第34話 善光寺崩れ
大永7年12月中旬(1527年)
越後国と信濃国の国境は、いつもの年よりも多く雪が降っていた。
この時を好機と見て、越後上杉勢の善光寺平砦を攻めるべく、
「村上殿、越後の山猿どもはこの小笠原長棟がひとり残らず蹴散らしてやろう」
「小笠原様の援軍は非常に心強い限りでございます」
村上義清は、そう言いながらも言い知れぬ不安が心を占めていた。
まともな上杉方の情報が何ひとつ入ってこない。
偵察に出した間者は誰一人として帰ってこなかった。
入ってくるのは、農民たちの噂話ばかり。
『越後勢は兵が少ないようだ・・・』
『あの大きな砦に二千人程度しかいないようだ・・・』
『大雪が降ったから国境にも越後の兵はいないらしい・・・』
信濃守護小笠原長棟様はその噂話をすっかり信じ込んでいる。
元戸隠忍び‘’マシラ‘’から再三戦はやめた方がいいと言われたが、己の面子もあり引き返せないところまで来てしまった。
信濃守護小笠原長棟様は既に勝ったつもりで家臣たちに指示を出している。
「まだ間に合う。戦は中止すべきだ」
「マシラか、それはもう無理だ」
「こちらが放った間者は一人も帰ってきていないのだろう。それは全員、上杉に始末されたということだ。情報は全て相手が握っている。こちらの間者は帰ってこず、誰も確認していない怪しい噂話が一人歩きして、それを全ての味方が疑うことなく鵜呑みにしている」
「・・・・・」
「俺も確認しようとしたが入り込めん。街道の辻々。要衝という要衝に複数の兵と忍びが配置されている。それらを掻い潜ることは不可能だ。必ずどこかで発見されるように、死角が発生しないように絶妙に配置されている」
「・・・・・」
「義清、後戻りができない状態なら、村上の兵は後方に下げろ。小笠原の兵を前面に出せ。こちらが勝てば守護殿の手柄となり守護殿の面目がたち、万が一負けたら損耗するのは守護殿の兵、こちらの被害は少ない」
驚愕の表情でマシラを見る村上義清。
「・・・そ・・それは・・・」
「先陣争いの手柄を譲ってやるだけだ・・・ただ単に手柄を立てる機会を譲るだけだ・・・問題なかろう」
「・・だ・・だが・・・」
「腹を括れ・・・このままだと多くの家臣が死ぬぞ・・・いいのか」
激しい喉の渇きを覚え、唾を飲み込む。
「義清!ぼやぼやしていると手柄を我らで独り占めしてしまうぞ。ハハハハ・・・ものども、かかれ!」
小笠原勢の兵が上杉勢の陣へ向かい動き出した。
慌てて守護殿の元へ行こうとしたら、肩をマシラが強く掴む。
「いくな!」
「離せ・・・このままでは・・・」
その時、上杉に殺到しようとした小笠原殿の兵たちのところで激しい爆発音がなった。
次々に爆発音がなり、同時に兵たちが血まみれで倒れている。所々で火の手が上がり、炎に巻かれている兵も見える。
上杉側から黒い球体のようなものが飛んできては、爆発して炎を撒き散らし、兵たちが血まみれで倒れていく。
「な・・なんだ・・これはなんだ・・・」
驚愕のあまり動きを止める兵たち。
「マシラ、これはなんだ・・・」
「わ・・わからん・・何が起きてるんだ・・・」
黒い球体は次々に飛んできては爆発し、兵が倒れていく。小笠原・村上の軍勢は既にパニック状態となっている。
爆発が止むと同時に、正面から金属の盾を前面に隙間なくならべ、長槍を並べた上杉の兵が雄叫びを上げながら突進してくる。
「右翼より敵襲〜!」
右手を見ると赤備の鎧で統一された上杉の兵が小笠原・村上勢の横腹を突いて突進して来ている。
「左翼より敵襲〜!」
左手側からも赤備の上杉勢が現れた。
「何をしている。斎藤は右翼にあたれ。伊那は左翼にあたれ」
小笠原長棟の声は、焙烙玉の爆発音と重傷を負った家臣たちのうめき声にかき消される。
「な・・何をしておる・・急がんか・・・」
小笠原長棟の声も虚しく、突進してくる上杉勢に次々と討ち取られる家臣たち。
やがて逃げ出し始める足軽が出始める。
「長棟様、お味方は総崩れでございます。ここは危険です。急ぎお逃げください」
呆然として立ち尽くす小笠原長棟。
「我・・・我信濃の地において・・こ・・この信濃守護に・・・逃げろと言うのか・・・お・・おのれ上杉・・・」
3方向から上杉勢に責められた小笠原・村上勢は総崩れとなり、守護小笠原長棟は家臣や村上勢に構わず一直線に信濃府中(現在:長野県松本市)へと引き上げた。
「何を呆けている。義清!しっかりしろ」
マシラの言葉に我に帰る村上義清。
村上義清は、追い縋る上杉勢をかわしながら家臣たちをまとめ、善光寺平を離れるとそれ以上、上杉勢は追ってはこなかった。どうにか家臣たちをまとめることができ葛尾城へ帰ることができた。
信濃守護小笠原は四千人のうち半数が討ち取られる大敗となった。
村上義清側は、マシラの言葉に躊躇っていたことが幸いして1割程度の被害であった。
村上義清居城葛尾城
葛尾城は上杉の来襲に備え緊張感に包まれていた。
全ての家臣たちの脳裏にあの激しい爆発、一瞬のうちに炎に焼かれる兵、訳もわからぬまま血まみれになり倒れていく兵たちの姿が、焼き付いて離れなかった。
もしかしたら自分達もああなっていたかもしれんと思うと動揺を隠せなかった。
村上義清は広間に重臣を集めていた。
「我らの負けだ」
「まだ、負けた訳では・・・」
「屋代、先ほどの状態で戦えるか・・・」
「そ・・それは・・・」
「上杉と話をしよう。使者を」
そこに家臣が走り込んできた。
「義清様、上杉家より、使者が参りました」
「な・・何・・ここに通せ」
しばらくすると一人の若者が入ってきた。
「越後上杉家虎豹騎隊赤備第三軍を預かる柿崎景家と申します」
「村上義清である」
「我らが主上杉晴景様よりのお言葉でございます。村上義清様を重臣として召し抱えたいとのこと、条件は村上家及び家臣の方々の現在の領地の安堵でございます。それ以外はございません。それと、誰一人腹を切る必要は無いとのお言葉でございます」
「何ひとつ責任を問わぬと言うのか」
「晴景様よりハッキリとそう聞いております。これが条件を書き記した書状になります」
その書状を村上家の重臣が受け取り、村上義清に渡す。
「直ぐには返答できませんでしょうから・・・」
「いや、いま直ぐ返答しよう。儂の負けだ。上杉晴景様に従おう。雪解けと共に越後府中に挨拶に伺うと申し伝えてほしい」
「よろしいのですか」
「この村上義清に二言は無い。必ず雪解けの頃に挨拶に伺う」
「承知いたしました。晴景様にそのように伝えます」
柿崎景家はそう言うと葛尾城を後にした。
これにより北信濃一帯が越後上杉の支配地となった。
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