第30話 驚天動地

大永7年6月中旬(1527年)

越後守護上杉定実の家臣、黒田長門守は焦りを募らせていた。想像を遥かに超える速さで長尾為景、晴景親子の力が強くなっていく。

主君上杉定実の実弟定憲殿が撃たれて以降、反為景派の勢いは急激に衰えていた。

圧倒的な銭の力を元にした虎豹騎隊の圧倒的な戦力。

晴景が実質的に扱っている‘’天下泰平‘’銭の力の前に取り込まれていく国衆。

交易の拠点とも言える港は全て長尾為景、晴景親子に抑えられている。

虎豹騎隊と‘’天下泰平‘’銭の圧倒的な力の前にマトモに戦える国衆はもはや無い。

さらに、高梨家と組んで信濃国善光寺平に信濃進出の拠点を築いた。

「中条殿、力を貸してもらえんか」

越後府中にいた中条藤資を掴まえて、少々強引に自らの屋敷に招き入れた。

「もはや、長尾家の勢いは止めること無理だ」

「揚北衆が力を貸してくれて、力の元とも言える佐渡を抑えれば・・・」

「どうやって海を渡る。新潟津、蒲原津、柏崎津、直江津と大きな4つの港を抑えられていて、浜の衆や廻船問屋は全て長尾為景・晴景親子側についている。それに佐渡にはかなりの精鋭がいると聞いている。海を抑えられている状況で大した戦力を送れん。佐渡を抑えることはまず無理だ」

「・・・・・」

「長尾晴景殿の後ろには堺の大商人天王寺屋までいる。さらに北信濃の国衆も晴景殿に恭順の意思を示すものが何人か出てきていると聞いている。北信濃を戦もせずに支配下に収めようとしている」

「・・そ・・・そこを・・・」

「虎豹騎隊と称する長尾の兵の数と強さは尋常ではないぞ。さらに圧倒的とも言える情報を集める力。勝つにはそれらを全て上回る必要がある。しかしそれを超えることは不可能だ。たとえ国衆を集めてみても所詮は烏合の衆だ。長尾の兵は組織的な戦いをする。烏合の衆ではそんな長尾の敵ではあるまい」

「・・しかし・・・」

「無理なものは無理だ。いっそのこと晴景殿を定実様の養子にしたらどうだ。定実様の娘婿でもあり問題なかろう」

「な・・何だと・・名門上杉家を長尾にくれてやれと言われるか」

「頭を冷やせ・・・現実を見ろ。儂からはこれ以上何も言うことは無い。失礼する」

「中条殿・・・」

中条藤資は、止めようとする黒田の手を振り切り屋敷を後にした。



久しぶりにやることもなく、のんびりと志乃に膝枕をしてもらいゴロゴロしている。

上洛のおりに、志乃のために購入してきた手鏡を、志乃はいつも大事そうに懐に入れて、ことあるごとに手に持ってみている。

「晴景様」

「弥次郎か、どうした」

「黒田長門守殿が至急お目通りを願っております」

「黒田殿が・・・何か言っているか」

「ただ、急ぎとのこと」

「わかった。ここに呼んでくれ」

「承知いたしました」

「志乃、膝枕は中止だ。下がっていて良いぞ」

「黒田でしたら父の家臣。私も同席いたします」

「・・・まあいいか。好きにしろ」

しばらくすると黒田長門守がやってきた。

入口で太刀や脇差は置いてきたようだ。

しかし、あまり顔色がすぐれないようだ。

「どうしても内密にご相談したい事がございます。少し近寄ってもよろしいでしょうか」

「ここでの話は漏れん。そのまま話してもらって問題無い」

「上杉家をどうなさるおつもりで」

ギラついた目に変わり、そう言いながら少しずつにじり寄ってくる。

「どうするとは?」

「全てを乗っ取り、上杉家を潰すつもりであろう」

そう言うと同時に小刀のようなものを投げつけ、隠し持っていた小太刀で切り掛かってきた。

晴景に刃が届く瞬間、目の前に志乃が飛び出してきた。

「志乃!」

小刀が志乃の左肩に、黒田の横に振るう小太刀が志乃を切り裂いた。

「貴様」

「この狼藉者」

弥次郎が黒田の横から体当たりで倒し、黒田を組み伏せようとするが暴れて、庭に逃げ出そうとするが庭から軒猿衆が飛び込んでくる。軒猿衆に斬りかかろうとしたところで、軒猿衆に切り倒された。

「医者だ。田代殿を呼んでくれ、急げ」

血まみれの志乃を抱え晴景は、志乃の名を呼び続けていた。



志乃の父である越後守護上杉定実様が息を切らせて屋敷に駆け込んできた。

「志乃は無事か」

「義父殿。志乃はいま、田代殿の手当てを受けております」

「傷の具合は・・・」

「まだわかりません」

そこに田代殿が出てきた。

「田代殿」

「晴景様。志乃様の命は助かりました。懐に手鏡を入れており、手鏡が刃を防ぐ形になり命が救われました。傷口は縫合して上から傷薬を塗った紙を貼ってあります。刀傷は浅いと思われますがしばらくは絶対安静です。当分の間は毎日往診に参ります」

田代殿はそう言い残して帰っていった。

外科手術というと西洋医学と思うが、西洋医学が入ってくる前、この戦国時代にも外科手術的なことが行われている。

戦乱の世となって戦で刀や槍あるいは弓矢などで負傷者が大幅に増えている。それらの怪我の縫合などの治療を専門に行う医者を金創医きんそういと呼んだ。専門でなくても医者であれば金創医の心得のある者は多い。腹を切られ、腸が飛び出た者の腸を焼酎で洗い腹に戻し縫合などもしていると聞いている。

「すまぬ、家臣黒田のしでかしたことは儂のせいでもある」

「定実様・・・志乃の命が助かったのです。それで良いではありませぬか」

「・・・そうはいかん。晴景殿、ケジメは必要であろう」

思い詰めたようにそう言い残し、越後守護上杉定実様は帰っていった。



越後守護上杉定実様より親父殿を経由して全ての越後国衆に対して召集がかかった。

何が話されるのか親父殿も聞いていないそうだ。

とにかく全員を集めてくれとのことらしい。

集まった国衆の前の中央に越後守護上杉定実様がいた。

「急に集まってもらってすまぬな。今から儂の言うことよく聞いて欲しい。熟慮に熟慮を重ねた結果である」

国衆たちは何が話されるのか息を凝らして聞き入っている。

「娘婿である長尾晴景を正式に儂の養子にして上杉晴景とし、越後上杉家の家督を譲り、さらに越後守護を譲ることとする。異論は一切認めん」

あまりの出来事に親父殿も国衆も驚き呆気に取られていた。

「お待ち下さい。自分は何も聞いておりません」

晴景が声を上げた。

「当たり前だ。誰にも相談しておらん」

「なぜ・・・」

「少し、のんびりと生きてみたいと思ったからだ。守護など、いつまでもしがみついていると、人として大事なものを見失いそうだ」

上杉定実様が俺の方を向いてニヤリと笑い。

「朝廷と幕府には早急に届け出るゆえ、後はしっかり頼むぞ‘婿殿‘’」

俺が目指していた楽隠居を先にされてしまった。




夜、長尾為景は一人自室に引きこもっていた。障子を開けると雲一つ無い夜空には満月が柔らかい光を放っていた。

為景は目の前の三宝にぐい呑みを一つ置く。

酒の入った大きめの徳利から酒を三宝に置いたぐい呑みに注ぎ、次に自分の片手にあるぐい呑みに注ぐ。

「親父(為景の父、晴景、謙信の祖父である長尾能景)、俺の息子、あんたの孫でもある晴景がとうとう越後守護になったよ。信じられんことだよ。こんなめでたい日は、二人で満月を酒の肴に飲もうじゃないか」

為景は一口酒を飲む。

「あんたの大好きだった古酒だぜ。高かったんだぜ・・・二人で酒を酌み交わすこともなく、俺があんたを親父と呼ぶ前に・・・あんたは越後守護上杉房能に見殺しにされ・・・帰ってくることが無かった・・・裏切った神保慶宗と上杉房能は俺が倒して仇をとったよ。でもよ・・・心にポッカリと穴が空いたみたいでよ・・・何をしても塞がらんのさ。でも今日その穴が塞がった。晴景が上杉家を継ぎ、越後守護となった。心の底から涙が止まらなかったよ」

為景はまた一口酒を飲む。

「晴景の奴、いつの間にか俺を親父と呼ぶようになってんだぜ。羨ましいだろ・・・俺はあんたを親父と呼んでやれなかったのに・・・」

為景は、夜遅くまで一人で満月を見ながら酒を飲み続けた。

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