第63話 武田晴信初陣
天文5年6月上旬(1536年)
武田晴信は初陣を飾るべく3千の軍勢を率いて、躑躅ヶ崎館を出発した。
軍勢の進路は、南側の北条へ向かっている。
皆、余計な物を減らした必要最低限の物しか持っていない。
街道の途中から一転、北に進路を変える。そこからは、進軍の速度を上げて急ぐ。
事前に国境の城に別働隊として2千の軍勢を密かに分散して潜ませていた。
進軍速度を上げるため、荷駄隊などは別働隊に任せて、走れるものだけで躑躅ヶ崎館を出発していた。
武田晴信が東信濃との国境に近づくと別働隊2千も合流してきた。
別働隊と合流したところで一旦兵を休ませる。
別働隊を指揮していた甘利虎泰がやってきた。
「虎泰、佐久の情勢はどうなっている」
「ハッ、最も近い海ノ口城は何も警戒しておりません。海ノ口城は日常そのもの」
「わかった。ならば、1刻ほどしたら出発。一気に海ノ口城を攻める」
「承知いたしました」
佐久郡海ノ口城(現在の佐久郡南牧村)は二百mほどの小高い山に造られた山城。城主は平賀源心。
晴信は、平賀源心に武田に下るように使者を出したが拒否されていた。
「かかれ!」
晴信の指示で攻め出すが、籠城して頑強に抵抗する海ノ口城を落とすことができず攻めあぐねていた。日も暮れてきたため、城攻めを一旦やめ海ノ口城を包囲したたまま兵を休ませることにした。
「虎泰、越後上杉の救援の気配はあるか」
「街道筋に物見を放っておりますが、今のところ越後上杉勢の姿は見えておりません。我らが急に現れたため、平賀源心も救援の使者を出す間が無かったのでしょう」
「確かに、我らは一気に攻め寄せたため、籠城するのがやっとであったと見える。ただ、油断は禁物だ。いずれ領民から話が伝わるであろう」
「明日は、多少の犠牲は覚悟で城門を一気に破り決着を付けましょう」
「長引かせるのは不味いな。できる限り早期にケリをつけるとしよう」
「承知いたしました」
朝方近い月夜の山中、獣道を進む赤備の軍勢がいた。
真田幸綱率いる越後上杉家虎豹騎隊であった。
甲斐国内で南に向かっていた軍勢が一転北に向かい出したとの報告を聞き、直ちに軍勢を率いて
佐久城を出発。同時に善光寺平城にいる直江実綱に報告の使者を出し後詰めを依頼していた。
物見に出していた軒猿衆が戻ってきた。
「武田勢は海ノ口城を囲い交代で休んでおります。ただ、進軍速度を重視したためか、兵たちにかなり疲れが見えます」
「ならば好都合。源之助、これより一気に決着をつけるぞ」
「兄上、承知しました」
「これより山を降り武田勢に一泡吹かせる。鉄砲隊は準備せよ」
真田幸綱率いる虎豹騎隊は、鉄砲の準備を始める。夜があけきらぬ薄暗い中を手慣れた手順で準備をしていく。数えきれないほど繰り返した訓練の末に身についた動作。迷うことなく素早く火薬と鉛玉を鉄砲に詰めていく。
やがて、持って来た400挺の鉄砲の全ての準備を終えると静かに山を降り、山の麓で真田幸綱の指示を待つ。
少し先には、武田勢の陣の周りで燃えている篝火が見えている。
篝火の周囲には、見張りの者は居ない。軒猿衆が入れ替わっていた見張りは既に鉄砲の標的にならぬように退避していた。
「放て〜!」
真田幸綱の号令と同時に鉄砲が火を噴いた。400挺の鉄砲が代わる代わる射ち続ける。
鉄砲の轟音に驚いて立ち上がる者から次々に鉄砲の餌食になっていく。
武田の陣中では、初めて体験する鉄砲による攻撃のためどうして良いのかわからぬまま次々に人が倒れていく。
弓矢のように目に見える訳ではない、鉛の球による目に見えない攻撃。しかもまだ夜があけきらぬ薄暗い早朝の攻撃。
気が動転して一人また一人と逃げ出すものが続出し始める。
「長槍、かかれ〜」
真田幸綱の指示を受け、長槍を隙間なく並べた越後上杉の軍勢が武田の陣中に突撃する。
鉄砲による集中攻撃の前に、もはや軍勢としての体を為していない状態の武田勢に、上杉の長槍が襲い掛かる。
次々に打ち取られていく武田勢。
かろうじて戦意を見せていた抵抗していた者たちも、抵抗しきれずに打ち取られ、勝ち戦だと思ってついて来ていた足軽は我先に逃げ出す。
武田勢は、もはや軍勢の崩壊は抑えることが出来できなくなっていた。
武田晴信はやむなく撤退を決断。武田晴信は近習のものたちと共に甲斐へと引き上げていった。
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