1-6. 怪異の成り立ち

「お前、こいつ会ったことあんの?」

「いや多分、無い気がす」

「いーや、よく思い出せ。『救った』相手だろ?」

 揶揄い混じりの声に考えつつも、記憶に無いものは無い。


「先刻、一羽の燕に救われた」

 猫の声に、僕らは揃ってそちらを向く。

「暗く冷たく、息苦しい暗闇に精神が支配され、気が狂いそうになった時。その燕が来た途端、体が眩いものに包まれて――憑き物が落ちた様に、体が軽くなった」

――暗く冷たく、孤独で息苦しい暗闇に囚われ、抜け出せなくなる。『淀』が溜まり暴走したことのある怪異が、よく言う台詞。


「が、すぐに燕は桜色の燐光に乗って飛んで行った。藁をも掴む思いでその残り香を辿り、そなたまで行き着き……そなたの清浄な気は、あの燕と同じ」

――そなた、あの燕の主人だろう?

 そう言われて、先ほど燕から回収した『淀』の結晶と、美鈴さんの言葉を思い出す。


『「淀」の結晶がこのデカさってことは、危ないところだった怪異がいたのかな』

 ああ、成る程。あの『淀』の結晶の中には、この怪異のモノもあったのか。


「そっか、良かった。気分はどう? もう大丈夫?」

「ああ、お陰ですっかりな。礼を言う」

「んで? お前、ただ礼に来ただけじゃないよな」

 気だるそうな表情の涼が、僕と猫の怪異を見下ろした。

 

「さっき『欲してる』だのなんだの言ってたし。結局、こいつに何の用?」

 涼が左手の親指で僕を指し示すと、猫はひくりと立派な髭を震わせた。


「……そなたらが話していた通りだ。私に、安全な場所を教えていただきたい」

 途方に暮れた調子で言いながら、猫がゆっくりと顔を上げる。


「先刻、私に名を聞いたな。――悪いが、私に名前はない。記憶もない。気がついたら、とある神社に居た」

 猫の話を要約すると、その神社以外に外の世界も分からず途方に暮れていたところに加え、小さな板を持った様々な人間たちに昼夜追いかけ回され囲まれ、怖い思いをしたのだと言う。


「たった独りで自分が何者なのかすら分からぬ、記憶も無い、有るべき場所も分からぬ。ひっきりなしに人に追いかけられ囲まれ追い詰められ……もう、あそこではない何処かへ、何処か安全な場所があるのなら行きたい。わ、私を救ってくれた者なら、もしや知っているのではと」

 目元をこすりながら、猫が声を震わせ――僕が言葉を紡ぐべく、口を開く矢先。

「なんだ、そんなことか」

「……!?」

 涼のさっぱりとした調子の台詞に、涙目だった猫の怪異が硬直する。本人的には深刻な悩みを「そんなこと」扱いされたのだから当たり前である。


「あのさ」僕は立ち上がり、涼のシャツの襟を掴みながら笑顔を作って首を傾げた。「君にはデリカシーってもんがないのかな」

「何を今更」

 飄々とした調子で肩をすくめる涼をしばらく無言で僕が見つめると、一拍置いて奴は小さく舌打ちした。

「……分かったよ、さっさと済ませんぞ」

 そしてため息をつきながら、涼がズボンのポケットからスマホを取り出す。

「お前、居た神社の名前は分かるだろ? どこだよ」

 じろりと涼が見下ろす先で、白猫が僅かに後ずさった。


「そ、その板は、皆持っているモノなのか?」

「あ? 別にお前を写真に撮る気はねえよ、調べ物をするだけだ」

 やはり、先ほど猫が言っていた「小さい板」とはスマホのことらしい。


「所々言葉遣いはおかしいけど、人語は喋れる上に話し言葉は尊大だし、やたら大勢の人間に写真を撮るために追っかけられるときた。ま、『神の化身』だとか言われて話題になった猫ってとこか」

 涼に「尊大」とか言われたく無いななんて思いつつ、僕は言葉を飲み込んで頷く。

「だね。最近このパターンほんと多いな」

「……SNS時代、マジめんどくせえ」

 それに関しては同感だ。涼が大きなため息を吐くのにも、理由はある。

 なぜかといえば――


「……私が居たのは、甘泉神社だ」

「はいはいどーも、ありがとさん」

 怪異の言葉に面倒くさそうな顔で返しつつ、涼がスマホの表面を指で叩く。そして数秒後、顔を上げた。

「なあ、検索ヒットしねえんだけど」

「え、ちゃんとするよ? ほら。トーカの言葉、ビンゴだった」

 

<手を合わせたくなる、神々しい猫。甘泉神社に神様の化身が>――そう書かれた投稿文に添付されている、神社の社殿の前に佇む1匹の白猫の写真。とあるSNSで拡散されている投稿を、僕はスマホの画面に表示させる。


「は? なんで?」

「はい出た、トーカの機械音痴」

「うるせ」顔をしかめた涼が、僕のスマホを覗き込む。


「いいねが6.6万、拡散が1.8万か。ほーん、やるな」

 物凄くバズっている。これは神社に一目見に来て、写真を撮ろうと猫を追いかけ回す人間が居ても不思議では無い。

「かくさん……? いいね……?」

 何が何やらと言う顔をしている猫の怪異へ、僕はその写真を見せる。並べてみると、彼は写真の猫にそっくりだった。


「君の元になったのがこれだ。人はこれを『猫』って呼んでる」

 普通なら、ただの「可愛い猫」の写真で済むのだが。


「君のような存在はね、人の『想像力』を元にして生まれるんだ。人の噂、話、そこから想起される心象。多くの人が同じ事柄を認識して想像すればするほど、その姿形ははっきりと形作られて、人語も話し出すようになる」

「そ。お前の場合は『神の化身』だとか言われて、同じ画像が物凄い人数の人間に見られたからな。6万人もの心象がありゃ、実体化するに十分すぎる……ったく、めんどくせえ時代だよ」


――そう。SNSで情報が瞬時に拡散されるこの時代には、怪異が多く生まれる。それこそ、『歴の浅い』怪異が次々に。


 そもそも、怪異は『人の想像力』を源に生まれる。『卵が先か、鶏が先か』論争になってしまうけれど、世界は斯くあるようにできている。

 そんな中、昔は怪異が出来上がるまでに長い時間がかかった。人々がその『物語』や『現象』を把握するのに、伝承が伝わるのに、時間を要したからだ。


 だけど今や、情報が広がるのは一瞬だ。怪異は自我がしっかり確立する時間も経ずに実体化し――その結果、自分のルーツも、世界の情報も知らない『迷子』の怪異が生まれてくる。


「つまり私は『猫』なのか?」

――僕らの目の前に居る、猫の怪異のように。


「猫が元の『神様の化身』……の、見習いみたいなもんだね」

「見習い?」

「神を名乗るまでになるには、長い間語り継がれないといけないからな。ま、お前と同じような奴はゴロゴロ居るから安心しろ」

「……! い、居るのか、私に仲間が」

 突然涼に対し前のめりになった怪異に、涼が面食らった様に後ずさる。


「お、おう。そりゃ居るぞ、『裏世界』に」

「どうすれば、そこに行けるのだ」

「うん、ちょうどそこへ案内するのが僕らの仕事なんだ」

 僕は頷き、手に持っていた鏡を地面に立てて唱える。


「――候ノ十四、『鴻雁北こうがんかえる』」

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