1-2.始まりの呪文、『霜始降』
十六のあの頃、僕は何もかもがどうでもよくて、世界は灰色の気分だった。
『何を当たり前のことを』と思われるかもしれないけれど、人生って本当に不公平だ。
持って生まれた才や体質、家庭環境、育った場所、置かれた境遇――そうした『自分ではどうしようもない』ことで大きく左右される。
そう、どうしようもないことばかり。
物心つく頃には既に両親が他界していて、施設で面倒を見てもらっていた。
僕としてはそれが現実だったし、受け止めて暮らしていたのだが――人の不幸に目をつけて、折に触れて『いじってくる』どうしようもない奴らはいるものだ。多分、幼い頃の僕が女顔で、今に比べて線が細く、大人しかったのもあるかもしれない。
労力と精神力の無駄だから思い出したくもないけれど、とにかく僕の幼少期はまあ、「期待することをやめる」ことを決意する程には暗かった。
――そう、僕は期待することを諦めた。人に関しても、境遇に関しても。最初から期待しなければ、失望することもない。裏切られることも、悲しい思いをすることもない。
そして同時に、気付いたことも。
――人は、『普通でないこと』を忌避する。自分の持つ経験と知識で処理できないもの、異質なものを、その内実を理解できないと判断して避けていく。
だから僕は、期待することを諦め、人の中に溶け込むべく笑顔で擬態し、人と接する術を必死で身に着けた。全ては、平穏に生きていくために。
そして『独り』に、ならないために。
結果は割と成功だった。成長期で体つきが変わり、背も高くなったことも手伝ってか、高校に入った時には、すっかり『平穏』に生きられるようになっていた。
だけど。擬態が上手くなっただけで、僕は本音を誰にも言えないまま。当たり障りなく穏やかに会話や交流はするけれど、本音で向き合えないと言うそれは、感情を押し殺すことにも等しくて。
『あの日』も僕は灰色の気分のまま、高校で出された課題に自室で黙々と取り組んでいた。
課題は、「新聞の朝刊の一面に載っているコラムをノートに書き写し、感想を書くこと」。それで文章力の向上を図るだとか、確かそんな感じだったと思う。
そしてあの日のコラムの内容は――ちょうどその頃の「日本古来の季節の呼び方」についてだった。
『細やかな季節の移ろいを表す七十二候の一覧を見てみると』みたいな文から始まるコラムをノートに書き写している途中のこと。
「"ちょうど今の時期を示す『
ぞくりと寒気がして、僕は思わず身震いした。書き写しながら無意識に小声で文を音読していた自らの声が、唇の上でぴたりと止まる。
なぜかといえば――目の前に、信じられない光景がみるみるうちに広がったからだ。
文字を綴っていたノートが、シャーペンが、机の上が、部屋の中が。すべてがピシピシという音と共に、急速に真っ白な色へと塗り替えられていく。氷点下かと思うほどの物理的な寒さが部屋全体を覆うのを感じながら、僕は呆然と目を見張った。
「……!?」
何が起こったのかも分からないまま、力の抜けた手からシャーペンがノートの上に落ちる。瞬間、積もった白い粉雪のようなものがその場にバサリと飛び散り、僕の手にかかってきた。
「つめた……」
ぼんやりと呟きながら、肌の上で形を保ったままのそれを僕は唖然と見つめる。
――幾つもの細長い氷の粒。そう見えるモノが、手の上で煌めいていた。溶けることもなく、その場にじっと佇んで。
これは一体、何がどうなっているのだろう。思わず止めていた息を再開してみれば、白い吐息が唇から流れ出していた。
「アキ
凍える白い世界へと変化した部屋の中で、呆然と佇んでいた僕の思考を現実に引き戻す音。部屋の扉の外から、同じ施設に暮らす子供たちの声と、鍵のかかったドアノブをなんとか動かそうとする音が聞こえてくる。
――まずい。
それしか、考えられなかった。
白い煙は、多分冷気だ。白い煙が外に出ていて他人に見えていると言うことは、この部屋の現状は、現実に起こっていることで。この部屋を見て、その異常さに施設の仲間たちはどう思うだろう。
確実に、気味悪がる。当たり前だ。しかもこの妙な『普通じゃない』現象を説明できる術を、僕は知らない。
「あ、ああ大丈夫。ごめん、ドライアイスを大量にひっくり返しちゃってさ。触ったら火傷するから、入っちゃダメだよ」
我ながら苦しい言い訳だと思いつつもなんとか頭を巡らせてそう声を張ると、「えっ、なんでドライアイス?」という声が外から聞こえてきた。実にご尤も。
「『実は秘密でみんなにアイスたくさん買ってきたんだー』とでも言えばいーじゃん。後で誤魔化すの、俺も手伝ってやるよ」
そして唐突に後ろから小さく聞こえてきた声に、僕は心底度肝を抜かれた。思わずその場で硬直してしまう。
「おーおー、驚いてる驚いてる」
――なんでこいつが、此処にいる?
絶句する僕の顔を覗き込んできたのは同じ高校の詰襟制服を着た、黒髪にやたらと整った顔の男子高生で。
それも隣のクラスの、校内でもピカイチに有名な同級生だった。
「お前、すっげえいいリアクションすんじゃん」
掴みどころのない性格と行動で『ミステリアスなイケメン』として名高い同級生、蒼石涼。
そいつが、大胆不敵にニヤリと僕の目の前で笑った。
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