第55話 甲斐の虎

甲斐国躑躅ヶ崎館の広間。甲斐源氏第18代目当主武田信虎(武田信玄の父)は4人の男たちから報告を受けていた。実弟である勝沼信友、譜代の家老衆の今井信元と飯富虎昌、板垣信方。

「信元、越後上杉はそれほどまでに勢力を拡大させているのか」

今井信元は、この中で最も年長者。40半ばを越えたぐらいか。代々譜代の家老衆の一人として武田家に仕えている。

「はい、越後国内をほぼまとめ上げ、佐渡、越中半国、出羽庄内、北信濃を支配。そこに東信濃まで加わる勢い。さらに出羽安東家と手を組み、海の交易路を牛耳る勢いとなっております」

「う〜ん・・・我らの4倍ほどの石高になるか・・・」

甲斐国の石高はこの頃、約22万石前後。災害などの影響や飢饉の影響もあり、実態はもっと落ちることになる。

「越後上杉の実高はもっとあるでしょう。豊富な佐渡の金銀、積極的な新田開発。これらを含めると100万石をはるかに越えるでしょうな」

「実高100万石を越える大大名だな。我らが信濃国佐久郡を攻めたら出てくるか・・・」

「既に東信濃の国衆の多くが越後上杉に臣従しております。越後上杉の軍勢は、我々とは違います。豊富な金銀を背景に多くの兵を銭で雇い、常に動けるようにしております。我らが動けばすぐさま押し寄せてくるでしょう」

「銭雇いなんぞ大したことはあるまい」

「ところが越後上杉の兵は、士気が高く精鋭揃いと言われております。信濃府中の小笠原殿も上杉を侮り、四千の兵で挑み半数を討ち取られる大敗をしております」

「それほどか・・・これはまともに挑むことは出来んな。上杉はしばらく様子見とする」

「そのほうが宜しいかと思われます」

武田信虎は腕を組み、しばし考え込んでいる。

「今川と北条の様子はどうだ」

「今のところ動きはございませぬ。しかし、隙を見せれば攻めてくるかと」

「警戒を怠ることは出来んな」

「信虎様、いっそ今川と北条との間で同盟を結んではいかがでしょう。そうすれば南側は落ち着きます。その間に諏訪や佐久郡を攻めることができます」

「また、その話しか、言ったはずだ。北条と手を結ぶと言うことは、関東管領様を見捨てることになる。関東管領様を見捨てることはありえん。我らは甲斐源氏の嫡流。朝廷と幕府より任じられた甲斐国主でもある。今川と手を結ぶとはいいだろう足利将軍家の御一門だ。だが、北条はもともと伊勢の一族でありながら、北条家とは縁もゆかりも無いにもかかわらず、伊豆の地で北条の名を勝手に名乗り関東管領殿を攻めている」

イラついた様子を隠そうともせずしている。この話を打ち切るように口を開く。

「信方、太郎の教育はどうしている」

急に、太郎(後の武田信玄)の傅役である板垣信方に話を振る。

「はっ、孫子の兵法を中心に・・・」

「待て、なぜ孫子なのだ。儂はまず武家としての礼儀作法、武家としての心得、教養が先だと申し渡しておいたはずだ」

「太郎様が望まれておりますゆえ・・・」

「馬鹿者!学ぶべき順序が違う。いいか、孫子は確かに素晴らしい軍略だ。だが、毒を持っている軍略だ」

「毒でございますか・・・」

「そうだ、武家としての教養・礼節より先に学ぶと、勝つためなら何をしても構わんという考えが幼くして身についてしまう恐れがある。それはとても恐ろしいことだぞ。普通、人が人を裏切る時には大なり小なり葛藤がある。勝つためなら何をしてもいいと考える奴は、利用価値がなくなるか自分の野望の邪魔となれば躊躇う事無く簡単に約束を破り、守るつもりのない約定を交わし、簡単に身内や縁者を殺し、人を利用することばかり考える。人間関係を損得だけで考えるようになるぞ」

「・・・・・」

「いいか、武士としてのあり方が先だ。孫子の教育は儂がいいと言うまで禁止とする。孫子書物は全て回収せよ。行け」

「はっ・・・」

板垣信方は急ぎ広間を出て行った。




上杉晴景は、越後府中の屋敷で軒猿衆戸隠十蔵を呼び出していた。

「十蔵、武田信虎はどんな人物だ」

「筋を通す人物。義理堅い男と言って良いかと思います」

甲陽軍鑑での信虎は、武田信玄を良く見せるために、武田信玄の引き立て役としてあえて信虎を悪く書かれた可能性があると思っている。

よく信虎と晴信(後の武田信玄)は仲が悪と言われている。自分なりの推論だが、孫子の兵法が影響しているかもしれん。晴信は自らの旗印に孫子の兵法の一節を使っているほど入れ込んでいる。戦国乱世である以上は謀略や裏切りは当然ある。しかし基本的な日本の武士の考えは、戦は正々堂々と戦えが基本理念だ。乱世であってもあまりに酷く露骨な騙し討ちや露骨な裏切りは嫌われる。

関ヶ原の合戦でも戦の途中で西軍を裏切った諸将は信用をされていない。東軍諸将からは皆白い目で見られている。裏切りが勝利に結びついても、露骨な裏切り行為をするものは誰も信用しなだろう。

平安時代に書かれた日本古来の兵法書である‘’闘戦経‘’は、‘’孫子‘’とは真逆のことを言っている。

日本古来からの兵法書の言うことは、ひとことでいえば、‘’正々堂々と戦え‘’である。

勝つためには手段を選ばず的な考えをするようになる息子に、親なら不安を覚えるだろうし、注意もするだろう。

18代続いた甲斐源氏の名門としての誇りがあれば尚更だ。

そんな息子は、落ち目の関東管領との関係を切るように信虎に進言していたのではないか。

信虎が晴信(後の信玄)に追放という名のクーデターを起こされた頃、信虎は落ち目の関東管領上杉氏との関係を維持し続けていた。

晴信たちは、親北条、親今川である。信虎を追放後、北条と手を結んだことからもわかる。

関東管領上杉氏が北条の勢いに押されどんどん勢力を弱め、もはや盛り返せない状況でも信虎は関東管領上杉氏との関係を切ろうとはしなかった。

当時武田家中では、晴信たちは少数派だった可能性がある。圧倒的な力があればこんな姑息な追放劇を仕組む必要もない。

また、残虐だとか民を顧みないとかも後付けの話ではないかと思う。そもそも、この戦国乱世に常に民政を考え、領地開発を行う大名や豪族は少数派というかほとんどいないだろう。

平均的な年貢が65〜75%と言われた時代だ。わかりやすく言うと所得税が75%といえば分かりやすいか。とんでもない時代だ。

ちなみに今の越後は50%の五公五民。公田はもう少し安くなっているから実態として四公六民に近いと思う。さらに農閑期の産業育成や土木工事で銭を稼げるようになっているため、さらに年貢の負担割合は下がるはずである。場合によっては実質的に他国の半分以下かもしれん。

「義理堅い男か」

「北条が勢いを増してきておりますが、信虎は父である武田信縄の言いつけを守り、関東管領側の味方として北条を主敵としております。無駄に敵を作らぬようにしているともいえます」

「甲斐国内での国衆の支持はどうだ」

「20年前に父の弟の油川信恵と甲斐を二分しての争いに決着をつけ、甲斐武田を統一した後は順次反対派の国衆を打ち破り、地盤を固めているところかと思われます。今川とは、昨年戦がありましたが和睦しております。いまは、双方で牽制しあっているところかと思われます」

「甲斐国内の内政はどうだ」

「飢饉が発生したり、土砂崩れなどが発生したりなどの災害も加わり、年貢なども思ったほど集められていないように見受けられます。内情はなかなか厳しいかと思われます」

「わかった。引き続き武田から目を離さぬようにしてくれ」

「はっ、承知いたしました」

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