第66話 諏訪家の決断
天文5年10月中旬
真田幸綱は、信濃国諏訪郡上原城を訪れていた。
「初めてお目にかかります。越後上杉家家臣真田幸綱と申します」
「諏訪家の
碧雲斎殿は、現当主である諏訪頼重殿の祖父で頼重殿の後見人的立場。
諏訪家の先々代当主である。
頼重殿の父である頼隆殿は既に他界していた。
真田幸綱は、碧雲斎殿の発言力が大きいと見てまず碧雲斎殿に会っていた。
「甲斐国武田信虎殿が駿河に追放されたと聞きましたが本当でしょうか」
真田幸綱は、既に全て知っていたがあえて尋ねた。
「間違いない。信虎殿は息子の晴信に罠に掛けられ甲斐を追放された。実の父親を罠に掛け、追放するなどとは、呆れ果てた男だ。己の野望の為なら手段を選ばん奴だ。さらにそこに、駿河の今川、相模の北条まで加わり手を貸している」
「己の野望に貪欲な男が、背後の駿河の今川と相模の北条と手を結べば、背後を気にせずに残りの方面に兵を振り向けてくるでしょう」
「そうであろうな・・・」
「武田晴信の佐久郡への侵攻は大失敗に終わりました。ならば、次に目をつけるなら諏訪の地」
「再び、佐久郡を攻めるのではないか」
「前回、武田が佐久に攻め寄せてきた時にかなり徹底的に叩きました。さらに、佐久と甲斐の国境は、その時よりもさらに備えを厚くしております。武田側も間者を放って佐久を調べているようですが、あの備えを見て攻めてくるなら愚かとしか言いようがありませぬ。それほどに、しっかりと備えております」
甲斐との国境の海ノ口城は、真田幸綱が指揮を取り備えを厚くしていた。海ノ口城のすぐ近くに新たな城を作り始めていた。海ノ口城と新しい城の二つの城が連携して、敵に当たる形にしていた。
さらに、甲斐との国境の街道を大軍が通れないようにわざと狭く作り替え、伏兵を隠しやすくするように工事をして、その道以外は通れないように大規模な土木工事を行なっている。
そんなところに攻め寄せてきたら鉄砲を使わなくとも、弓や槍で十分に撃退可能だ。
武田側の間者も見受けられるがあえて捕らえずに、間者一人に数名の見張りを付けていた。
真田の家臣や軒猿衆を使い、全ての武田の間者を監視下に置いていた。
当然、重要な箇所に忍び込むなら始末せよと命じてある。
「武田晴信は、背後を気にせずに済むようになり、佐久での戦の傷が癒えたら諏訪を攻め取ろうとするでしょう。我ら越後上杉と戦うのは、諏訪、信濃府中、南信濃を抑えてからでしょう」
「た・・確かに、武田が越後上杉家と事を構えるなら、まず力を付けねばなるまい。越後上杉家の石高は100万石を越えていると聞き及んでいる。そんな相手と戦うならそれなりの準備もいるであろう」
「では、諏訪家は如何されるおつもりですか」
「攻めてきたら戦うまで」
「単独では、一度や二度撃退できてもやがて疲弊して破れるのではありませぬか」
「それは、他の国衆に・・・」
「武田晴信は、謀略を得意とすると聞き及んでおります。それは、父信虎殿追放からも明らかでしょう。こちらの味方に手を回し、言葉巧みに守るつもりの無い約束を乱発して味方を作り、敵の内部に裏切り者を作り、敵を内側から崩壊させるでしょう。まず、並の国衆では敵わないでしょう」
「では、どうしたらいいと言うのだ・・・」
「我ら越後上杉と手を組みませぬか」
「・・・・・・」
「我らが主である上杉晴景様は、先々を考えて手を打っておられます。我ら家臣、国衆が立ちゆくように考え、各国衆の領地で新田開発や河川改修工事を積極的にされております。越後上杉家の各国衆の領地では、晴景様のお蔭で収穫量が少なくとも5割増、多いところは倍以上になっております。仕える仕えないは、実際晴景様にお会いして決めてもよろしいかと」
「・・・・・」
そこに、一人の男が入ってきた。
「爺様、俺が噂の越後上杉を見てから決めようじゃないか」
「頼重、聞いていたのか」
入ってきたのは碧雲斎殿の孫で諏訪家の当主諏訪頼重であった。20歳と聞いている。
「佐久の真田がわざわざ尋ねてきたんだ。気になるだろう」
「いいのか・・・」
「爺様は正直どう思ってる」
「東信濃や北信濃の発展の噂は聞いている。真田殿の言うことも嘘ではないと思う。越後上杉に賭けてみてもいいかもしれん。真田殿、孫の頼重を越後府中の上杉晴景様に会わせてもらえるか」
「承知した。この真田幸綱にお任せください」
諏訪頼重は、真田幸綱の案内で越後府中に行くことにした。
東信濃の佐久郡を通り、北信濃に向かう。
道中に見かける農民達は、皆笑顔を浮かべている。
諏訪頼重は、見かけた数人の農民に声をかけてみることにした。
「今年の作物の出来はどうだい」
「旅のお侍様かい、作物の出来はまあまあだね」
「まあまあという割には嬉しそうじゃないか」
「上杉晴景様の領地となってから上杉晴景様の指示で新田開発をされるようになり、新田開発でできた公田を耕すと年貢が安くなったうえに収穫量も増えるからな」
「それだけじゃないぜ、農作業が暇な時は、土木作業の働き口をくれて銭を稼がせてくる。お蔭で銭で酒をたくさん買えて美味い酒をたらふく飲める」
「そうそう、上杉晴景様のお蔭だよ」
諏訪頼重は、国衆の領地が変わるたびに農民や商人を捕まえては話を聞いていた。
皆同じような答えが返ってくる。
噂で聞いていた内容と同じであった。
そして、諏訪頼重たちは、いよいよ信濃の国境を越え越後領内に足を踏み入れることになる。
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