聖ヨハンナの言い伝え
昔昔あるところに、ヨハンナという女がいた。
彼女は楽器をよくした。歌を歌えば人々は涙し、弦を爪弾けば枯れ木に花が咲き、笛を吹けば獣たちが集まって聞き惚れた。
彼女はひどく内気で、人と交流しようにも顔を赤らめて物陰に隠れるありさまだった。彼女の音楽を聴けるのは、彼女が人に取り囲まれず、一人で安らいでいる時だけだった。
ある時、人々の争いが起きた。ヨハンナは悲しんだ。自分は人々と交流するのが苦手だ。けれど人々の諍いを見るのは悲しい。なぜ人々が争うようになったのか、彼女には分からなかった。殺し合い、互いを罵る人々を見て、言葉では解決できない物事があると悟った。彼女は一人きりの住まいを出て、争いの地に向かった。人々の睨み合う真っ只中で、彼女は勇気を振り絞って歌った。
荒れ果てた地に現れた女に、人々は戸惑った。放たれた弓矢と石が、刃が、拳が、罵る言葉が、ヨハンナに降り注いだ。彼女は歌い続けた。血を流し、力尽きるまで、か細くも歌い続けた。その歌声が途絶えた時、争いは鎮まった。人々は後悔した。ヨハンナの音色を失ってまで得たものは、何もなかったからだ。
ヨハンナの祈りは天に昇り、やがて不思議な場所を作り出した。稀に、不思議な場所に招かれてヨハンナの音色を聴き、それを故郷に伝える人が現れた。招かれた人々は異口同音に語った。
「そこでは言葉の壁がなく、美しい音楽が流れ、楽園のような風景を描いている」
時が経ち、不思議な場所はやがて学び舎となった。言葉の壁を越えて音楽を学び、争いの世界に平和を齎すための場所は、いつしかこう呼ばれるようになった。
――聖ヨハンナ音楽院、と。
聖ヨハンナ音楽院関係小話 藍川澪 @leiaikawa
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