第34話 あなたならかまわない

 ベンチコートのファスナーをぶきっちょそうに何度も閉めようとしている。サイズが大きいせいか、うまく出来なくてやり直してはまた失敗だ。

「はは。」

 なんだかその姿が面白くて、笑ってしまった。

 笑われて気に障ったのか、嫌そうに眉を顰める。切れ長の目がこちらをちらりと見た。

 駐車場で迎えの車を待っている。練習が終わって時間が経つと体が冷えるので、ベンチコートを羽織ったはいいが、前が閉められないでいる夏南。

 練習中も動かないのでずっとコートを着ていた未冬が、ひょこひょこと足を引きずりながら寄ってきた。すっと体を屈めて、コートのファスナーを閉めてやった。

「ありがとうございます。」

「うん。案外ぶきっちょなんだな。」

 可愛いな、と言いそうになってやめた。どうせ可愛くないです、とかなんとか言い返してくるだろうし。

「サイズ大きくて、手が下まで届かないんです。こういうタイプのコート初めて着るんで、扱い方がよくわからなくて。」

 やたら言い訳のように言い募る後輩の背中に回り、背をくっつけた。

 別に何も言い訳しなくてもいいのに、と思いながら。

「寒くなってきたな。怪我しやすくなるから、夏南も気をつけるんだぞ。」

 もぞもぞと背中をこすりつけ合う。その方が、暖かい。

 なんだか可笑しくて、それを続けながら話した。

「はい。先輩も、寒いと痛むでしょうから、お大事に。」

 すっかり陽は暮れて駐車場には街灯の明りが灯る。他の選手達は皆、帰ってしまった。二人だけが待ちぼうけしているなんて珍しいこともあるものだ。

「希望してたポジションじゃなかったから、心配なの?」

 未冬が言い出したのは、新人戦のスタメンの話だ。

 ありがたいことに、夏南はスタメンの一人に選んで貰えた。それだけで十分に嬉しいから、ポジションがどうのとか贅沢は言えない。言えないが、得意としていない場所につくということは、試合の時に役に立てないかもしれない不安をかきたてる。

 本来はセンターバック、もしくは左右いずれかのバックを得意とするディフェンダーの夏南は、今回の新人戦でサイドハーフを言い渡されている。

 足の遅い夏南にとって、機動力が要求されるハーフはかなりキツい。

「心配じゃないわけないじゃないですか。・・・でも、試合に出してもらえるのは、嬉しいです。だから、苦手だけど精一杯やります。」

「そっか。・・・でも、苦手だなんて思わなくていいよ。練習見てる限り、あんたは十分やれてる。」

「ホントですか?」

「そりゃ理想を言えばきりがないけど、今の夏南が出来る事をやってるじゃん。」

 ポケットに突っ込んでいた手を出して夏南の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。そのまま肩に手をおいてだらんと下げた。

 結んでいた髪の毛が乱されたために夏南は両手をポケットからだしてヘアゴムをはずす。するとふわっとその髪が未冬の手に触れた。冷たい夜の空気にの中で、後輩の髪の香りが香る。柑橘系のコンディショナーの匂いだ。

 何故か、その香りがとても芳しく甘く、未冬に届いて。

 まるで引き寄せられるように、未冬は顔を寄せていた。

「・・・せんぱい?」

 夏南の首のあたりをくんくんと嗅ぎ回る。

「くすぐったいんですけど。」

「やー、いい匂いだなって思ってさ。何使ってんの?シャンプー。」

「帰ったら銘柄調べます。・・・だから」

 離れてください、と、夏南は言わなかった。

 嫌だとは思わなかったから。

 恥ずかしくて赤面している顔は暗くて未冬には見えないだろう。顔を見られないのならもう少しこうしててもいい。暖かいし、心地いいから、送迎の車が来るまで、もう少しだけ。

 未冬はひとしきり夏南の首周りを嗅ぐと、あっけらかんと笑った。

「あんたってホント。」

 可愛いな、という言葉を飲み込む。

 


 

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