第31話 調整

「・・・ですよね。」

 その気持ちは本当によくわかる。

 ベンチにいる選手の心は、夏南にとっては馴染みの有るものだ。そして、怪我でそこにいなくてはいけない辛さも。

 何も出来ない無力感。役に立てない情けなさ。置いていかれるような劣等感。

 じっとしては居られないのに、じっとして皆の練習や試合をみていなくてはいけないのだ。

 それが痛いほどにわかるのに、それでも未冬が姿を表してくれた喜びが胸を満たした。練習に来てくれて嬉しかった。顔を見ることが出来て安心した。

 勝手な自分の思いに呆れるほどだった。

 だから、未冬のそばにいたくなくて、ベンチを飛び出してきたのだ。

 視線をフィールドへ戻すと。

 薫の指示の声が遠くに響く。

 実花の嫌そうな返事が聞こえる。

 弥生がそれに腹を立てて怒っている。

 いつもの光景を眺めていながら、この光景の中にいない自分がやりきれない。

 スパイクが芝生を踏む音、ボールを蹴る音。身体がぶつかる音。

「でもさ、顔を見せないのも悪いじゃん。皆にもコーチにも監督にもさ。やっぱ、迷惑かけて心配かけてるんだから、このくらいしなくちゃ。」

 杖で地面にへのへのもへじを書いている未冬。

 それから、夏南の方へ顔を向けて、にっと笑う。

「あんたの顔も見たかったしさ。すっげ心配させちゃったみたいだったし。」

 がくんと足から力が抜けるかと思った。

 かろうじて、その姿勢をしっかりと保つ。そして、再び視線を先輩からピッチへ戻す。にやけそうになる頬を、必死で矯正しながら。

 未冬先輩のくせに。

 そんな可愛らしいことをいうなんて。

 いつもキツくてダメ出しばっかの、怖い先輩のはずなのに。

「おーい!夏南、交代して!」

「あ、はい!」

「郁海の代わりにトップ下入って!」

「・・・は、はいっ」

 監督の指示が飛んでくる。

 未冬が手を差し出した。旗をよこせ、と杖をついてない手を振る。

 郁海が水筒を片手にこっちへ走ってきた。

 夏南はその場でビブスを脱ぎ、旗と共に未冬へ手渡す。そのまま、コートの中へ走って入っていく。

 その後ろ姿を、未冬が眩しそうに見つめていた。



 舌打ちを一つした早苗が水筒を片手にベンチの裏側で腰を下ろした。

「よ」

 すでに先客の秋穂がそこで休んでいる。

「よ。・・・新人戦、組み直さなくちゃだなー。」

「だね。一年生を未冬の代わりにもう一人入れて、調整しないと。」

「さっき弥生とも話してたんだけどね。休んでた純礼すみれ梨那りなは、まだ本調子には程遠いしさ。対人ではまだ危ないって。」

 怪我で休んでいた二人の二年生も先月から週イチくらいで練習に来るようになっていた。だが、リハビリの途中なので、まだまだ実践投入というわけにはいかない。

「まーた監督と擦り合わせなくちゃだな。間に合わないのはもうしょうがない。」

 早苗は水筒のスポーツドリンクを飲み干した。

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