第7話 大禍時
不意に耳を刺したのは「ゴキッ!」という、頭上から降ってきた不気味な轟音。
併せて、一発目の音で口火を切ったかの如く辺りの木々が「バキバキバキ!」とへし折れるような音を立て始め、それらが波のように押し寄せてきた。
(逢魔か!?)
危機を察した朝緒は瞬時にくるりと回って人間の姿に戻り、赤子を抱きかかえて転がるように走り出す。すると、朝緒と赤子が一瞬前までいた場所には無数の粗く切り倒された大木が折り重なっていた。
「よぉやく見つけたぜ。うちの目玉商品と、その盗っ人をよお!」
野太い声が聞こえてそちらを振り返れば、そこには人間の身の丈ほどもある大太刀を朝緒へと構えた、体格のいい男が立っている。朝緒は腕の中の赤子を丁寧に抱え直しながら、険しい顔で男を睨めつけた。
「何モンだ? てめぇ……見てくれからして、異形殺しに見えるが。人間の俺に対して何のマネだ、これは」
「おお。ガキのくせに、お前も異形殺し……同業者か? まあいい。お前が持ってるその異形の幼体を引き渡せ。俺ぁ、異形殺しとしてそのバケモンを処分しなきゃならねぇからよ」
男の言葉を当然訝しんだ朝緒は、素早く視線と思考を巡らせて、男を観察する。
男の持つ大太刀は、滅多に手に入るような代物じゃない。周囲の大木を次々となぎ倒すほどの凄まじい切れ味からして、相当の〝祓いの力〟が込められている。加えて、その大太刀の鞘には〝柊紋〟。最後に何より引っ掛かったのは、男の先ほどの第一声、「目玉商品と、その盗っ人」という言葉。
(まさか……ここの幽世門こそが、チビが保護された……? クソ! クラゲにもっとよく詳細を聞いておくべきだった!)
朝緒は眉を顰めて舌を打つと、一度目を伏せて短く息を吐き出し、再び強い視線で男を見据えた。
「てめぇ、柊連の異形殺しだな? そんで、このチビを攫ってきて、異形市で売り飛ばそうとしたド屑もてめぇか……柊連の規律において、連に属する者が異形市に関わることは固く禁じられているはずだろ。……この〝
柊連においては、規律を破ったり、重大な〝罪〟を犯した異形殺しのことを〝
朝緒の糾弾を受けた男は、口角を大きくつり上げて歪に笑うと、手にある大太刀を大きく振るって見せた。
「なんだ。ガキのくせにずいぶんと物知りじゃねぇか。……んじゃあ、知られちまったからには、死んでもらうしかねぇよな!?」
男は懐から一枚の札を取り出した。そうして、その札を地に叩きつけると——膨大な土煙を立てて、人ほどの大きさをした大量の蜘蛛が溢れ出す。
蜘蛛たちは途端に、朝緒と赤子に向かって大量の糸を吐き出してきた。朝緒は間一髪で何とか避けきるが、その間にも蜘蛛たちはわらわらと朝緒に群がってくる。
「その鴉天狗の幼体は何が何でも頂くぜ? 鴉天狗は滅多に市場に出ねぇからな、相当高く売れる! そんでお前は、うちの式神の餌になってもらおうか!」
足元まで群がってきた蜘蛛たちを蹴飛ばしながら、朝緒は必死に走り続けた。ついに息も切れ始めたころ、朝緒の視界の端に〝幽世門〟が映る。
(こんな躾のなってねぇ式神共を引き連れて、表の道に出るわけにはいかねぇ! クッソ……! だが、こうなったら……!)
一瞬だけ逡巡した朝緒であったが、己を見上げてくる赤子の無垢な眼差しに、とうとう覚悟を決めた。
現世の時は既に逢魔が時。沈みゆく太陽の昏い橙色が空を支配し、〝大禍〟を呼び寄せ始める。その大禍共が無数に蠢く世界——それこそが、〝幽世〟。
朝緒はこれまでの人生で幽世に足を踏み入れたことは、一度たりともない。己の血の半分が生まれたその世界は、死地か魔境か——それとも地獄か。
気が付けば、目の前には禍々しい巨大な鳥居、〝幽世門〟が迫っている。朝緒は己を鼓舞するように大きく頷くと、強く、強く歯を食いしばって。鮮やかに燃えはじめた夕焼けを背に、幽世門の向こうへと飛び込んだ。
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