第24話 光と影
大永6年8月下旬
越後府中にある越後守護上杉定実の屋敷。
屋敷の主である上杉定実は憂鬱そうな表情をしていた。
「とうとう、弟の定憲まで討たれてしまったか・・・」
「定実様が安泰であればまだ上杉家は盛り返せます」
家臣の黒田長門守の言葉に力無く首を横に振る。
「儂は名前だけの守護にすぎん。なんの力も無い。長尾を見てみよ。凄まじい勢いで力を伸ばしている。特に娘婿である晴景の勢いが凄まじい。佐渡を切り取り佐渡国主となり、越後領内においては父為景を補佐し、次々に革新的な改革を推し進めている。まさに日の出の勢い。特になんと言ってもその圧倒的な戦力。もうこの越後国に長尾家に敵う国衆はあるまい。武力で勝てる国衆はいないだろう。我上杉家の家臣にあたる国衆も皆長尾家の圧倒的な力に恐れを抱いて、長尾為景、晴景親子二人の顔色を伺う状態だ。今の我らに盛り返す力は無い、残念だ」
「何を弱気になっているのです。ならば、縁戚でもある関東の上杉家を頼られてはいかがです」
「難しいだろう。永正6年に関東管領上杉顕定殿を長尾為景が討ち取っている。関係修復にはまだまだ時間がかかるであろう。上野(現在の群馬県)におられる今の関東管領である上杉憲寛殿は、まだ関東管領になったばかり、しかも勢力争いで相手が年少者だったから関東管領になれただけで、足元はとても脆弱だ。国衆や古川公方との争いもあり、とてもこちらに力を貸している状態ではあるまい。隙を見せれば、関東管領とは言え一気に倒される」
「定実様・・・」
「気にするな・・・儂のつまらん独り言だ」
「定実様、他のものが長尾に組したとしても、この黒田は何があろうと最後までお支えいたします。この黒田にお任せください。何としても上杉家の勢いを盛り返して見せます」
「そうか・・・頼むぞ」
本来の歴史では後年、長尾為景の指示で胎田秀忠が黒田家に養子に入り、黒田秀忠となり、この黒田秀忠が天文14年(1545年)春日山城内で謀反を起こすことになる。
大永6年9月中旬
越後府中はまさに好景気の様相を見せている。
戦力増強のための常備兵‘’虎豹騎隊‘’の創設と常備兵増員であったが、結果として越後府中に大きな賑わいをもたらした。
さらに上条定憲を討ち取ったことにより、揚北衆の越後北部以外での長尾家の覇権がほぼ固まりつつあることにより、越後北部以外での戦の恐れもなくなり人々に安心感を与えたことも大きな要因ともなっていた。
越後府中に行けば、食うに困らないとの噂が越後内のみならず近隣諸国にも流れ始めていた。
武で一旗あげたいものは虎豹騎隊を志願してくる。しかし困った噂も流れている。農民として生きていきたいものには切り開いた田畑を分け与え入植させてもらえるなどと勝手な噂話が流れてる。勝手な噂話を鵜呑みにしたものたちが次第に数を増やし、人集めをしなくとも勝手に人が集まり始めていた。
いきなりやって来た見ず知らずの余所者に土地をタダでくれてやるはずも無く、色々な制約と条件付きで貸し出すのだがそれで納得しないものはお帰りいただく。暴れるものは虎豹騎隊の見回り組に捉えられてしばらく強制労働となる。
虎豹騎隊が切り開いた新田の一部は周辺の集落に分け与えるが、大部分は公田として年貢を少し割安にして1年更新で貸し出している。年貢を誤魔化したりしたら貸出は取りやめとなり、追徴課税ならぬ追徴年貢を取られることになる。悪質な誤魔化しは死罪となる。
青苧と越後縮、越後上布の売上も右肩上がりで、青苧と越後縮や越後上布の税もかなりのものになっている。
晴景は、蔵田五郎左衛門の屋敷を訪れた。
屋敷の奥に入ると蔵田五郎左衛門がいた。
「五郎左衛門、頼んでいたものができたのか」
「出来上がっております。これは間違いなく売れます」
「フフフフ・・・そうか。では製造と販売は任せよう」
半月ほど前に蔵田五郎左衛門から、妙高方面の奥地に燃える黒い石があるとの話を聞いていた。石炭である。すぐさまそれを持って来させ、石炭であることを確認すると、細かく砕いてさらに粉状にして、そこにコンクリート用に採取させている石灰の粉を少量、さらに穀物を蒸して少し粘りを出したものを混ぜさせて固めるように指示した。天日干しをさせ数日経った。
火をつけると長時間燃え続けた。
「冬であれば暖を取れますし、野外であれば簡単に煮炊きの火を起こせますな」
「風通しの悪いところでは換気に注意せよ。熱で体調を崩すこともある」
一酸化炭素なんて言っても分からんから、熱がこもりやすく体調を崩すことがあることにしておくことにした。
「豆炭と呼ぶことにするか、豆炭の税は2割とする」
「承知いたしました」
しばらく、越後府中の様子を見て回って屋敷に戻ると見知った顔がいた。
「いや〜素晴らしい発展ぶりでございますね」
天王寺屋津田宗達がまたやって来ていた。堺と越後。決して近くないこの距離をよく移動してくるものだ。このバイタリティはどこからくるのか不思議だ。
「よくもまあ・・・決して近く無い距離をくるものだな・・・」
「明や琉球に比べれば近いものです」
「・・まぁ・・確かに・・・・・」
「この人の多さは、堺と大差ありません。いや、もしかしたらもう堺を超えているやもしれませんな」
この時代の境の人口は約3万人と言われている。
上杉謙信の時代になり直江津は人口3万人となる。謙信の時代の堺は5万人ほどか。
堺と同じかもしかした津田宗達の言う通り堺を超えているやもしれん。
しっかりとした街づくりが必要になってくるな。
「ところで新たな銭を造られるそうで」
「やれやれ・・・耳が早いな」
「商人には情報は命と同じでございますので」
「弥次郎、銭を各一枚持って参れ」
しばらくすると三宝の上に和紙を敷きその上に、金大判一枚、金小判一枚、五分金一枚、一分金一枚、銀大銭一枚、銀小銭一枚、銅銭一枚を載せてきた。
「宗達。手に取って見てみるがいい」
それぞれの面に‘’天下泰平‘’と刻印され、裏面には長尾家の旗印でもある‘’九曜巴‘’が刻印されている。江戸幕府の初期の小判は墨書きで書かれていたが、墨書きではやがて掠れて見えなくなってしまう。そのため、墨書きではなく刻印をさせていた。
宗次郎と他の職人たちは大量生産に入っているところだ。
それぞれ大量に必要になるため型を作り、型に溶かした金、銀、銅をそれぞれ流し込み作る方式にした。仕上げのみ人の手で行う。
「オオ・・・これは、見事な出来栄え!」
津田宗達は何度も両面を繰り返して見ている。
「せっかくここまで来たんだ。それは土産に持ち帰るといい」
「エッ・・・よろしいので・・・」
「構わん」
「ありがたく頂戴いたします。いつから使用されるので・・・」
「国衆に派手にお披露目したと同時だな。来月中頃かな」
「今後は、全てこれを使われるので・・・」
「そのつもりだ」
「承知いたしました。いや〜楽しみですな。この銭が越後中心に大きな変革を起こす予感がいたします」
津田宗達はそう言いながら手にした銭を飽きることなく眺めていた。
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