第64話 檻の中の虎

天文5年6月中旬(1536年)

駿河今川領内善徳寺

今川家の家督争いに打ち勝ち今川家当主となった栴岳承芳せんがくしょうほうは、今川義元と名を改め、義元の師匠である九英承菊きゅうえいしょうぎくは、太原雪斎と名を改めていた。太原雪斎は幼い頃より秀才と言われ、その秀才ぶりから度々今川家より誘いがあったが仏門に生きる身であるとして断っていた。

しかし、弟子であった義元が今川家の当主となり、その補佐を求められたことから、その求めに応じて政治・軍事の両方で義元を支えていくことになる。

太原雪斎が昔修行していた善徳寺の一室に今川義元と太原雪斎、もう一人の男がいた。

もう一人の男の名は、北条家第2代目当主北条氏綱。

「義元殿が今川家の当主となられて実にめでたい」

北条氏綱は、義元が今川家当主になったことを素直に祝った。

今川家の内紛が短期に収束したことで内心安堵していた。

今川家の内紛が長引けばそれはそのまま北条家に跳ね返ってくる。

そうなれば駿河、甲斐、武蔵、下総と全方位で警戒が必要となってしまう。

流石に全てに力を裂くわけにはいかず、今川家の内紛を息を凝らして見ていた。

「氏綱殿のご尽力のおかげでございます」

「ハハハ・・・義元殿のお力の賜物でしょう」

義元の横で控えていた太原雪斎が口を開く。

「氏綱様、此度はいかなるご用件で」

「寿桂尼様にお話してある武田の件で」

「その件でしたら義元様と共に聞いております。当家は既に手を打っております」

「ほ〜如何なる手で」

「寿桂尼様につてにより、公家の摂関家に次ぐ家柄の七清華家しちせいがけのひとつ左大臣三条公頼様の次女である八重姫様を、来月早々に武田晴信殿に輿入れしていただくことを既に決めさせてあります。さらに、武田信虎の娘である千代姫を義元様の正室とすることを数日前に決めたところ」

「流石、太原雪斎殿。仕事が早い。ならば残るは信虎をどうするか」

「そこに関しても既に根回しは終えている」

「ほ〜既に終えていると」

「左様、八重姫様の輿入れが終わり次第、千代姫様が今川家に輿入れされる。暫くしてから信虎殿を駿河にご招待する。そして二度と甲斐の地を踏むことなくこの駿河の地の片隅にて隠居していただくことになる。北条殿には、守りに徹して今暫く辛抱してほしい。信虎が駿河で隠居したら、武田晴信と北条と今川で盟約を結べば、三国同盟ができがり、北条殿は関東に専念できる様になろう」

「だが、武田晴信は東信濃に攻め込み、越後上杉との戦で手ひどくやられた様だ。普段から信虎と晴信は馬が合わないと聞いている。信虎が晴信を廃嫡にするのではないか」

「晴信を廃嫡にすれは、八重姫との縁談も無くなり、信虎の欲している朝廷との繋がりが手に入らなくなります。どんなに廃嫡にしたくともできますまい」

「なるほど・・・・・よかろう。今川家の言葉を信じて待つことにしよう」

「このことは、他に漏れぬようにお願いいたします。漏れたら邪魔が入るやもしれませぬ。特に越後上杉あたりが邪魔をしてくる恐れがございます」

「全て承知した。そこは抜かりなくさせてもらう」



天文5年8月下旬(1536年)

武田信虎は上機嫌であった。

嫡男晴信の正室に、摂関家に次ぐ家柄の七清華家のひとつ左大臣三条公頼様の次女である八重姫様を迎えることができた。これで将軍家だけではなく、朝廷との縁を強くすることができる。

こんな美味い話を持って来てくれた今川家との関係は、益々重要になってくると考えていた。

その今川家から、信虎の娘の千代姫と今川義元の婚儀の日に朝廷と幕府から使者が来るので同席して欲しいとの話があり、わずかな近習の者たちと話をしながら、信虎は駿河の地に向かっていた。

「大名家の婚儀に朝廷と幕府から使者が来るとは、流石は将軍家の御一門だ」

「信虎様、やはり足利将軍家の御一門ともなると違うのでしょう」

国境を越え駿河国に入ると今川家の者が待っており駿河の館へと案内をしてくる。

駿河の館まで行くと一人の男が待っていた。

「舅殿、初めてお目に掛かります。今川義元でございます」

「お〜、これはこれは婿殿、武田信虎でござる。今後ともよろしくお願い致す」

「使者殿も来ておられます。こちらへ」

義元は、信虎に使者と言ったが婚儀を祝うための使者とは言っていない。

信虎あての書状では、あえて‘’婚儀の日に使者が来る‘’と言っていたのだ。

朝廷や幕府の使者は、献金への返礼の使者であった。

義元は、朝廷と幕府を味方につけるため多額の献金をした。

義元は、朝廷と幕府にあえて献金の礼の使者を出してくれるように働きかけ、数名の公家と足利幕府管領の使者を呼ぶことに成功していた。その使者を、あえてこの日に合わせるように調整をしていた。

信虎は、今川家の歓待に上機嫌であり深酒をして酔い潰れるほど酒を飲んでいた。

そして、10日間ほど今川の屋敷に宿泊して悠々と帰って行った。

やがて見覚えのある国境が見えてきた。

だが、国境の関所の木戸が閉められたままであった。

木戸の先には甘利虎泰の姿が見えた。

「虎泰、なぜ木戸を閉めておる。ここを開けんか」

「甲斐国主‘’武田晴信‘’様の指示でございます、開けるわけにはいきません」

「何を言っている。甲斐国主は儂だ。幕府と朝廷が認めた甲斐国主は儂意外おらん」

「昨日、朝廷と幕府より武田晴信様を甲斐国主とするとの書状が届いております。ですので、あなた様はもう甲斐国主ではありません。駿河へお帰りください。これ以上騒ぐ様ですと・・・」

甘利虎泰の背後の武者達が槍を構え、刀を抜いて構える。

「ふざけるな!こ・・このようなことが許されと思っているのか・・・謀反か!」

怒りを露わにする信虎。

「今一度言わせていただいます。あなた様は甲斐国主では無く、ただの旅人の様な者。朝廷と幕府が認める正式な甲斐国主は武田晴信様お一人。駿河へお帰りください」

甘利虎泰の言葉に合わせ、槍を構える者が一歩前に出る。

さらに何か言おうとする信虎を近習のものたちが抑え、慌てて駿河へと戻っていった。

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