第69話 幸綱仕掛ける

天文5年12月上旬(1536年)

甲斐国郡内地方(甲斐国東部)谷村城。

郡内の国衆である小山田信有は家老の小林房実から、信虎追放に伴う甲斐国内情勢に関して報告を受けていた。

「しかし、実の父である信虎殿を追放して当主になるとは・・・そんなことを平然として行うとはなかなか恐ろしい奴よ。しかも、敵対していた相模の北条、駿河の今川と同盟を組むとわ。房実、甲斐の国衆はどう動く」

「皆、様子見でしょう。どのような政策を取るのか見ておるのでしょう」

「だが、これは我らにとって好機とも言える」

「好機でございますか」

「我が父上が26年前に信虎と交わしたのは和睦の約束であって、武田の家臣になる約束はしていない。信虎と交わしたのはあくまでも和睦の約束だ」

小山田信有は、亡き父が酒に酔うと『対等な立場のはずであったのに、最近家臣の様な扱いになってきている』と愚痴をこぼしていたを思い出していた。

「確かに小山田家と武田家の間では、和睦の約束しかしておりません」

「今の甲斐国の平静は嵐の前の静けさのようなものだ。我らが甲斐の覇権を握ることができるかもしれん」

小山田氏は過去に幾度も甲斐国の覇権をめぐり武田と激しく争ってきた。

小山田信有の父の時代、信虎とその叔父である油川信恵ゆかわのぶよし、そして小山田家などの各国衆の間で甲斐の覇権をめぐり激しく戦い、油川信恵が信虎に討たれたことがきっかけとなり和睦が図られた。

信虎としては、小山田家を討ち倒したいところであったが、小山田家は精鋭揃いのため戦で倒すことができず、和睦に切り替えて取り込むことにしたのであった。

小山田信有の次男は、武田勝頼を最後に裏切る小山田信茂である。

「我らで甲斐の覇権を狙うとして如何いたしますか」

「信虎側の国衆がどの程度残っているのか。そして、特に重要なことが山内上杉、越後上杉の支援が受けられるかだ」

「山内上杉と越後上杉でございますか」

「山内上杉にとって信虎は対北条の重要な同盟相手。三国同盟が結ばれたら対北条のための同盟相手が減ることになり、北条側からの圧力が一段と強まることになる」

「山内上杉からしたら許し難い行為でしょうな」

「そして、越後上杉。先月に信濃諏訪郡が越後上杉の支配下に入ったことで、信濃国の三分の二が越後上杉の支配下に入ったことになる。越後上杉の持つ圧倒的な武力、圧倒的な財力で次々に信濃を飲み込んでいる」

「甲斐国から信濃に入るには、越後上杉の支配する佐久郡か諏訪郡を通るしかありませんな。まさか赤石山脈(南アルプス)を越えるわけには行きませんからな」

この時代、標高三千メートルの山々を重装備の軍勢で越えることは、まず不可能と言っていい。

「越後上杉が簡単に通してくれる訳があるまい。既に佐久郡の備えは厳重になっている。諏訪の備えも近いうちに強固なものになろう。だが、三国同盟を結んだ以上、信濃に行くことしか残されていない。武田晴信からしたら、諏訪頼重がこれ程簡単に越後上杉の配下になるとは、思ってもいなかったのだろう」

「諏訪頼重の行動には驚かされました。ですが、今になって思えば英断と言えますな。対武田の戦いに大国である越後上杉が手を貸してくれることが約束されたのですから」

「越後上杉は数万の軍勢を持つ大国。噂では、数万の軍勢を数日で用意して見せると言われている。敵に回したら恐ろしい相手だ」

その時、家臣の一人が慌ててやってきた。

「殿!」

「どうした」

「東信濃佐久郡の真田幸綱殿よりの使者が参っております」

小山田信有と小林房実は驚き顔を見合わせる。

「ここに通せ」

一人の若者を先頭に三人が入ってきた。

「儂が小山田信有である」

「越後上杉家家臣真田幸綱が弟、真田源次郎と申します」

「真田幸綱殿といえば、越後上杉家では重臣とも言える立場と聞き及んでいる。今日はいかなる要件で当家を訪れたのであろうか」

「単刀直入に申しあげます。小山田殿、甲斐国の主になってみませんか」

「甲斐の国主は武田晴信殿であろう」

「それは、実の父を罠に掛けて奪い取ったもの。正当なる甲斐国主なら、そのような真似は必要ありますまい」

「・・・・・」

「奪い取った国主なら他のものが奪っても良いのではありませんか。不当に奪い取ったものなら遠慮はいらないでしょう。そもそも、小山田様は武田家の家臣では無く信虎殿の対等な協力者と聞いております。信虎殿とは同格のはず。ならば、甲斐国主の資格はあるはず」

「・・・・・」

「小山田様がその気なら支援は惜しみませんよ」

思いもよらない言葉に小山田信有は喉の渇きを覚え、唾を飲み込む。

「・・支・・・支援とは」

「戦となると色々と物入りでしょう」

真田源次郎は、同行してきた真田家の家臣から大きな背負子を受け取ると、小山田有信の目の前で背負子をひっくり返した。金属音と共に大量の小判が床にこぼれ落ち、黄金の山を作る。

目を見開き驚く小山田有信と小林房実。

「越後上杉領内で使われている‘’天下泰平‘‘小判千両でございます。これは、我らが主である上杉晴景様より小山田様への贈り物でございます。お好きなようにお使いください・・・あ〜そうだ。うっかりしておりました。甲斐国では‘’天下泰平‘’小判はまだ使われておりませんでしたな」

真田源次郎はそう言うと、もう一つの背負子を引き寄せ、その背負子もひっくり返した。

布に包まれた包みの山ができた。

源次郎が包みを一つ開けると砂金が入っていた。

「この包みは全て砂金でございます。こちらも千両分ございます。どうぞご自由にと使いください」

「・・・良いのか・・・」

「我らが主からはお近づきの印に小山田様に全て差し上げろ命を受けております。後の使い道は小山田様にお任せいたします。ご自由にお使いください」

「殿、兵を雇うなら相当な数を雇えますな」

「そ・・そうだな。兵糧の用意も困らんぞ」

黄金の輝きに目を奪われ、口元に笑みを浮かべる小山田信有であった。

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