第26話 恥ずかしい
ベンチの後ろから、声がかかった。
「かーなん。ママだよ〜、差し入れ持ってきたんだ〜。」
気の抜けるような声にベンチから滑り落ちた。
練習試合の二本目が終わり、昼食にしようと監督のお達しが出た直後である。
「ちょっ・・・!勝手にベンチ裏来たりしたら・・・!」
「こんにちはー!いつも娘がお世話になっておりますー!あのー、これつまらないものですけどー差し入れなんで、皆さんで召し上がって下さいー!」
ずかずかと入ってきて田村コーチに差し入れのビニール袋をガサガサ手渡す。
ひえぇぇええ。
悲鳴を上げたいけれどこんな時に限って声が出ない。
母親の行動力に泣きたくなる。やめてくれーと言いたいけど言えない。
「こんにちは。これはこれは、観戦に来てくださったんですね。ありがとうございます。差し入れもありがとうございます。みんなー、ちょっと来て、整列ー。」
「コーチ・・・!いいです、いいですぅ・・・!」
という夏南の渾身の叫びは無視される。
早苗キャプテンが全員を並ばせて、夏南の母親の前に整列した。ビシッと綺麗に並んで、
「差し入れ、ありがとうございまっす!!」
「ありがとうございまっす!!」
全員が90度のお辞儀をしてみせる。夏南一人を除いて。
「まーまー!なんて礼儀正しい!いつも夏南と仲良くしてくださってありがとうございます。午後も、がんばってくださいね!!」
恥ずかしくて居たたまれないけれど逃げ出すわけにも行かない夏南は、ただ上目遣いで母親の方を睨みつける他無かった。
愛想いっぱいにニコニコしながら娘に両手で手を振る母に、夏南は無視を決め込む。
勝手に来て、皆の前でママだよ、とか、あり得ない。
恥ずかしくて死にそうだ。
そんな彼女の心のうちはともかく、チームメイト達はビニール袋の中の差し入れに夢中だ。
「わーフルーツゼリーじゃん。やった、冷えてる〜っ」
「うち、みかんがいい!」
「わたし、ぶどう、とった。」
「桃もいいな〜。」
そこへ、パンパンと手を叩いて監督が登場し、袋を取り上げる。
「はいはい。そこまで。午後の三本目で一番いいプレイした子に好きなものを選ばせてあげよう。得点、セーブ、ファインプレイならなんでもいいよ〜。」
「なんでもいいんですか!?」
「監督の独断と偏見で決めるけどね?」
「なんだぁ〜。」
「自薦他薦も受け付けます。」
「おお〜。」
田村コーチが再び袋を受け取って、合宿所へ持っていった。冷蔵庫に保管してもらうのだろう。
中学生女子と言ってもまだまだ幼いのか、こんな勝負事が嫌いではないのだろう。午前中の試合で疲れ切っていた選手達も、気力を取り戻し始める。
監督も『勝ちなさい』と言わないところがミソだ。
ベンチの隅で恥ずかしさの余り蹲ってる夏南のところへ、監督が座った。
「先に少し、お母さんとお話してきた。とてもやさしいお母さんだね。夏南のことくれぐれもよろしくって、頭を何回も下げてたよ。」
そう言われて、思わず顔を上げる。
行動力が有りすぎて恥ずかしいけれど、でも、いつだって夏南のことを思ってくれる母なのだ。
母子家庭だからと周囲に白い目で見られないように、何不自由無く育てなくてはならない。そんなふうに気負っていた時期も有った。けれど夏南は母と二人の家族に不満を抱いたことなど一度もなかったからか、いつも母親に従順で、逆らったことなど無い。当然ながら、母親のことは大好きなのだ。
今日はとても恥ずかしい思いをしているので、素直にお礼を言いにくいけれど。
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