ていると我らも嬉しくなってくる。

そんな主人のためにも全力で任務を遂行することを誓う真田の忍びたちであった。

「どれほど集まった」

利助が配下の忍びに声をかける。

「悪銭も含め約5万貫ほどでしょうか」

「それを全て佐久城へ送れ」

「ハッ、承知しました」

集められた大量の栄銭と永楽銭は、密かに佐久城に送られた。そこからさらに越後府中に送られる。

甲斐国内の栄銭と永楽銭が甲斐東側に集まり、‘’天下泰平‘’銭に両替され、甲斐国から次第に栄銭と永楽銭が姿を消し始めていた。



越後府中

上杉晴景は、真田幸綱からの書状に目を通していた。

「ほ〜。流石は武田晴信。‘’天下泰平‘’銭の持つ力に気が付いて、甲斐国内での‘’天下泰平‘’銭の使用を禁止したか。だが、少し遅かったな」

上杉晴景は書状を読みながらほくそ笑んでいた。

「兄上!また、悪い顔をしております」

今日は学問の日でないため、早朝から虎千代に捕まって囲碁の再戦となっていた。

「兄上、甲斐国で何が遅かったのですか」

「我らが使っている‘’天下泰平‘’銭を、甲斐国でも使えるようにしてやろうとしただけだ」

「それと‘’遅い‘’はどの様に関係するのですか」

「我らの‘’天下泰平‘’銭が甲斐国で広く使われると困る者たちがいるのさ」

「困る?・・・皆の暮らしが便利になるのではありませぬか」

「我ら越後上杉家の支配する領地以外では、‘’天下泰平‘’銭は使われていない。物の売り買いは同じ銭同士がやり易いからだ。だが、越後上杉家の領地以外の国で‘’天下泰平‘’銭が使われ出したらどうならる」

「同じ銭を使う我ら越後上杉家の領地との商売がやり易いため、越後上杉家の領地との商いが中心になります」

「その通りだ。そして、そのままその状態が続くと我らに依存するしか無くなる。そんな状態で我らと戦えば、物や銭の供給は止まり、物の売り買いが止まることになる。そして領民たちが困窮することになる。そんな状態が続けば、領民や国衆の支持は無くなっていくことのなる。領民や国衆から支持が無くなれば、どんなに命令を下そうが戦いはできん」

「つまり、我らの使う‘’天下泰平‘’銭が広まると、時間が経つほどに相手から戦う力を奪うということですか」

「まぁ・・そうなるな」

「兄上!凄いです。まさに、孫子の戦わずして勝つではありませぬか」

「そ・・そうか」

未来の軍神である虎千代にそう言われると嬉しくなってくる。

ただ単に戦が嫌いなだけなんだがな。

天下泰平銭もそこまで深い考えでは無かったが結果としてそうなってしまっている。

「‘’天下泰平‘’銭が広く行き渡った他国が我らと戦うとなると、数日のうちに全ての守りを突破して、春日山城と越後府中を占領しなくてはならん。それは物理的に無理だ。可能性があるとしたら海からだが、海は我ら上杉水軍と安東水軍の独壇場だ。水軍の守りを突破できる他国の水軍は今の所いない」

「それを聞いていると、まるで毒のようです」

「他国からしたら魅惑的な毒だろう。手をつけたら最後。ジワジワと銭の便利さに侵され、気がついたら手遅れとなっているがな」

「兄上が越後上杉家の当主でよかった」

「ハハハ・・・その言葉は嬉しいな」

「ですが、この勝負は別ですよ!」

虎千代の碁石を打つ音が聞こえた。

「エッ・・・いや、その手は・・チョット」

「待ったはダメですよ!兄上」

兄ことは大好きであるが、勝負には厳しい虎千代であった。

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