Ark 明日、世界が終わるとも

埴輪

Ark 明日、世界が終わるとも

 ──二十年後、世界は滅亡する。


 政府の発表がもたらした混乱は、武力によって鎮圧された。

「魔法の濫用」……滅亡の理由を、まざまざと見せつけるように。

 多くの国が、黒騎士とその魔法によって粛正された。

 

 そして、最後の一日が始まる。


 ※※※

 

 くすんだステンドグラスから、朝日が差し込む議事堂。

 壇上のスクリーンには、粛正の様子が映し出されている。

 それを眺めるは、黒騎士。巨大な体躯──魔導甲冑アーマード・ギア──を受け止める椅子は、玉座のよう。

 腕を組み、頭部のカメラを通じて、モニターを眺めている。


「この子だけは!」


 映像の黒騎士は、光の刃を懇願する女の胸に突き刺す。

 その瞬間、女の表情は恍惚とし、光の粒子となって消えた。


「お母さん!」


 残された子供の叫びが、スピーカーに走る。

 

「悪趣味ですね」


 議事堂の入り口に手をかけ、若い男が声を放つ。着崩した軍服。

 黒騎士は振り返ることなく応じる。


甲冑ギアはどうした?」


「着ますよ。出撃の時は、ね。それとも、俺も粛正しますか? 最後の部下を?」


「……マーティも逝ったか」


「ええ、昨晩。俺の目の前で、『福音』をごくりとね。綺麗なもんでしたよ」


 安寧な死をもたらす魔法薬「福音」は、魔導甲冑の「光の剣」と同じ効果を持っていた。


「ロイド、なぜお前は残った?」


「隊長のため、と言ったら、信じてもらえますかね?」


「どのみち、理解はできんな」


 黒騎士は巨躯に不釣り合いな懐中時計に目をやり、立ち上がった。

 黒騎士が腕を振ると、スクリーンは消滅し、スピーカーの音も途切れた。


「本当に行くんですか?」


「他に道はない」


「明日、世界が終わるってのに、何を粛正するっていうんです?」


「無論、違反者だ。それが我々の使命だ」


「それを下したお偉いさんも、消えちまったのに?」


 ロイドの言葉を、黒騎士は否定しなかった。

 もはや、政府で生きているのは我々だけだろう。

 話に伝え聞く、「方舟」とやらにすがっているのでなければ。


「好きにしろ。私は行く」


「俺もいきますよ。案内役なしで、どこへ行こうっていうんです?」


 目的地は魔導網ネットで共有済みだが、黒騎士は何も言わなかった。

 多少のことは、大目に見てやってもいいだろう。明日、世界は終わるのだから。

 

 ※※※


 正午。乾いた砂に町が沈む、廃墟。

 黒騎士はレーダーの捜索範囲を広げたが、人の気配を感じることはできなかった。

 砂塵に目をこらす。カメラではなく、その内なる肉眼を。


「逃げちゃったんじゃないんですかね」


 魔導甲冑を着込んだロイドは、お手上げの動作をしてみせる。


「魔術的なステルスだろう。砂塵が厄介だが、目で探せ」


「もう、いいんじゃないですか?」


「何だと?」


「俺達はよくやったと思いませんか?」


「……そうだな。最後まで、よくやりたいものだ」


「隊長は、本気で信じてるんですか? 明日、世界が滅んでしまうなんてことを」


「違反者のような口ぶりだな。世界の滅亡は、政府の決定事項だ」


「そうじゃなくて、隊長は、これでいいんですかって話ですよ」


「くどい」


「……俺には信じられないんですよ。俺は二十歳。いわゆる『最後の世代』って奴です。余命は世界が終わるまでの二十年しかない。子供の頃は、そういうものだと思いましたが、人間の寿命はもっと長いじゃないですか。二十年なんて、短すぎる」


「安定剤を、飲んでいないのか?」


「ええ。カウンセラーの先生も、先に逝っちまいましたからね。福音さえあれば、もう何もいらないだろうって。だから、仲間はみんな逝った。マーティも。先生は、正しかった」


「そうだな。福音を飲め。今すぐにだ」


「そして、作られた幸せの中で消えていけと? 何一つ、残さず?」


 黒騎士は剣を構える。人を、喜びの中で死に至らしめる力を。


「せめて、私が送ってやろう」


「それは願ったり叶ったりですが──」


 レーダーが反応。砲撃。黒騎士はそれを素早くかわす。今や、レーダーには無数の敵影が映し出されていた。罠……いや、裏切りか。しかし、謀反者の声は上擦っていた。


「おい! まだ約束の時間は──」


 黒騎士が剣を振るい、魔法弾を弾いてロイドを守る。


「最初から、我々を仕留めるつもりだったようだな」


「畜生っ! 隊長、俺は──」


「やることは変わらん! さっさと終わらせるぞ!」


 ──そうすれば、お前の戯れ言を聞いてやる時間があるかもしれないからな。

 黒騎士は、心の中でそうつけ加えると、向かってくる魔導甲冑に切っ先を向けた。


 ※※※


 空がほのかに赤く染まる頃、黒騎士が最後の魔導甲冑を切り捨て、粛正が完了した。

 乱戦。違反者も、これが最後と、出し惜しむことがなかった。

 それにしてはと、黒騎士は白騎士が出てこなかったことを訝りながらも、剣を納める。

 黒騎士は部下のもとへ向かい、四肢が切り落とされた魔導甲冑の残骸を認めた。

 抱き起こし、魔導甲冑の胸部を引っぺがすと、血まみれのロイドが露わとなる。

 息はあったが、まだ死んでいないだけだった。

 黒騎士は剣を抜いて、切っ先をロイドに向ける。


「……ま、待ってください」


 黒騎士は手を止める。ロイドの顔は青ざめ、刻一刻と、命が流れ落ちていく。


「なぜ止める? この剣を受ければ──」


「ええ、でも、特効薬があるんですよ」


「福音か」


「……違います。隊長、甲冑を、脱いで貰えませんか」


「何を──」


「俺が、何も知らないと、思ってるんですか? 俺だけじゃない、でも、誰も言えなかった。言っちゃいけないことだから。だけど……」


「なぜ、そんな──」


「お願いします。早く、このままじゃ……」


 黒騎士が呪文を口にすると、魔導甲冑の前方が開き、金髪の少女が姿を現した。

 その青い瞳に見詰められ、ロイドは満足そうに頷き、震える右手を伸ばした。

 その手が左頬に振れると、少女は血で濡れることも厭わず、自らの手を重ねた。


「可愛いなぁ……」


 ロイドの手が落ちる。死んだ人間、遺体を目撃するのは、造物主以来だった。

 ──頬に、触れられたのも。 


 レーダーが反応。少女はロイドから身を離し、素早く魔導甲冑を身にまとう。

 この反応は……振り返ると、白騎士の姿が。因縁の相手。

 そうか、私を消耗させる作戦だったのかと、少女……黒騎士は身構える。

 だが、ここで戦ってはいけないと、とっさに思う。

 その理由がわからないまま、黒騎士は飛翔し、白騎士もその後を追った。

  

 ※※※


 人が人以上の魔法を操るために作られたのが、魔導甲冑である。

 そして、魔導甲冑を人以上に操るために作られたのが、私だった。

 私の指命は、最高の魔導甲冑「黒騎士」を操り、違反者を粛正することである。

 造物主自身も、それが私の存在意義であると、ずっと口にしていた。

 ……それなのに。


「あなたには、自由に生きて欲しい。あなたは、私の──」

 

 何を言っているのか、わからなかった。

 ただ、私の頬に触れる造物主の手は温かくて、柔らかくて、優しかった。


 ※※※


 ──目覚めた瞬間、自らの頬を撫でる人影に向かい、少女は拳を繰り出した。


「うわっと!」


 身を翻し、距離を取ったのは、赤髪の女性。夕日を受けて、なお赤く染まっている。

 少女は赤髪の女性に注意を向けつつ、周囲の様子を探る。

 廃墟の一つ。敷かれた毛布の上に、横たえられていたとわかる。

 少女は軍服のポケットに手を伸ばした。懐中時計に触れ、心を鎮める。


「ごめんごめん! あんまり可愛かったから、つい」


 赤髪の女性は、両手の人指し指と親指で四角を作り、少女を眺めやる。


「あと十年もしたら、私の娘もこうなるのかしらん」


「……お前は?」


 赤髪の女性は胸を張り、親指を自分に向ける。


「アリッサ・リンドバーグ。でも、白騎士の方が通りがいいかしら?」


「……女だったのか」


「あなたこそ、『漆黒の死神』がこんな可愛い女の子だなんて、詐欺だわ」


「見た目は関係ない。私は違反者を粛正するために作られた、人工生命体だ」


「……そういう名目じゃなきゃ、子供が作れないなんてね。あなた、お名前は?」


 少女はその問いに答えることなく、自身の記憶を浚う。

 白騎士との戦いは、終始劣勢だった。粛正のために多くの魔力を使っていたからだ。

 時があれば回復もするが、短期決戦を是とする魔導甲冑での連戦は、無謀だった。

 ましてや、相手が政府の宿敵、「白銀の悪夢」であればなおさらだ。

 

「なぜ、私を殺さなかった?」


「ちょっと、手伝って欲しいことがあってね」


「……正気か? 私は違反者を──」


「方舟って知ってる?」


 アリッサの問いに、少女は小さく頷いた。


「くだらん噂だ。滅亡を超え、楽園へと至る船」


「そ。私の娘が連れていかれちゃってさ」


 アリッサはジャンプスーツをまさぐり、写真を取り出すと、少女に差し出した。写真にはアリッサによく似た、赤髪の少女が写っていた。笑顔。


「可愛かろう? 私の愛娘アリスちゃん、今年で五歳だ!」


「……実在するのか?」


「合成写真じゃないわよ!」


「方舟の話だ!」


「ああ、するする! 半信半疑だったけどね。夫が話を持ってきてさ。私もアリスも断ったんだけど、あんにゃろ、アリスをつれて行っちまったのよ」


「なぜ断る?」


 少女はそう口にすると、それが信じられないとでも言うように、口を手で押さえた。

 アリッサは写真をポケットにしまい、ぽんぽんと叩いた。


「……誰もが救われるっていうならいいんだけどね。方舟は定員がある。乗車券はべらぼうに高いんだけど、あんにゃろ、コロニーの資金に手を出しやがってね。そこまでして、生き延びてどうすんのって話。私達、あなたの言うところの違反者がね、滅亡を前にしても、それでも変わらず、その先まで生きていこうってのは、自分のためじゃなくて、未来のためなのに、あんにゃろは、それがわからなくなっちゃったのよね」


「世界は滅びないと思っているのか?」


「ううん。むしろ、その逆かな。滅んじゃうからこそ、きちんと生きたいというか」


「……理解できない」


「だよねー。結局、エゴでしかないのよ。多分、最後の瞬間は、娘と一緒に迎えたい。ぎゅーっと、抱き締めてね。それが、幸せじゃないかなって」


「娘が生きのびるよりも?」


 アリッサはぎくりとして、赤毛をかきむしった。


「……それが、悩ましいんだよね。夫が方舟の話を持ってきたのも、アリスのためだろうし。アリスのことを思えば、それが一番なのかもしれないけれど」


「娘は断ったんだろう?」


「そ! まだ死とか、終わりとか、分かってないだろうけど、それにすがりたいんだろうね、私は。……ごめん、子供にする話でもなかったわね」


「見た目は関係ないと言ったはずだ」


 子供か、と少女は思う。

 ……もし、私が子供だとしたら、私は、あの人の娘と言えるのだろうか。

 

「自由に生きて欲しい」


「え?」


「私の造物主が、今際に残した言葉だ。その意味が、私にはわからない」


 首を振る少女に向かって、アリッサは微笑みかける。


「その通りの意味よ。使命とか、そういうんじゃなくて、あなた自身がやりたいことを、やって欲しいってこと。生きている限り、終わりの時がくるまでね」


「親は、子にそう願うものなのか?」


「……そうね。そうだと思う。だって、たった一度の人生だもの」


 少女は懐中時計を取り出した。

 それは少女が生まれた時が時を刻み始め、世界が滅亡を迎える時、針が一回りするように設定されたもので、造物主から、少女が生まれて何年目かの節目に手渡されたものだった。

 今や、その針は十二時を目前としてたが、まだその時を迎えてはいなかった。

 

「場所はわかるのか?」


「え、ああ、うん。一度、一人で行ったんだけど、真っ赤な魔導甲冑が厄介で──」


「なら行くぞ。世界が滅ぶ前に、な」


「……クロちゃん! ありがとう!」


 アリッサは少女に駆け寄り、その両手を取って、ぶんぶんと上げ下げする。


「なんだそれは?」


「黒騎士だから、クロちゃん。だって、名前を教えてくれないんだもの!」


 ※※※


 方舟。闇夜に浮かぶ、巨大な船。人々は、大広間に集められていた。

 そこには、色々な人がいた。政府の高官も、違反者の代表も。

 共通していることは、誰もが裕福であるということだった。

 大広間の舞台に今、映像が映し出された。仮面の男が、恭しく頭を下げる。


「皆様、お集まり頂き、ありがとうございます。ご不便をおかけしまして、誠に申し訳ございません。規定の人数を大幅に上回ってしまいまして。ですが、しばしのご辛抱です。皆様を、皆様に相応しい楽園へとご案内することを、代表である私が、お約束致します。

 まず、申し上げておきたいことは、方舟自体は、楽園ではございません。あくまで移動手段となりますので、その点は皆様、どうぞご安心くださいませ。

 さて、楽園への旅立ちに先立ちまして、しばし、私の話にお付き合い頂ければと存じます。

 世界の開闢からお話しすると長くなってしまいますので、あの宣言からに致しましょう。二十年前。皆様は、あの宣言を覚えていらっしゃいますでしょうか。

 時の政府、今は亡き首相の声明により、二十年後、つまり明日、世界が滅亡することが明らかとなりました。その後の混乱は激しいものでしたが、世界は概ね、良くなりました。

 なぜか? それまでは、何百年、何千年までを見据えていた世界が、あとたった二十年維持すればいいとなった時、大きな余裕が生まれたのです。つまり、この二十年は、滅び行く人類にとって、最高の二十年にすることが可能となったのであります。

 さて、滅亡の原因ですが、魔法の濫用とされております。魔法とは、そもそも二百年前、一人の偉大な魔法使いが体系化した、奇跡の力です。それは、主流となっていた科学技術を押し退け、人類の文明を大きく飛躍させる礎となりました。

 ただ、その力の根源は、完全に解き明かされたわけではありません。いや、只一人、偉大なる魔法の創始者だけは、全てを知っていたのかもしれませんね。

 ともあれ、我々の理解の及ぶ範囲で言えば、魔法とは可能性の前借りでした。この先に起こりうる様々な可能性を食い潰した結果、未来は閉ざされてしまったという訳です。

 もちろん、様々な異論、反論はございましたが、これを覆すには至らず、今日では定説となっておりますが、これが真っ赤な嘘であることを、ここに申し上げます。

……おっと、早とちりはいけません。世界の滅亡が嘘だったわけではありません。ただ、少々、事情が異なりまして。ここで、特別ゲストをご紹介致しましょう!」


 仮面の人物が指を鳴らすと、スクリーン新たな映像が映し出された。

 悲鳴が上がる。映し出されたのは、棺のような容れ物に入った老人だった。

 何らかの液体に浸されたその枯れ果てた体には、無数のコードが接続されている。 


「少々、刺激が強かったでしょうか? 死体なんて、福音がもたらされて以降、お目にかかった方も少ないでしょうからね。ただ、ご安心ください。これは死体ではありません。まだ、生きております。意識もなく、寝たきりではありますがね。

 ともあれ、彼こそが魔法の創始者ヘルメスです! 彼が魔法を求めたのは、なぜ人間は死ぬのかという、素朴な思いだったと聞き及びます。そのため、神の摂理の代弁者ホムンクルスを生み出し、その英智をもって、魔法を体系化したのです。

 ただ、数々の奇跡を起こした彼でも、死を克服することはできませんでした。それは、老いと死は人類にとって救いであるからです。終わりがあるからこそ、人はその先に進める……逆説的ではあますが、それは概ね、真理でありましょう。個人の時は有限かつ短いものではありますが、人という種は、悠久の時を生きられるのですから。

 しかし、彼は納得できませんでした。何か方法がないかと探し続け、結果、不可能であると結論づけるしかなかった、彼の絶望はいかほどのものだったか。

 何しろ彼は、自らが死んだ後も、世界が、人類が存在しているのはおかしいと思うようになってしまったのですから。これは単に、彼のエゴイズムという訳ではなく、全てが等しく終わりを迎えることが、真の平等であるという、ヒューマニズムに基づいて……いや、無理がありますよね。それもそのはず、この考えに至った時点で、彼はもう百八十年も生きていたわけですから、もはや人らしく生きられる時は過ぎていたのだろうと思われます。ただ、その力は健在でしたし、ホムンクルスもいましたから、本当に作り上げてしまったのです。世界と、人類と、無理心中するための機構を。

 つまり、彼が死んだとき、世界は滅び去る。これはもう、厄介な問題でした。それが発覚した時点で、当時の政府の上層部は頭を抱えました。彼を殺すわけにはいきません。その時点で、世界が滅んでしまいますからね。そして、彼を眠らせ、延命したとしても、二十年が限度……そう、これこそが、世界滅亡の原因なのです。

 ただ、皆様、真相が明らかになったらといって、取り乱す必要はありません。なぜなら、世界が滅ぶという結果自体には、違いはないのですから。

 では、なぜ私があえて、このタイミングで真実を明らかにしたか。その理由は一つです。彼の機構を覆したからです! 他ならぬ、私の手によって! ……とはいえ、私は自分を天才だとか、救世主だとかのたまうつもりはございません。ただ一つのことを思いつき、それを実現するために、全身全霊を尽くした……ただ、それだけなのですから。

 私が調査した限りでも、彼の無理心中を止める方法は見つかりませんでした。ただ、世界ではなく、別のものと運命を共にさせることなら可能ではないかと思いつき、研究に研究を重ねた結果、生み出されたのはこの方舟というわけです!

 ……ああ、逃げようとしても、無駄です。世界の身代わりになるんですから、それはもう、頑丈に作ってありますので。皆様から頂戴した資金が、大いに役立ちました。金さえ払えば、用途もわからぬまま、最高の技術を惜しみなく行使して頂ける方が大勢おりましたし、方舟の乗船券欲しさに、あらゆる非合法、犯罪行為に手を染めてくださる方々もおりました。

 ここにお集まり頂いた皆様は、誰よりも自分が助かりたいと望んだ方々です。金という対価を払えば、何でも思い通りになると考えている方々です。自身が持つ力を、誰かを救うとか、助けるとか、そういうところに発想がいかなかった方々です。例外があったとしても、この船に乗っている時点で、同じ穴の狢でありましょう。ですが、ご安心ください! この世界には、これだけ多くのお仲間がいて、共に楽園へと旅立ってくれるのですから。

 ……おっと、慌てて福音を飲まなくても大丈夫ですよ。滅亡時のエネルギーは相当なものですからね、痛みや苦しみを感じることなく終わりを迎えられることを保証致します。きっと魂すら……もし、そういうものがあるとしたらですが、残ることは不可能でしょう。

 今、皆様の目には、私が悪魔のように映っているかもしれませんね。ですが、あの時、私が見た皆様のお顔こそが、悪魔そのものでした。

 私の娘は病弱で、長くは生きられないと言われていました。ただ、魔法薬があれば助かる類いのものでもありましたが、その魔法薬はとても高価で、一介の魔法研究者が手を出せるようなものではありませんでした。しかし、日々弱っていく娘を前に、私は盗みに手を出してしまいました。逮捕された私は懇願しました。自分はどうなってもいい、ただ、娘だけは助けて欲しいと。話を聞いてくれた警官は、必ず娘を助けると約束して下さいました。

 数年後、刑期を終えて出所した私を、元気になった娘が出迎えることはありませんでした。私が盗んだ魔法薬の代金として、体を売ることを強要され、発作を起こし、息を引き取ったそうです。そのことを伝える手紙だけを残し、警官は姿を消していました。

 ……金がなかったのがいけないのかもしれません。盗みを働いたのがいけなかったのかもしれません。ただ、誰か、一人でも、何かをして貰えたらと思うのは、おこがましいことだったのでしょうか? その後、失意の私に声がかかりました。私が魔法学会にいた頃、危険視された論文……『世界の滅亡に必要な魔力の行使について』が、彼の目に留まったのです。

 それから、私は彼の助手として、世界を滅ぼすための研究に従事しました。そして完成に至り、莫大な報奨金を頂きました。その使い道は、皆様のご想像にお任せします。

 私としましては、このまま彼と運命を共にしても良かったのですが、方舟の噂を耳にしたことで、大金を払って生き延びようとしている人々を、一網打尽にする計画を思いついたのです。考えてみると、世界にはなんの恨みもありませんでしたからね。

 ともあれ、皆様は世界に、人類の未来には相応しくない。皆様がいなくなれば、人類もより良い方向に進んでくれる……私はそう信じております。

 では皆様、滅びの時まで、今しばらく、ご歓談をお楽しみくださいませ」


 ※※※


 満月に照らされる方舟。

 飛翔する白騎士と黒騎士の前に、赤騎士が立ち塞がっていた。深紅の魔導甲冑。

 接敵後、何度となく繰り返された攻防の後、赤騎士が白騎士と黒騎士の魔導網に送信した映像は、戦いを忘れさせるには十分な内容であった。


「……以上が、事の真相です。方舟は間もなく消滅します。同時に、この世界から魔法という力も失われます。全ては、一人の男が生み出した虚妄の産物だったというわけです」


「冗談じゃない! そんなところに、娘を置いておけるか!」


 白騎士が吠え、剣を振り下ろす。それを軽くいなし、赤騎士は頷く。


「彼女の母親は、あなたでしたか」


「娘を知っているのか!」


「困りましたよ。方舟には、二十歳以上という年齢制限が──」


「なら返せ! 今すぐ!」


「──時間です。皆様、ごきげんよう。世界を、人類をよろしくお願い致します」


「お前は、それでいいのか?」


 黒騎士は声を絞り出す。一体、これにどれだけの意味があるというのか。

 ──いや、意味なんてものは、もう。


「娘が生きていてくれたら、きっと──」


 ──爆発。いや、爆縮といった方が良かった。

 一瞬の光。それが急激に巻き戻り、消えた。

 空にはもう、方舟はなかった。

 そして、三体の魔導甲冑も、地上に向けて落ち始めた。

 魔法の力が失われた今、魔法で動くこれらの兵器が、飛べる理由もなかった。

 黒騎士は懐中時計に触れたかった。その文字盤を、月明かりに照らしたかった。

 針は十二時を指しているのだろうか。しかし、それを確かめる術は、もう。

 ──お母さん。


 ※※※

 

 ──目を開く。

 生きて、いる?

 淡く光っている、赤いボタンに手を伸ばす。

 魔導甲冑の胸部が開き、差し込む日差しに目を細める。

 身を起こす、首を巡らせる。

 黒騎士だったものは、胴体部分を残し、千々に散らばっていた。


「クロちゃん! 無事だったのね!」


 駆け寄ってくる人影。赤髪。アリッサ。

 ……白騎士に守られたのだろう。自分と、同じように。

 差し出された手を掴み、立ち上がる。

 見渡す限りの荒野。吹き付ける風は涼しく、乾いていた。


「この分じゃ、あの仮面野郎も生きてるだろうね」


「助かった、のか」


「とりあえずは、ね。ここがどこかも分からないし、魔導甲冑もこれじゃね。積まれてた食料と水は使えるだろうけど……」

 

 アリッサは急にしゃがみ込み、両手で顔を覆った。肩を震わせ、泣いている。

 ……無理もない、娘と夫を失ったのだから。


「ママ!」

 

 子供の声。アリッサは弾かれたように立ち上がり、「アリス!」と絶叫する。

 駆け寄る少女に向かって、転がるように走り続け、その身を抱き締める。

 

「あんた、どうして!」


「おふねでね、パパがいなくなって、おじさんがさがしてくれるって、そこでまってって、そしたら、ねちゃって、おきたら、なんかひかってて、それで……」


「……うん、うん、赤騎士が、アリスだったのねぇ、あ~もう、遠隔操作ぁ~!」


「ママ、なかないの。……パパは?」


「パパはね、お船の中でね、死んじゃった」


「そっか~。じゃあ、もうあえない?」


 アリッサが頷くと、アリスは声を上げて泣き始めた。

 私は振り返り、空を見上げた。

 雲一つない青空。腕を伸ばし、懐中時計を掲げてみる。

 針は十二時を僅かに過ぎていたが、止まることなく時を刻み続けていた。

 そのことが、なぜかとても嬉しかった。

 ふと、あいつの……ロイドの墓を建ててやりたいと、強く思った。


「クロちゃん」


 振り返ると、真っ赤に泣き晴らした、赤毛の母娘が立っていた。


「私の、自慢の娘を紹介させて。ほら」


 母親に促され、娘は私を見上げた。


「は、はじめまして。アリス・リンドバーグです」


 私は腰を屈め、アリスと目線の高さを合わせる。


「……はじめまして。私はアーデルハイドだ」


「あーでるは?」


「アデルでいいよ」


 私はアリスの頬に手を伸ばし、そっと触れた。

 ──温かくて、柔らかくて、優しい一日が始まっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Ark 明日、世界が終わるとも 埴輪 @haniwa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ