第71話 甲斐国決戦前
天文6年1月中旬(1537年)
小山田信有は、甲斐国の全ての国衆に対して武田晴信を糾弾する書状を送った。
書状の中で、実の父を騙し討ちにして追放した行為を激しく糾弾。武士の風上にも置けない行為と非難していた。さらに武田晴信を甲斐国主とは認めないと宣言していた。
当然、武田晴信に対しても同じ書状を送りつけていた。
小山田家は、甲斐国の中でもかなりの精鋭揃いの国衆。戦巧者の武田信虎も攻め切れず、やむなく和睦の形で懐柔策を取るしかなかった相手であった。
谷村城の広間には、続々と小山田家配下の武将が集まってきていた。
小山田家の家老である小林房実が広間に入ってきた。
「信有様、関東管領上杉憲政様からの援軍三千は明日には到着するとの事でございます。さらに、越後上杉家は諏訪との境に軍勢二千を配置して、武田を牽制するとのことでございます」
「甲斐国衆の動きはどうだ」
「主に甲斐国東側の国衆はほぼこちらの味方。武田晴信側は躑躅ヶ崎館にて各国衆に檄を飛ばしているようでございますが、武田晴信に応じているのは甲府周辺や信虎追放に加担した者達のみのようでございます。国境の国衆などは完全に日和見を決め込んでいるようです」
「武田晴信に力を貸すのは甲斐国衆の3割ほどだな。我らに味方する国衆は4割。日和見は3割ほとなるか」
「そうなりますと武田晴信の軍勢は二千ほど。我らは国衆二千五百に銭雇いが五百。さらに関東管領様の三千。圧倒的ですな」
「まだ油断は禁物だ。北条と今川の動き次第でもある」
家臣の一人が慌ててやってきた。
「多田三八郎殿がお見えになりました」
多田三八郎は信虎が召し抱えていた足軽大将である。元々は美濃国の生まれ。三八郎が諸国を流浪していたときに信虎に拾われ信虎に仕えていた。信虎の古くからの家臣である。
「信有殿久しぶりだな。まさか、お主から檄文をもらうとは思わなかったぞ」
そう言うと、多田三八郎は信有の前に腰を下ろす。
「古くから信虎殿に仕えていた足軽大将でもあるお主がきてくれたら百人力だ」
「晴信の奴め、実の父を追放など、武士の風上にも置けん奴だ」
「まったくだ。今度は逆に晴信を追放してくれよう」
「いつ、甲府に攻め込む」
「明日全ての軍勢が揃う、揃い次第甲府に向けて出陣する」
「承知した。晴信の奴に我らの恐ろしさを見せてくれよう」
甲斐国甲府にある造り酒屋甲州屋。
ここは、越後上杉家軒猿衆が甲府に作っておいた忍屋敷の一つ。
奥の部屋には、藤林長門がいた。
同じ部屋には伊賀が誇る精鋭と呼べる男達がいる。
上杉晴景は、小山田信有の後方支援、武田晴信側の情報撹乱、北条と今川の監視の任務のため百人もの軒猿衆を甲斐国に送り込んでいた。藤林長門は、百人もの軒猿衆を指揮するために自ら甲斐国のやって来ていた。
今回は敵地のど真ん中での任務のため、特に腕の立つ者達をそろえていた。
新堂の小太郎こと金藤小太郎。
伊賀が誇る忍名人と呼ばれる者達のうち四名を呼び寄せていた。
それぞれが今回の任務のため10人〜20人の忍びを指揮している。
「小山田信有殿は明日にでも谷村城を出発。甲府に向かって軍勢を進めるであろう」
藤林長門言葉に無言で頷く一同。
「武田晴信はまだ家督を奪い取り日が浅い。それにまだ忍びを雇っていない。我らの邪魔をするものは無いであろう。万が一忍びを雇っていてもお主達なら遅れをとるまい。ただし油断は禁物だ。お主達ならその心配も無いだろう。戦が始まれば武田晴信側の城である、躑躅ヶ崎館と後詰城である要害山城に火を放て」
「火薬の使用に関しては如何します」
伊賀崎道順が口を開いた。
「晴景様からは、使って構わんとの仰せだ。使うなら徹底的にやれとのことだ」
「承知!」
「情報撹乱はどうなっている」
「それはこの城戸が報告いたします。甲府周辺に、小山田信有殿の動きに呼応して越後上杉家が佐久と諏訪の国境から二千の軍勢で攻め込んでくると噂を流しております。実際に虎豹騎軍第四軍真田様が赤備えの軍勢をそれぞれ見えるようにわざと配置しており、武田晴信はそちらにも警戒の兵を割かねばならず、小山田信有殿との決戦のための軍勢が減っております。さらに、小山田側の兵力を実態より少ない人数であるかのように、嘘の情報を武田側の物見を利用して流しております」
「小太郎。今川家・北条家の動きはどうだ」
「武田晴信は今川と北条に援軍の使者を出していますが、ことごとくこちらで始末しており、今川家・北条家には使者は到着しておりません。今のところ今川家・北条家共に軍勢を動かす様子はありません」
「わかった。八右衛門、小山田側の国衆に怪しい動きはないか」
「今のところ、怪しい動きは見当たらない。武田晴信側と連絡を取っている国衆はいないと思われる」
「関東管領の援軍が進む進路上の武田側の間者や北条の風魔は、戸隠衆に任せてある。関東管領軍の進軍に問題は無いようだ。よし、間も無く決戦となろう。気を抜かずそれぞれの役割を確実に果たせ」
無言で頷くと男達の姿は消えていた。
上野国から甲斐国へ、上泉信綱を大将とした三千の軍勢が急いでいた。
小山田信有を助け、武田晴信を打ち倒すためだ。
その軍勢を遠くから見ていた猟師が音を立てずに立ち去ろうとした。
「まて!何処に行くつもりだ」
猟師は慌てて振り向くと一人の男がいた。
つい先ほどまでは誰もいなかったはず。
「猟を終えて帰るところですよ」
「ほお〜手ぶらでか」
「・・・ハハハハ・・・恥ずかしいことに今日は獲物がなくてね・・・」
「小田原には帰れんぞ!」
「・・・何のことで・・・」
猟師の表情が険しくなる。
「この周辺にいる風魔は全て片付けた。残るはお前一人」
同時に三人の男達が現れ猟師を周囲を囲む。
猟師は目を細め、ゆっくりと身構え囲みを破る隙を探る。
「あんた、何者だ」
「忍びに名を聞くか・・・まあ良いだろう冥土の土産に教えてやろう、越後上杉家の軒猿衆のひとり戸隠十蔵」
「何、越後だと・・・」
男が煙玉を投げつけようとした瞬間、煙玉を投げるより先に背後から切られて絶命した。
「他は・・・」
「残らず片付けました」
「軍勢が谷村城に着いたら引き上げるぞ、あとは藤林殿の仕事だ」
戸隠十蔵はそう言うと、三人の男達と共に姿を消した。
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