1-3.候ノ術と保護者

◇◇◇

「分かってるよな暁人、これは重要案件だ。心してかかれ」

 隣からこちらを覗き込んできたと思ったのも束の間、涼が真面目な顔つきで目の前の光景に視線を戻す。

 その目は真剣そのもので、獲物を逃さんばかりの爛々とした光を湛えているのが横顔からでもよく分かった。


 ……が。目の前に広がっている光景は。

「いや、そんな大事? これ」

「は? これほど大事なことはねえだろ」

 ブルーグレイの七分袖のリネンシャツに、足のラインが見える細めの黒いスキニーパンツ。そして黒いスニーカーに、斜めがけのバック。

 黙って立っていれば雑誌のモデルだと言われても納得できるほどの容姿を持つ、すらりとした長身の男子大学生。そいつが今しも真剣に見つめているのは、ずらりとケーキの並ぶディスプレイだった。


「普段省エネの涼が珍しいなとは思ったけど、やっぱこういうことか……」

 本日ラストの講義を終え、涼から「用があるから」と大学最寄り駅の隣駅まで無理矢理引き摺られて行った結果。五月の穏やかな空気の中を突っ切り、着いたのはその界隈で有名な地元のケーキ屋だった。


「あのさ、今日これから任務ってこと忘れてないよね?」

「8個くらいで足りっかなー、やっぱ10個買うか」

 全然聞こえてない。というか10個もケーキ買う気なのか、こいつ。


「暁人、早く選べよ。時間が勿体ない」

「……その、抹茶のガトーショコラにすれば? この前任務中に嘆いてたろ、抹茶のスイーツ食べ足りないって」

 僕は天を仰ぎつつ、そう進言する。こうなったら目的を達するまでこいつがテコでも動かない、もしくは長いこと引き摺るのはもう経験から学習済みだ。


「あ? 抹茶っていやあ、あの縁切寺の怪異の案件か?」

 ふと考え込むようなそぶりを見せてから、「あー」と鷹揚に頷き、奴ははんと鼻で笑った。なんだかむかつく仕草だ。

「分かってねえなー、お前。あの時は京都での任務だから抹茶だったわけ」

「京都と言えば抹茶だろ」と憐れむような視線が飛んでくる。脱力した僕はと言えば「あ、そう」と力なく返すしかなかった。


 こうなったら奴の気の向くまま、好きにさせよう。この前みたいに戦闘中に突然「抹茶が! 食べ足りねえ!」と叫ばれるよりマシだ。あれには正直、本当にビビったし脱力した。


「んで?」

 ケーキを物色し終えた涼が宣言通り10個のカットケーキを注文するのをぼうっと眺めていると、ふと声が降って来た。


「お前は何考え込んでたわけ? まさか、今日の任務にビビってるわけじゃないよな」

「あ、さっきの一応聞こえてたんだ」

「馬鹿にすんなよ、一気に10人の言葉くらい聞き分けて理解できるわ」

「聖徳太子か?」

「話を逸らすな」

 誰が話を逸らしたんだかと言いかけたけれど、奴の珍しく真面目な表情を見て、それは喉元で止まって霧散した。


「あー……、いやちょっと思い出して」

「何を」

「初めて『候ノ術』使った時のこと」

『候ノ術』第五十二番、『霜始降しもはじめてふる』。図らずもその候ノ名前を口にしてしまったことで、当時住んでいた自分の部屋を、一面冷たい霜でコーティングしてしまった事件のことだ。


 あの時から、僕の人生は大きく変わった。思えば遠くへ来たもんだと感慨深くなってくる。


 そんな僕の前で、「なんだ」と涼が口をへの字に曲げた。

「そういや、そんなこともあったっけか? もはや過去すぎて、お前があんとき眼鏡かけてたってことくらいしか覚えてねえな」

「え、覚えてるとこ、そこなの?」

「こいつ、任務中に眼鏡割れたら大変だろうなって」

 そうかい。ご心配どうも。

「ガラスがこっちに飛んできたら危ねえし」

「……大丈夫だよ、今もうコンタクトだから」

 どうやら別に心配してくれていたわけでもないらしい。僕は肩をすくめ、ケーキ屋の店員が差し出してくれた紙袋を2つ受け取り、片方を涼に渡した。


「ほら、早く戻らないと」

「……どっか近道ねえかな」

「ないよ。神社行くしか」

「だっる……」

 文句を言いながらも紙袋を持ち、涼がのろのろと歩き出す。それに並んで店を出て、しばらく歩いていた時のことだった。


「見つけた。おい、アキハル」

「……っ!」

 着ていた黒いパーカーのフードを後ろから不意にぐいと掴まれる。僕は瞬時にその手を打ち払い、3歩ほど飛び退った。

 そして目の前にいる人物をそこで初めて認めて、目を丸くする。


「……あれ、美鈴みすずさん?」

「おい暁人、ケーキが崩れるだろうが! 動きには気ぃつけろマジで」

「トーカ……お前は本当に甘いモノのことしか頭にないな。普通ここは私を気遣うべきじゃないか? お前の相方の一撃、中々に効いたぞ」

 ぷらぷらと手をそよがせながらため息をつく、艶やかな黒髪のパンツスーツ姿の美女が1人。彼女へ向けて、僕は慌てて頭を下げた。


「美鈴さん、ほんとすみません。あのつい、反射で……」

「うん、いい反応速度と一撃だった。ほら、トーカもアキハルを見習え? ケーキばっか気にしてないで」

「うっせえな、そもそも任務じゃない時に俺らをその名前で呼ぶのなんて、あんたくらいしかいないっしょ」

「あ」

 確かにそうだ。平常時に僕を「アキハル」、涼を「トーカ」と呼ぶのは、僕らの保護者であり、事情を全て把握している彼女――青葉あおば美鈴という女性だけ。僕の洞察力不足だった。


「うんうん、その解釈も良し。引き続き精進するように」

「で、俺らに何の用? オバさん」

「オバさん言うな、まだ全然若いわ」

「痛って」

 笑顔で涼の頭に一撃を食らわせた美鈴さんが、今度は僕をその笑顔で見遣ってくる。


「アキハル、お前を探してた。なあ、私前も言ったよな?」

「はい?」

 一体何の話なのかと首を捻り――彼女が持っていた鞄を少し傾けて見せてきた、その中にいる『モノ』を見て、僕は思わず顔に手を当てた。


「体力を消耗するんだから、やたらと術を使うのをやめろと言ったろう」

「ツピー!」

 美鈴さんの黒い鞄の中に居るモノ――燕が1羽、翼を広げて彼女の言葉に同調するように鳴いた。心なしかその目はジト目だ。


「今ならここいらに人がいない。早く燕を仕舞え」 

「……はい。すみません」

 にっこりと保護者から告げられた言葉に、僕は項垂れつつ頷き、そしてため息をつきながら唱えた。


「――候ノ十三、『玄鳥至つばめきたる』」

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