第73話 無理をしないで
サッカーはメンタルのスポーツだと誰かが言っていた。
一年生の夏南が、初シュートを決めたことで味方は気持ちが上がったのだろう。
押され気味だった前半をひっくり返したかのように、夏南の得点後は勢いづいた早苗や若葉がぐいぐいと前へボールを運んでゴールを狙う。ボランチの位置にいる未冬までもがボールをゴール前まで持っていく。
もう一点欲しい。この勢いに乗って追加点が欲しかった。
しかし、先程の夏南のミドルがあったためか相手のゴールキーパーは前へ出過ぎることもなくゴール前を死守し続けた。遠くからのシュートはすっかり警戒されてしまったので無理して未冬が放ってもなかなか決まらない。
何よりも向こうの22番が守備に徹してこちらへ上がってこないせいだろう。相手チームの中でも飛び抜けてスキルもスピードもあるあの選手が、守備を専門に仕切り出したのが功を奏している。ラインを下げてもバックを5人にまで増やしてまでも、絶対にこちらの攻撃の侵入を許さない。
追加点が取れずわずかに選手たちの心が焦れてきた頃、前半終了の笛が鳴った。
ベンチに戻るとキーパーの薫と弥生が夏南に両手を差し出す。
「やったじゃん!夏南。」
「ナイスシュートだったよ。」
軽く手のひらをユニフォームの裾で拭ってから、二人の両手にハイタッチをした夏南は、目を細めて少し笑った。
「ありがと、ございます。」
すると二人の間を分け入るように入って寄ってきた未冬が、軽く夏南の肩を叩く。
「でもなぁ。あのシュートは運だったよな。あれ狙って蹴った球筋じゃないんだろ?」
少しだけ眉根を寄せた。
その通りだった。ゴール出来たのは本当に偶然だ。あんなふうに不規則なバウンドを狙って蹴ったわけではなかった。
「・・・はい。そうです。本当は大きく上に狙ってました。」
「滑ったんだな。だから球にめちゃくちゃ強い回転が入って、それであんなバウンドしたんだろ。」
「そうかもしれないです。正直言えば未だに得点できたことが信じられないくらいなので。」
未冬の目は厳しい。フィールドではあんなにも嬉しそうに喜んでいたけれど、内心ではしっかりと分析して夏南の至らぬ点を見つけていたのだ。
夏南が少し俯いた。水筒を手にしたまま。
その肩に肘を置いて、まるで煽るように未冬は顔を覗き込む。
「つまり、まぐれってことかな?」
「そう、です。」
二人の様子を見た他の選手たちが表情を固くする。
すっかりこの二人は仲良くなったものだとばかり思っていたのに、まさかこんな時に未冬が後輩を煽っていびろうとするとは。
秋穂や弥生が靴下を直している手を止める。若葉や北斗が心配そうに水筒から顔を上げた。
監督とコーチは、今主審と副審のみが立っているフィールドを見つめていた。
やがて未冬は、両手でばしばしと夏南の背中を叩く。
「夏南、運も実力のウチなんだぜ!あんたのまぐれがあんときで本当によかったよ!」
「・・・っげほっ!せんぱ、強い、です」
強い力で背中を叩かれ、咳き込んでしまった後輩は両手で口を押さえた。
「何言ってんだ。あんたの方が力あるある!あんな滑ったシュートちゃんとゴールにいれるなんて、よっぽど力がなくっちゃ出来ないんだよ!運がよかったのもあるけど、あんたが蹴ったからあれは入ったんだ!まぐれだけど実力だ!自信持っていいんだよ!次はちゃんと狙って行こうな!」
見上げれば、未冬先輩の顔は意地悪そうな笑顔をこちらへ押し付けるように見せている。その笑顔を見て少し安堵した後輩は、ベンチにいた純礼の差し出したゼリー飲料を受け取った。
すると、未冬先輩は叩いていた後輩の背中を優しく擦ってきた。
労ってくれているのだろうか。急に優しい手付きに変わった気がする。
「・・・無理のある体勢で無理して蹴るとどっか痛めたりするから気をつけな。」
本当に囁くような小さな声で、夏南の耳元でそう忠告した。
その声に目を瞠って振り返ると、彼女はすぐに離れていってしまう。自分の水筒を取りにベンチの奥へ歩いていく。
「先輩、夏南に意地悪言ってる!後輩に先に得点されての嫉妬ですかぁ?」
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