1-8.迫る影と2人の任務

◇◇◇

「あんの、クソ上司」涼が箱の包み紙を剥がしながら低く唸る。「ケーキ食い終わってなかったのに」

「え、全部食べるつもりだったの?」

「おう」

 訝しげに「何を当たり前のことを」とでも言いたげな顔をして、涼が白い箱を開ける。「お、美味そう」

 箱の中には菊紋様が推された色とりどりの焼き餅がずらりと並んでいた。

「……それも食べんの?」

「ん」

 目にも止まらぬ速さで透明フィルムを剥がし、涼が焼き餅にかぶりつく。

 ……うん、もう何もツッコむまい。


 今は午後18時。ここは徳島駅から20分ほど、汽車でたどり着いた駅から徒歩10分の、とある広めの公園内。片隅のベンチに僕らは腰掛け、『任務』の開始を待っていた。


 涼は黒地の着物に紫鼠色の羽織、僕はそれと対になる紫鼠色の着物に黒の羽織。涼の着物には金糸の、僕の着物には銀糸の刺繍が施され、2人とも足には黒革のショートブーツを履いている。


 現代社会において、中々目立つ格好をしている男2人が公園のベンチに腰掛け、先程徳島駅前で買った土産を広げているわけだが(焼き餅に、和三盆糖を使用したきんつばに、鳴門金時のスイートポテトに饅頭という豪華ラインナップだ)、周りから注目されることは一切ない。

 徳島駅近くの商業ビル内の柱に取り付けられている大人の身長大の鏡の中を通り抜けて出てきてから今に至るまで、一度も。


「お前さー、もうちょっとリラックスしたら? どうせ今の俺ら、存在感ゼロなんだし」

そう。この特殊な任務服には涼の術『蚕起食桑かいこおきてくわをはむ』で編み出した蚕の糸と、僕の術『綿柎開わたのはなしべひらく』で出した綿が組み込まれていて、この服を着ている間、僕らの存在は自然の中に溶け込む。人間に対しての存在感を薄くすることができるのだ。


「そういう問題じゃないんだよ。いつ怪異が来るか分かんないし」

「あ? 来たら対処すりゃいいだろ。来る前からあーだこーだ気張ってたら疲れんぞ」

 正論のような、適当なような。

「そうできたらいいんだけどね」僕は涼に向けてわざと満面の笑みを浮かべてみせた。「トーカ、任務前の資料は読んだ?」

「読んでねえ」

「……だよね、予想はしてたよ」

 今度は饅頭の包みを開きながら光の速さで返ってきた返答に、僕は脱力する。いつものことだ。


「来るときゃ来る、来たら即動きを封じて『淀』を取り除く。そんで終わりだ」

 あっさりと言いながら饅頭を口の中に放り込む涼を見て、僕の言葉が喉に詰まる。


――そりゃ、そう言えるのは君が「蒼石涼」だからだ。

 でも、僕は――


「……っ!」

「……来たか」

 背後に突如現れた、冷えた気配。

 僕は即座に、涼は冷めた様子でゆっくりと振り返る。


 そこには、『怪異』が居た。爛々と光る金の目を持った、全身が瘴気――『淀』の黒い靄で覆われた一体の怪異が。

 事前に目を通した資料には『化け狸の怪異』と書かれていたけれど、黒い靄が巨大化しすぎて、もはや本体の形が分からない。


「アキハル、結界頼んだ」

 僕は頷き、すぐさま指先を掲げて唱える。

「候ノ三十九、『蒙霧升降ふかききりまとう』」

 ふわりと薄い桜色の燐光と共に、日の落ちかけた夕暮れの中を、白い霧がもうもうと立ち込め始め。あっという間に、公園とその外とを隔てる濃霧となる。

 まるで、外から中を覆い隠すカーテンのような霧の結界。この霧は僕らを外から見えなくし、人の意識をこの場から遠ざける。


「――ヴァゥゥゥグゥゥゥゥ!」

「やべえな、だいぶキレてる」

 空気を震わすような咆哮にピュウイ、と口笛を涼が吹きかけ――それが終わる前に、足元目がけて光と衝撃が落ちてきた。


「……っ、避けろ!」

 2人揃って間一髪で跳びすさり、公園の外周に沿ってぐるりと生えている植え込みの後ろに滑り込む。


――思ったより、威力がやばい。

 僕らが先程までいた場所には矢が突き刺さり、地面にはヒビが入っている。


「おいアキハル、キリキリ走れ!」

 襟首を掴まれ、一瞬息が詰まる。浮いた足先すれすれにまたも矢が突き刺さり、僕らは矢の雨を掻い潜りながら走り出した。


「矢使うなんて聞いてねえぞ、飛び道具はまずい」

「だから資料読めっつったろ!」

 矢を避けつつ、「もっとノロい奴かと思ってたぜ」と舌打ちをする涼に、僕は思わず声を荒げて突っ込む。資料を読めば想像できることだったからだ。


「そもそも徳島の狸はな、『阿波狸合戦』っつって、狸同士で合戦をやった狸の長と、その家臣一派がいるんだよ!」

「だから矢も使えるってか、全く面倒だなおい!」

「そうだよ、だから先に作戦を」

 僕の言葉は、最後まで終わらなかった。

 矢の攻撃を軽やかに避けた涼の片方の口角がニイと釣り上がったのが見え――奴が手を植え込みの向こう側へかざし、唱えたからだ。


「――候ノ三十六・五十六連番、『雨時々降りて地が凍る』!」

 ぶわりと緑と青の燐光が広がり、視界を遮るようなレベルの大雨が一瞬、植え込みの向こう側の空間に叩きつけられ――次の瞬間、パキパキと音を立てながら地面ごと凍らせた。


 候ノ術、三十六番の『大雨時行たいうときどきふる』と五十六番の『地始凍ちはじめてこおる』の合わせ技。前者は夏の、後者は冬の技だ。

 術を合わせ技にするのは難易度が高く、とりわけ今回の夏と冬の組み合わせのように季節が違う術だと、難易度と体力の消耗が跳ね上がる。


 が、それを飄々とやってのけるのが蒼石涼という男だ。生まれ持った才覚で抜群の能力センスを誇る、僕の同級生。僕にはとても、真似できない。


 彼はそのまま地面を蹴り、その跳躍の隙に植え込みの向こう側へ狙いを定めて唱えた。


「――候ノ二十二、『蚕起食桑かいこおきてくわをはむ』」

 途端に、人差し指と中指を銃のように突きつけた涼の指先から緑色の鋭い燐光が迸り。みるみるうちにその燐光は糸の体をなし、ワイヤーのように標的の怪異を絡め取った。

 怪異の足は、凍った地面と地面から伸びた氷の膜で覆われたまま。


「悪いけど、これ以上暴れられると困るんでね」

「ギィィィィィィ……!!」

 緑の燐光を纏った、白く艶やかに光る糸。その糸の縛めから逃れようと黒い靄の怪異が大いにもがくけれど、「無駄無駄」と涼は冷静な顔で一歩前に進み出る。


「俺の蚕の糸は頑丈だからな。大人しくしてろ、さっさと『淀』を浄化して裏世界へ帰してやる」

 そう、涼の蚕の糸は強い。相手が単純攻撃しか出してこない怪異の場合、よっぽどのことが無ければ、これで片がつくことが結構多……。


「ヴォ、ヴァォォォォォォォオオオ!」

 さっきとは比べ物にならないくらい、猛り狂った怪異の声が空気を震わせる。そして次の瞬間、靄はボンという黒い煙と共に一気に小さくなった。

 後に残ったのは、地面にバサリと落ちた涼の糸のみ。怪異の姿は、瞬きの間に影も形もなくなっていた。


「……え?」

「……あ、やべ。こいつそういや狸だったわ」

「あ」

 人間、突飛もない状況の時には体が固まってしまうものである。僕らが冷や汗をかきながら顔を見合わせた、その刹那。


「……!?」

 物凄い地鳴りの音と共に、ドスンと地面を揺るがせる衝撃が辺りに響き渡り。

 僕らの上に、ぬっと大きな影が差して。


「……は? 嘘だろ?」

 横幅も高さも五メートルほどはあろうかという巨大な狸の影の足が、僕らの頭上に振り上げられた。

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