第32話 千客万来

大永7年10月(1527年)

信濃国衆が晴景のもとを訪れていた。

信濃国高井郡大岩城主須田満国、水内郡長沼城主島津貞忠の二人であった。

両者とも善光寺平砦に駐留している虎豹騎隊の精鋭ぶり。

上杉晴景の推し進める天下泰平銭の威力。

上杉晴景の戦力と銭の力の前に上杉晴景につくことを決め、越後府中に来ていた。

両者は越後府中の圧倒的な繁栄ぶりに驚きを隠せないでいた。

そして、赤備の甲冑姿の虎豹騎隊が堂々と組織的な軍事訓練を人々の前で繰り広げている。

二人は、何か戦が起きるのかと近くにいた通りすがりの商人に聞く。

「これは、いつものことだよ。晴景様が虎豹騎隊を組織なされてから、ほぼ毎日こうした訓練が行われているから珍しくもないよ」

通りすがりの商人はそう言って去っていく。

「・・・この激しい組織的な訓練を毎日・・・」

驚きながら歩いていると、激しい気合いの入った多くの声が聞こえてくる。

声のする方に歩いて行くと、大きな建物の中で木刀を振る多くの若者が見えてきた。

「・・・これだけ多くの者が同時に剣術の訓練をしているのか・・・」

二人は驚きの連続で越後府中の上杉晴景の屋敷に向かう。

ふと須田満国が山を見ると大規模な山城の工事が見えた。

「須田殿、あれはなんだ・・・」

島津貞忠が山を指差す。

「・・島津殿・・あんなでかい山城は見たことがないぞ・・・」

春日山城の大規模な改築拡充工事である。

元々の春日山城は防御力に弱く、内乱で度々落城してきていた。

だが、本拠地の城がそれでは困るからと、新守護上杉晴景の指示で工事が始まっていた。

軒猿衆の意見も取り入れ、攻めにくく守り易いうえ、忍びが侵入しにくい。

さらに籠城しても数年持つ城を目指して、城の領域を謙信の時代よりも大きく広げた上に、防御を手厚くするように考えている。

当然、越後特産青海黒姫山のコンクリートを使用である。



「晴景様」

「どうした、弥次郎」

「信濃国衆の須田満国殿、島津貞忠殿がお見えです」

「ここに通してくれ」

緊張した面持ちの二人が入ってきた。

「信濃国高井郡大岩城主須田満国と申します」

「信濃国水内郡長沼城主島津貞忠と申します」

「遠いところよく来られた」

二人は平伏している。

「此度はどうされた」

「我らは、上杉晴景様の支援を頂きたく参上いたしました」

「それは、儂に臣従することとなることを意味するがよろしいか」

「それは承知しております」

二人は事前に善光寺平にいる宇佐美定満を通じて恭順の意思を伝えていた。

「わかった。ならばこの紀州熊野本宮より特別に取り寄せた熊野誓紙にて、熊野権現に家臣として背かぬことを誓ってもらう」

弥次郎が素早く三宝に熊野誓紙を乗せ、それぞれのもとに運ぶ。

特別に熊野本宮より取り寄せた熊野誓紙は、和紙に独特の文字で‘’熊野山宝印‘’と書いてある。この熊野誓紙の裏面に起請文を書く。つまり書くことにより熊野権現に誓いを立てると言う事だ。自ら書いたことにより書いた内容を熊野権現に対して誓ったことになり、誓いを破ると地獄に落ちると人々に信じられてた。

二人は、丁寧に家臣として忠節を尽くす旨を記載した。

「これでお二人とその一族は我らの身内同然。共に発展繁栄してまいりましょう」

「弥次郎」

二人の前に金大判1枚、金小判50枚を運ぶ。

「それは、儂からの心ばかりの品。受け取ってくだされ」

二人は大いに喜び大判小判を大事そうに抱え帰っていった。

「弥次郎」

「ハッ・・・」

「これで北信濃で残る国衆は誰だ」

「北信濃で残るは村上義清のみでございます。他の国衆は全て恭順しており」

「思ったより早いな」

「しかし、戦をせずに北信濃をほぼ手中に収められるとは・・・」

「戦が必要なときは徹底的にやらねばならぬが、しなくて済むならしないほうが良い。誰もが戦なんぞしたくはないだろう。ただ、死ねば極楽に行けるなどと吹き込まれた狂信者どもは別だろうがな」

「確かに」

「そんなことを吹き込む奴らも罪な奴らだ。やっていることが大名と変わらんくせに、誰よりも権力争いをして、派閥争いをして、権謀術数を弄して他人を貶め、人一倍権力欲の塊となっている。そのことを甲冑の上に仏と言う名の衣を纏って誤魔化して、聖人君主のごとく振る舞っている。その上で、人々に死ねと命じている」

「そのようなことをはっきり申されるは、晴景様ぐらいではありませぬか・・・」

「そうかも知れん。戦なんぞしなくてすめばそれでいい。村上義清もそう遠くないうちにこちらに付くしかなくなるだろう。焦る必要は無い。ところで今年虎豹騎隊に入ったものは何人だ」

「信濃川河川普請に人が流れましたから1500人ほどの増加でしょうか」

「約7500人になるか。山吉に命じて鍛えさせたものたちが仕上がってきたであろうから、その分でいよいよ第三軍を編成できるな」

来春にでも、弥次郎を元服させて上杉謙信の四天王のひとり猛将柿崎景家として、第三軍を預けてみるか。

晴景の目に、改築中の春日山城がひときわ輝いて見えていた。



「晴景様、愛洲久忠殿がお見えです」

愛洲久忠殿が一人の若者を連れて入ってきた。年の頃は自分と同じぐらいか。

「晴景様。先ほど我が友の上野国上泉城主上泉秀継の嫡男である上泉信綱殿が、冬の間当家にて陰流の剣術の修行をしたいと参っておりますので、ご許可いただけますでしょうか」

愛洲久忠殿の後ろに控えている若者が頭を下げた。

「お初にお目にかかります。上野国上泉城主上泉秀継が嫡男、上泉信綱と申します。どうか剣術修行のため、逗留する件をお許しいただけます様にお願いいたします」

本来なら愛洲久忠殿が来年あたりに上野国に立ち寄り、上泉信綱を指導して印可を与えることで新陰流発祥の発端となり、剣聖上泉信綱の新陰流誕生へと繋がることになるのだか、なぜか向こうからこの越後国にやってきた。

「よう参られた。剣術の修行であれば気が済むまでいてもらって構わん。それは構わぬが、上泉殿の主である関東管領家と越後は不倶戴天の仲。よく周りが許しましたな」

「関東管領家も代替わりしております。そして、越後上杉家も代替わりいたしました。さらに、関東の情勢が目まぐるしく変わっております。いつまでもそんな事ばかりは言っておれんのでしょう。特に問題なく父からも許可を得られました」

「承知した。では、上野国との新たな関係となることを期待して、特別に修行間の上泉殿の住まいと生活費はこちらで負担しましょう」

「よろしいのですか」

「存分に修行されよ」

「ありがとうございます」

「早速ですが、晴景様。上泉殿と稽古されてみませんか」

愛洲久忠殿が稽古の誘いを言ってきた。

「承知した。離れにある道場で行いましょう」

政務が忙しくとも越後府中にいるときは、ほぼ毎日時間の長短はあれど愛洲久忠殿と稽古している。そのために屋敷の離れに小さいながらも道場を作っていた。

道場に入ると、いつも修行の前に目を閉じ、数回深呼吸を繰り返し、茶の湯の枯山水を思い浮かべると心身ともにリラックスして体の動きが良くなる。自分にとって一種のルーティンとも言える。

未来の剣聖と相対する。木刀を正眼に構える。不思議と心静かだ。

いつものように自分自身が、風も波も無い清涼な泉の水面になったような、そんな不思議な感覚となる。



上泉信綱は不思議な感覚に包まれていた。

上杉晴景様と相対していると、まるで自分自身と向き合っているかのような気がしてくる。

鏡のようにものを写す水面と向き合っているそんな感覚だ。

構えを変えると、それに合わせて自然に構えを変えていく。その動きは極めて自然で力みも無く滑らかに構えが変わる。

言葉に例えるなら‘’水鏡‘’。そう‘’水鏡‘’がしっくりくる。

水鏡に写った自分と相対している。

上泉信綱の家系は剣術一家だ。祖父は香取神道流、父は鹿島神當流を習得。信綱は香取神道流、念流を学んでいる。その修行の中でこのような感覚はなかった。

信綱は密かに感動していた。剣に道にこのような境地もあるのかと。

ここで納得いくまで修行しよう。そう心に決めた瞬間であった。

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