第9話 青き犬

「逢魔……? てめぇ、なんで」

「勘。アオが死にそうな匂いがしたけん」


 朝緒は未だ呆然とした様子で、大太刀の上であっても身を屈めて朝緒に視線を合わせようとしてくる逢魔を見上げる。


 死にそうって、何だ。俺はそう簡単に死にやしねぇ。こんな時にまで、皮肉を垂れやがって。

 勘って何だ。あと匂いって、何だ。やっぱりてめぇは犬かよ。


 朝緒はいつも以上に、何か無性に逢魔へと意味もなく悪態を吐いてやりたいむずがゆい気分であったが、小さく開閉する口からは何故か言葉が出てこない。


「お前は……五天将の狂犬!? まさか、毒芽人の俺を……う、ううう! 来るなぁ! ちかよるんじゃねえ!!」


 ようやく我に返った男は動転したように唾を飛ばして喚き散らかすと、闇雲に大太刀を振り回そうと暴れ始めた。

 逢魔はどこか煩わしそうな様子で、背後の男を流し目で一瞥する。あわせて、カツッ、と大太刀から飛び立ったかと思えば、瞬時に姿を消した。


「な、ど、どこに」

「きみ」


 男のすぐ耳元で無機質な声が凛と鳴った。その声に縛られるかのように、男の身体はびしりと固まって、声すらも封じられる。

 逢魔はいつの間にか男の背後へと密着しており、後ろから男の太い首を抱くように、長い右腕を巻き付けていた。そして、黒色のグローブで隠された指を艶めかしく滑らせて、つっと男の顎に触れる。


「せからし」


 バン。

 逢魔の左手にあった拳銃の銃口が、男のこめかみへと軽くキスしたかと思えば──短く笑った。

 撃たれた男は、白目をむいてずるりとその場に倒れ込む。倒れ込んできた男を目の前にした朝緒は大きく目を見開いて、逢魔へと怒鳴り散らした。


「てめぇ、逢魔! いくら何でも殺しは!」

「死んでなかよ。よく見て」


 朝緒は両腕を使って這いずるように男に近寄った。すると男は、どうやら気絶しているだけのようで、息をしていることがすぐにわかる。撃たれたこめかみにも銃創はなく、何やら灰のようなものがこびりついているだけであった。


「この弾、異形の死骸の灰を固めて作っているんだ。加えて祓いの力を、対異形専用の特殊な比率配分で込めている。撃ち込めば異形なら致命傷を与えられるけど、人間は死なないよ」

「……それを早く言え。馬鹿野郎」

「アオ、めんどくさい」


 逢魔は如何にも面倒臭そうな様子でそう語ると、早足で朝緒の下へと近づいてくる。そして、朝緒の脇から下の全身に巻き付いた糸に触れた。


「硬い。これ、ほどくのに手間がかかる」

「だろうな。曲がりなりにも、大蜘蛛の能力が再現された式神の技だ。クソほど時間がかかるだろうが……自力で解く。てめぇはもう帰って……」

「アオ、動くな。動いたら弾ぶち込む」

「おい! 相変わらず俺の話は耳に入らねぇのか! ……って、てめ!? 何してやがる!?」


 ガリッ。

 逢魔は突如、己の拳銃から一発の弾を取り出すと、それを口内に放って、いとも容易く噛み砕いた。砕いた弾を口に含んだ逢魔は、次に懐から銀色のジッポライターを取り出して火を灯す。そうしてなんと、その火を口元へと近づけ、朝緒を縛る糸へと向かって細く鋭い息を吹き出した。


「ぐわっ!? 熱っ……くねぇ……?」


 逢魔が吹いた息はジッポライターの小さな火を大炎と成し、朝緒を縛る糸を焼く。だが、その炎は糸だけを焼くだけで、朝緒は火傷するどころか熱ささえも感じなかった。


「火に弾の祓いの力を混ぜた。だから人間のアオは痛くならんよ。いちいち大袈裟」


 異形の血も引く朝緒だが、どうやら逢魔の特殊な〝灰の弾〟とやらは、人間の血を少しでも引いてさえいれば傷つくことは無いらしい。

 それを何となく悟って、思いがけずほっと息を漏らす朝緒だったが、直ぐに咳払いをして短く吠える。


「……うっるせぇ!」


 朝緒はどこか居心地悪そうに相変わらずの悪態を吐いて、逢魔からそっぽを向く。そしてしばらくの沈黙を置いて、朝緒は逢魔に小さく尋ねた。


「……俺はてめぇの大嫌いな異形を守って、そんで自分の力不足であんなことになってた。……なんで、ここに来た」


 朝緒は、未だ心の底で微かに渦巻いている逢魔への恐怖心に突き動かされて出たその言葉に無性に苛立って、歯を食いしばる。

 しかし、そんな朝緒の葛藤もつゆ知らず。逢魔は小首を傾げ、あっけらかんとした様子ですぐに朝緒に応えた。


「アオの死に方には興味があるから。でも、あんなくだらない死に方は興醒めだけど……それにアオは、ぼくのらしいし」

「……は?」


 聞き間違いだろうか。朝緒は思いがけず間の抜けた声を漏らす。


「俺が……てめぇの相棒?」

「? だってアオ。初めて会った時からずっとぼくに付きまとってくるし」

「んな!? つ、つきまと!? 別に俺は!」

「そういうのを〝アイボウ〟っていうとでしょ。落神が言ってた」


 朝緒は思いがけず、首だけで逢魔を振り返る。逢魔はひたすらに真っ直ぐな眼で、こちらを見据えていた。


「あと、そのアイボウとやらなら。アオの死に様も近くで見れそうだしね。ちょうどいい」


 朝緒は幽世の世界を初めて見た時よりも信じられないような顔で、逢魔を見返す。そして、己の心の底で渦巻く恐怖心へと——言葉にできない、小さなヒビのような感情が新たに生まれた。

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