1-4.邪気払いの燕と、『入り口』の神社
『候ノ術』、第十三番の詠唱。呪文を口にした途端、桜色の煌めく燐光が広がり、瞬きながら空中を舞い上がった。『春』分類の術が行使された証のその光はまだ色の濃さを保っていて、僕は内心ほっとする。
『春』の術は桜色、『秋』の術は琥珀色。術行使時の燐光の色の濃さは、体力を大量に消耗すると薄くなり、術の効力も下がる。格段に色が薄くなっていたら、体力を大量消費したのが分かってしまう。
ましてや、こうして隠れて勝手に術を行使しているのがバレた後となっては、気まずさここに極まれり、だ。
後ろめたさを感じつつ、
「みんなお帰り、お疲れ様」
今日放った燕は全部で20羽。白露の末候『
『
玄鳥――つまり、燕。昔から『幸福を運ぶ鳥』とされ、なおかつ人間にとって害となる虫を食べてくれる鳥。その『イメージ』から、僕の使うこの術の燕たちは、そこら中を飛び回って悪いモノを喰らい、安寧をもたらしてくれる……のだけれど。
「ほら、牡丹も近くにおいで」
「ツピ」
美鈴さんの鞄の中から出てきた燕の『牡丹』が、地面に静かに降り立ちつつもプイとそっぽを向いて羽を仕舞い込む。距離が他の燕に比べ、若干遠い。
「ごめんって、今朝『珊瑚』と呼び間違えたのまだ怒ってる? よね?」
「ピチチチチ!」
「ああ、本当に悪かった。もう二度と間違えないから」
ジト目でぱたぱたと翼をはためかせる牡丹を宥めていると、頭上から涼の「あ?」という訝しげな声が聞こえてきた。
「暁人、お前何やってんの?」
「いや、今朝寝ぼけて名前を呼び間違えちゃって。本当に申し訳ないことした」
「そういうこと聞いてんじゃねえんだよ。早く燕を仕舞え、燕を」
じろりと上からこちらを見下ろされる。僕は肩を竦めながら左手のひらを上に向け、すうと息を吸い込んで唱えた。
「――舞の仕舞いの後仕舞い 次の風持ちて集い、しばし眠れ」
ぶわりと風が流れ、燕たちが吸い込まれるようにして、僕の手のひらの上でふっと消えて行く。
最後に残った牡丹に右手を伸ばして頭を撫でてやると、彼はゆるりと目を細め、最後に「ジッ」とひと鳴きしてその姿を消した。
そして燕たちの姿が全て消えたあと、僕の手の上には手のひらサイズの濃紫色の水晶玉がころりと転がっていた。
「おや、こいつはお手柄だ。『
「……はい。すみません、お願いします」
立ち上がりながら濃紫の『
この水晶玉は、怪異に纏わりつく『淀』を僕の燕が食べ、結晶化したものだ。『淀』とは、その漢字通り『淀み』、つまり一般に言う邪気のことで。
怪異――時には人間があやかしだとか妖怪だとか呼ぶ類のそれらは、実は元からおどろおどろしい危険な存在な訳ではない。
ただ、人の念、とりわけ邪念に影響を受けやすいだけだ。
この現世と表裏一体の対を成す『裏世界』。普段はそこに居る彼らは、時折ふらりと現世への境界を越えてこちら側へ来たり、迷い込んだりすることがある。
そして怪異は、その格によって知能の程度や持つ情報の有無も違う。『裏世界』への帰り道が分かっていればいいが、そうではなかった場合――人の『念』や邪気をその身に積もらせ、それに身が耐えきれなくなって許容値を超えると、我を失い、暴走する。
そしてその暴走した怪異に対処する責を追うのが、有名どころで言うと陰陽師のような術者や、マイナーなところで言うと僕たちのような異能を持つ人間だ。
「お前、ほんと無駄なこと好きな。こんなんやっててもキリねえぞ」
右手にケーキの箱を持ち、左手を腰に当てて仁王立ちした涼がため息をつく。
「暴走するときゃするし、未然に防ごうったって対象が多すぎるし、いたちごっこだろ。防ぐより、対処して手っ取り早く『裏世界』に返してやった方が早い」
「……ま、それはそうなんだけどさ」
はは、と笑って見せながら僕は頬をかいて誤魔化した。
涼の言うことも一理ある。この世には人の『念』が、常に溢れているからだ。
「ま、それは別にいーや。それよりお前、もしかして燕にいちいち名前つけてんのか」
「え? あ、うん」
途端に涼が信じられないモノを見る目でこちらを見遣る。なんだその目は。
「自分の術の配下対象に名前つけて、あーだこーだ会話してる奴なんて初めて見た」
「そもそもあいつら全く見分けつかないんだけど」と言いながら、涼が眉間に皺を寄せる。
「いや、つくよ? 見分け」
「嘘だろ、どこでだよ」
「え? 一羽一羽全然違うだろ?」
「……お前ほんと、動物に関しては興味あるんだな……無駄に好かれるし」
なんだか呆れたような声色で言いながら、涼が宙を仰ぐ。
「好かれてるのかは分かんないけど、動物はいいよね。まっすぐで、裏をかくなんてこともしないし裏切らない」
「んなこと言ってっからずっと彼女出来ねえんだろうが。その顔のくせに」
「それはちょっと論理が飛躍しすぎじゃない? ていうかそれ、君に言われたくないんだけど」
「俺は出来ないんじゃなくて、作らないだけ。この俺に釣り合うのは大変だからな」
へへんとムカつくドヤ顔で言われ、僕はがっくりと肩を落とす。真面目に会話しようとするだけ無駄だった。
「君のそのメンタル、本当に尊敬するよ」
「だろ?」
「いや別に褒めてな……」
「はいはいそこまで、お二人さん。私の存在を忘れるな?」
美鈴さんの謳うような調子の言葉に、僕は慌てて彼女を振り返る。しまった、また涼のペースに乗せられて、生産性のない会話を続けるところだった。
「す、すみません」
「いやいや、仲が良いことはいいことだ。これからもよろしく頼むよ、アキハル」
よろしくされても困る。個人的には、もう少し涼をどうにかしてくれると助かるのだけれど。
「いやちょっと待った、俺は?」
「さ、早く屋敷に戻って任務の準備な」
「はい」
「おいって」
そんなこんなで僕たちはやいやいと、『屋敷』への道を歩き出したのだった。
◇◇◇
僕たちの住居兼拠点である『屋敷』は、この現世にはないけれど、この現世にその入り口はある。
ちょうど僕たちの大学の目の前に在る、神社の中に。
「あー……疲れた」
先ほどから「だるい」だの「歩くのめんどい」だの、ダラダラと文句を言いながら歩いていた涼が、ゆらりと恨みがまし気に目の前を睨む。
朱塗りの鳥居と、その奥に続く石段。裏世界の『屋敷』へ繋がる道があるのは、この豊島八幡神社の中だ。
「これ登んの? マジ? 俺疲れてんだけど」
こいつ、さっき僕たちが隣駅まで歩いた理由を忘れていやしないだろうか。ケーキ買いたいって理由だけで人を引っ張ってったの、お前だからな。
「何を今更。毎日上り下りしてるじゃないか」
「毎日やってっからもう飽きたし、疲れた」
美鈴さんの言葉に、むすりと涼が子供のようにまた「疲れた」の言葉を返答する。近くに居ればいるほど、「なぜこいつがモテるのか本当に理解が出来ないな」と、僕は失礼なことを少し思う。
「はいはい、じゃあ今日も頑張ろうな」
そして慣れたように涼のぼやきを華麗にスルーする美鈴さんは頼もしい。その後に続き、僕たちも鳥居をくぐろうとした矢先のことだった。
「――もし、そこのお人。少しよろしいか」
不意に足元で、声がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます