1-5.迷える怪異と案内人

「ん?」

 声がしたのは後方から。振り返れば、そこには1匹の――神々しいと言っていいほど純白の毛並みを持つ、猫が居た。


「こいつか? 今喋ったの」

「ぽいね。よく見たら気配が普通の猫じゃないし」

 瞬時に声を潜めた遣り取りを交わす僕らの前で、猫はゆらりと毛足の長い尻尾を揺らす。


 ざっと観察して見ても、その身の周りに暗い靄の影はない。とりあえず、『淀』が溜まっている怪異じゃ無さそうだ――そんなことを考えている間に、そいつは右前足でこちらを指しつつ、その小さな口を開いた。


「失敬。そこの茶色いお髪の、お美しいお人にお話が」

「……茶髪?」

 は、僕しかいないけれど。なんか色々同意しかねる言葉が聞こえたような。

「アキハルだろ」

「茶髪はお前しか居ねえだろ」

 戸惑う間に背中へバシンと衝撃が走り、僕は思わずよろめいた。


「何でこんなに反応鈍いんだ?」

「こいつ、俺と自分の顔に見慣れすぎて色々基準がバグってんの」

「トーカお前、清々しいほどしれっとナルシストだな」

 これは完全に、揶揄われている。不毛なやり取りを始めた二人の声をBGMに、僕は白猫の元へと屈み込んだ。


「ええと、本当に僕に用なの?」

「うむ、そうだ。そなただ」

 色々ツッコむところだらけな気がするが、それよりもまずは本題だ。


「それにしても、随分と賑やかな方々をお連れで」

 何から聞こうかと頭を巡らせているうちに、先に発言されてしまった。足を揃え、目を細めてこちらを見上げる猫に向かい、僕は苦笑しつつ頬をかく。


「あー、うん。連れてるというか、逆かな」

「むむ、逆?」

「ああいや、ごめんねこっちの話……って、あれ」

 曖昧に微笑みながら白猫の目を覗き込み、僕ははたと気づく。

 そいつの目は、改めて見ると珍しい目の色をしていた。一方が華やかな金色、他方が艶やかな淡銀灰色。


「君、綺麗な目をしてるね。縁起がいい目だ」

金目銀目きんめぎんめ』と呼ばれる、オッドアイ。そんな稀有な瞳を持つ、猫形の怪異。

 そんな奴が、何の用があってこちらに声をかけてきたのか。それを探ろうとした矢先、猫はぴこぴこと両耳を動かした。


「そうかそうか、嬉しや嬉しや。自分では、自身の瞳は確認できぬもので」

 その言葉に、僕は目を見開く。

――もしかして、この子。


「うん。そら、こいつで見れるよ」

 肩にかけていた黒リュックから20センチ強の正方形をした鏡を取り出し、白猫に向けて差し出す。

 白猫はひくりと鼻を震わせ、恐々とその銀色の面を覗き込んだ。


「……むむ、これは……この白い生き物は、何かのう」

 おっかなびっくり鏡と鏡の中の白猫を小さな手で指差し、僕を見上げる猫。僕が「君の姿だよ」と静かに言うと、彼はまん丸に目を見開いた。


「こ、これが私……!? ひいっ、ななな何なのだこれは!?」

 そろそろと鏡に向かって手を差し伸べていた白猫が、素早くその前足を後ろに退く。

 まるで池の中に静かに手を入れるように、鏡の表面に沈み込みそうになっていた手を。


「て、手が。手が、この銀の板の中に通るのだが」

――ああ、この子、やっぱり知らないんだ。

 鏡の存在を。

 怪異の住処、『裏世界』への帰り方を。

 鏡が、その入り口になることを。


「アキハル、こいつ『迷子』か?」

 ざり、とこちらに近づく音と共に、僕と白猫の上に影が落ちる。

 涼が僕をこう呼ぶ時は、僕たちの仕事が始まっている時だ。怪異に本名を全て把握されるのは面倒に繋がりかねないため、仕事の時、任務の時、コードネームで僕らは呼び合う。


 涼は『トーカ』、僕は『アキハル』。各々自分が持つ能力の季節を組み合わせた、単純な呼び名だ。


「うん、多分。しかも自分のルーツを分かってない、最近発生したばかりの子みたいだ。案内してやらないと」

 僕は頷き、後ろを振り返る。

「美鈴さん、すみません。まだ時間ありますか?」

 分かっていると言わんばかりの早さで、美鈴さんは笑顔で頷いた。

「どのみち予定の任務は日が沈んでからだ、それまでによろしく。見張りは私が引き受けよう」

「ありがとうございます」

 ほっと息をついて白猫に向き直ろうとすると、ちょうど涼が白猫を見下ろしながら腕組みをしているところだった。


「おいお前、名前は?」

 なんだかデカい態度の涼を前に、白猫は戸惑ったように視線を泳がせている。

「な、ナマエ……」

「分からんならさっさとそう言え」

「おーい、怖がらせてどうすんの」

「お前が甘すぎんだろ。俺は早くケーキが食いたいだけだ」

 だからさっさとしろってか。本当にケーキのことしか頭にないな、こいつ。僕は一瞬天を仰いだのち、白猫の頭にポンと手を置いた。


「ごめんね、驚かせて。僕たちはね、君を安全な場所に送り届けたいだけなんだ」

「安全な、場所……?」

 ゆらゆらと、猫の怪異の視線が僕と涼の間を行ったり来たりする。 


「そう。君、今住むところは?」

「……そ、そのようなものは、ない」

 猫は神妙に首を振った。やっぱりそうか、と僕は頷く。

「……君みたいな子を、身に馴染む安全な場所へ案内するのが僕らの仕事でね。いつでも帰れる、安心できる場所へ、怖い思いをしないように。だけどそのためには、まず『自分が何者なのか』を知らなきゃいけないから――」

「だから俺がわざわざ名前を聞いてやってんだ。で? 名前はあんのか」

 思いっきり説明を端折った涼が、僕の言葉を遮ってそう締めくくる。僕は思わず頭を抱えた。


「すっ飛ばしすぎだよ、それじゃ訳分かんないだろ」

「バーカ、昔の人も言ってるだろ? 『習うより慣れろ』ってな」

「無茶振りすぎる」

 頭を振って目を上げると、猫の怪異はぽかんとした顔で固まっていた。

 まあ、そう言う反応になるよな。


「ごめんね、これじゃ意味が分からな……」

「いいや」

 どうにかフォローすべく口を開きかけた僕の前で、猫がゆっくりと首を振る。


「流石は、私を救って下さったお方だ。何も言わずとも解るのだな。私が何を、欲しているか」

「――え?」

 今度は僕と涼が、目を丸くして顔を見合わせる番だった。

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