第33話 がんばろう。

「えらいんだな。夏南は。あたしはそんなこと考えたこともないや。」

 未冬が感心したように言った。

「別にえらくはないと思います。先輩はそんなことより、一刻も早く足を治すように考えたほうがいいと思います。」

「そりゃそうだ。」

 夏南の言う正論に、その場の誰もが賛成した。

 再びジョギングへ戻っていった後輩二人を見送りながら、未冬がまた息をつく。

「どうしたの未冬。夏南の家のこと知ってたんじゃないの?」

 傍らに腰を下ろした監督が、未冬の手元を覗き込んだ。

「はい、父親がいないってのは聞いてたんですけど。・・・なんていうか、あいつ大人なんだなって思っちゃいました。あたしなんか、自分のことしか見えてないのに。夏南はちゃんと色々考えてるんだって思ってびっくりしましたよ。」

「そうよ。夏南は凄く周囲の人間のことを見ているの。元からそういう子なんでしょうね。だから、サッカーもそうなの。あの子はとても周囲の人間を見ているのよ。そのうえで自分がどう動くべきかをちゃんと考えている。」

 それは、つまりはそれが未冬に足りていない部分だと、そう言っているのか。

 監督が何故、夏南を入団させたのかを考える。

 運動能力や体力は並以上だったけれど、サッカーのセンスが感じられなかったあの子の、どこを買ってチームに引き入れようとしていたのか。

「あなたや早苗のように自分のペースでガツガツ行ける子はすごいと思うわ。でもね、そういう子だけでは、チームは成り立たないの。」

「そ、それはもちろん」

 わかっているつもりだった。

 わかっている。点取り屋だけでは試合に勝てない。だが、点取り屋がいなくても、チーム自体の習熟度が上がっていれば勝てることもあるのだ。

 ちゃんとそれはわかっているつもりなのだ。それでも、監督がこんなことを言うということは、自分には思い上がっているところがあると言うことなのか。

 自分がいなくては、チームが成り立たないとでも。そんな風に。

「このシーズン、あなたの調整はもう間に合わない。だから、あなた無しでのチーム作りをするけれど。」

 未冬が唇を噛む。

 悔しい。自分が試合に出られず、黙ってみていることは、例えようもなく辛い。辛いのだ。入団してから、そんな経験は殆どなかった未冬なだけに。

「でもね、それでもやっぱり点取り屋が居たほうがいいに決まってるんだから。早く、そして、完全に治してくるのよ。わかった?」



 郁海が隣りへ走り寄ってくる。

 俊足の彼女が並ぶと抜かされる。それが嫌で、思わずスピードを上げる。けれどもあっさりと隣に並んだ。

「・・・夏南って走りのフォーム綺麗なのに、なんでタイム上がんないの?」

「それな。」

 今日は郁海は抜いていかず、そのまま並走するらしい。

 夏南は、自分でも足が遅いことを気にして、走りのフォームを研究して矯正しているのだ。それでも、思うように速くはならなかった。ただ、フォームが良くなったせいか長時間走り続けても疲れが出にくくなった気がする。

「新人戦、がんばろうね、夏南。」

 ニコっと笑って郁海が言う。

 そんな風に言ってきた彼女は初めてだ。表面的には明るくつきあいのいい郁海だが、個人的に夏南に何かを言うことは少なかった。

 未冬の怪我や夏南の家庭の事情を知ったことで、郁海も何か考えることがあったのかもしれない。

「うん、がんばろう!」

 夏南も素直に、そう答えた。




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