1-7.道案内の『鴻雁北』と、散らかる屋敷

 桜色の燐光と共に雁が一羽、また一羽と姿を現して舞い始める。


 古典において、雁はあの世とこの世を行き来する鳥だ。そして、連なって飛ぶため「仲間と共に在ること」を表す鳥ともされる。

 僕の術の場合、現世と裏世界を行き来する鳥として、そして仲間の元へ迷子を誘なう道標として。僕の雁は、迷子を導く。


「僕の雁が、君を同じ立場の仲間のところまで連れて行く。焦らなくていいから、ゆっくり行っておいで」

 雁の群れを目を丸くして見つめる猫の怪異へ向けて、僕はしゃがみ込んだ。


「それからもう一つ。君の居場所の、裏世界への入り口は『自分の姿が全身写る鏡』だ」

『鏡を通って、別の世界へ入り込む』。これもまた、古くから人間の中でよく想像される事柄で。その通りに、鏡は別世界――裏世界への、入り口となる。

 通り抜けられるのは、異能を持つ人間と、怪異だけだけれど。


「承知した。アキハル殿、トーカ殿。世話になった、ありがとう」

 鏡へと歩き出した猫が、足を止めてこちらを振り返る。「何と礼を言ったら良いか」

「いや別にいらね。仕事だから給料出るし」

 身も蓋もないことをさらりと言い、涼しい顔で肩をすくめる涼に苦笑していると、彼は「おい」と再び口を開いた。


「あっちで何かあったら俺の名前出しとけ。アキハルじゃなくて俺の方な。いいな?」

「こいつの能力は生温いから脅しにならん」と親指で示され、僕はがくりと肩を落とす。

「まあ、うん、実際そうなんだけど……」

 そうはっきり言われると、ちょっと落ち込む。

「アキハル殿の術も見事だが、脅しになるということは、トーカ殿は強いのか?」

 首を傾げる猫の怪異に、僕は苦笑を浮かべて頷いた。

「うん、強いよ。……僕なんて、比べ物にならないくらいにね」


◇◇◇

「あーあ、すっかり時間食っちまったな」

「だから悪かったって」

 猫の怪異を見送ったあと。豊島八幡神社の朱塗りの鳥居をくぐり石段を登りつつ、文句たらたらの涼を僕は宥める。


「大体お前、真っ昼間から能力無駄に使いすぎ。本チャンの任務中に倒れても知らねえぞ」

「あー……うん、倒れないように頑張るよ」

 石段を登り切ると、今度は石鳥居が見えてくる。そこを左へ曲がり道なりに奥へ進むと、今度は伝統木造建築に総黒漆仕上げの拝殿が、ひっそりと佇んでいて。


 神像が出土した場所に造られたというこの出現殿は、一般の人間は中を見ることが出来ない。けれど、美鈴さんの保護下である僕らは入ることが出来る場所だ。

 この神社は陰陽師関連の支援者で、美鈴さんは陰陽師名家・青葉家の中でもピカイチの実力者。彼女はその肩書きを持って、この拝殿内に僕らの拠点の入り口となる、僕らが使えるレベルの等身大の『鏡』を置いた。

『使えるもんは使わないとな』が口癖の彼女らしいが、権力の使い方が無茶苦茶で怖い。ここ、神社なんだけど。


 その無茶苦茶な人が、からからと笑いながら拝殿の扉の鍵を開ける。

「まあそう言うな、トーカ。あのネコガミナライはアキハルが助けてなきゃ今頃、他の術師に祓われて消滅してたよ」

 ネコガミナライ――猫神見習い。僕らは先ほどの猫の怪異のようなモノたちを、そう呼んでいる。


「ああいうタイプは、大体訳も分からんまま『淀』に侵され『化け猫』化する。そうなったら巨大化して暴走した上、強硬派の術師に見つかって否応無しに存在ごと祓われるのがオチだ。アキハルが燕で先手を打ってくれたお陰で戦闘も無かったしな」

「……」

 美鈴さんの言葉を受け、僕の隣にいた涼が真顔で黙り込んだ。真顔だし本当に行動が読めない奴だから、何を考えているのか分からない。

 奴の思考を読もうとするのを諦め、僕はがらんとした拝殿の中を歩いていく。


――『人によって生み出されて、人の思念を受けて汚れを溜め、人にとって都合が悪くなると、有無も言わさず存在ごと消滅させられる。理不尽極まりないと思わないかい』

 前を歩く凛とした美鈴さんの背中に、僕はかつて彼女から語られた言葉を思い出す。

――私や涼の実家のような、上から押さえつけるような強すぎるやり方では、守れないモノが多くてね。……だから、君のその『優しい力』を貸してほしい。この世界を守り、『怪異』と呼ばれる彼らを救うために。


 美鈴さんと、涼の実家。美鈴さんは涼の本家筋に当たるらしいけれど、2人とも陰陽師の力を持つ名門一族の人間だ。術師としてのルーツが一切ないのは、僕1人。


「おい、暁人。何ぼーっとしてんだ、早く来い」

 拝殿の中に設置された姿見の中に半身を突っ込んだ涼が、不意打ちで僕の腕をぐいと引く。

「あ、ごめ……って、転ぶ転ぶ!」

 僕はその勢いのまま、銀の面の中へと頭から突っ込んだ。


◇◇◇◇

 美鈴という可憐な名前に反して、彼女のその本性は苛烈で激烈だ。

『やあ、話は聞いてるよ。君がもう1人の、七十二候の異能力者だね。――私は青葉美鈴、このクソガキの保護者だ。以後よろしく』

 思えば僕が能力を発現した後、涼に(ほぼ半ば無理矢理に)連れて行かれた『屋敷』の中で。涼を「クソガキ」と呼んでいた時点で、その片鱗はあった。


『さて、芹沢暁人くん。君のその能力なんだけど、実はすっごく特殊でね。君と、そこの涼のたった2人しか使えないし、その君たちとて各々の季節のものしか使えない。――しかも自然操作の能力だから、そのうち悪い奴らに狙われる可能性も高い。……自然ほど、怖くて美しいものはないからね』

 そこでものは相談なんだけど、とにっこり微笑んだ美鈴さんのあの満面の笑みを、僕はきっと生涯忘れられない。


『君、私に引き取られる気はない? そうすれば君を守ってあげられるし、能力の制御の仕方も教えられる。……制御できない力は、危険そのものだ』

 あの時、僕に『ノー』という選択肢がないということは。状況がいまいち飲み込めていなかった僕にも、否が応でも理解できた。


 そもそも『ノー』を言おうにも、僕には止まり木が存在しないから。

 どこに行っても、きっと同じで。

 雨風凌げる建物の中で細々とでも生活できるのならば、それでいい。それだけでいい。それ以上は、望んではいけない。

 そう、ずっと思っていた。



「――ちゃんと着替えてるのは加点だが、何がどうしてこうなった?」

 涼と僕が共同で使う座敷に入るなり、美鈴さんが眉を顰めて腰に手を当てた。


 僕らが暮らすこの屋敷は、やたらと広い書院造の建物だ。なんでも、美鈴さんがどこぞの偉い術師から譲り受けたらしい屋敷を、立派な日本庭園や垣根含めてまるっとここ裏世界に転移させたのだとか。「現世は固定資産税かかるし」とか言ってたけれど、それって果たして良いのだろうか。


 それは兎も角、屋敷が広いだけあって、一部屋一部屋まあ広い。あまりに広すぎると落ち着かないし有事の際に離れていると連携も面倒くさいしと言うことで、僕と涼は日本庭園に面した1番眺めのいい座敷を、2人で共同で使っている。それでもだいぶゆとりがあるほど、十分広すぎる座敷なのだけど。

 問題は、使う人間の方にある。


「全部涼のせいです」

「あっ、お前……! 1人だけ責任逃れとかずりいぞ」

 ため息をつきながら資料の紙束に目を戻した僕へ向けて、着替えて黒い和装姿に身を包んだ涼が声を尖らせる。黒の地に金糸の刺繍が上品に施された着物姿だが、そいつが今貪っていたのは先程買ってきたばかりの苺のミルフィーユ。


 あたりにはお菓子の箱やらケーキの箱やらがひたすら散乱し、混沌という言葉が似合う有様になっている。ついでに先ほど買ってきたケーキのラインナップも机の上にずらり。ショートケーキにチョコレートケーキ、バナナパイにフルーツタルトにミルクレープにフロマージュに……あ、駄目だ頭痛くなってきた。


「いや、どっからどう見ても涼だろ? 散らかってるモノ確認すれば分かる」

「いーや、そんなことな……」

 鼻で笑いながら座敷を見回した涼が、ふと口をつぐみ。

「早く片付けないと、全部容赦なく捨てるからね」

 対して僕は満面の笑みを浮かべ、そう言い放つ。


 朝、今日これから赴く化け狸案件の話をしていた時は確かに片付いていたのに、もうこうなるとは。

 涼は何事に対しても好き嫌いが激しい。その分、自分の好きなものでやたらと身の回りを固めたがる悪癖がある。その分かりやすい例がこれだ。


「いつも悪いな、アキハル。できればトーカがちゃんと片づけをするまで見届けたいところだが……」

 言葉を切り、美鈴さんがにっこりと微笑む。

「悪いな二人とも。任務の時間が繰り上がった」

 まだケーキを3個しか食べていない涼が、「げ」と顔を思いっきりしかめた。

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