サブマリン・ナイトメア ~~深海のスナイパー~~

明日乃たまご

深海のスナイパー

 神戸ミユキ少尉の脳内にはイメージがある。マッコウクジラが悠々と泳ぐ姿だ。


「もう少し右。……そうそう、真直ぐ。……もうすぐ出会うわよ」


 人一人がやっとはいれる半透明のデバイス・カプセル。中は肌をヒリヒリと刺激する塩の香りで満ちていた。ケーブルの延びたフルフェイス・ヘルメットだけを装着し、眼や耳はヘルメットに塞がれている。全裸だった。


 ミユキは感覚と思念を武器とするサイコファイターで、思念で追いかけるものはクジラなどではなく、領海をおかす潜水艦だ。


 その日も太平洋を我が物顔で侵食する某国の攻撃型潜水艦が、ハワイ島の米国領海に入り込んでいだ。


 ミユキの脳内のイメージは、マッコウクジラから全長120メートルほどある人工物に変わり、どんどんミユキに接近する。いや、ミユキがそれに向かって進んでいた。


「当たれ」ミユキはつぶやく。


 刹那、巨大な潜水艦に巨大な穴が開いたのを感じる。


「やった……」


 ミユキが思念で誘導した魚雷が敵の潜水艦に命中したのだ。


 魚雷が開けた大穴から、大量の空気と共に乗組員150人分の恐怖と絶望が溢れ出した。


「クッ……」


 ミユキは胃袋をかき回されたような不快感を覚える。


 いつもそうなのだ。シミュレーションならば敵を沈めて得られるのは勝利の爽快感だけだが、実戦では達成感と同時に不快感と疲労やってくる。


「ミユキ。よくやった」


 戦術長の忌部亜佐美いんべあさみ少佐の声と共に、頭の中から海と敵潜水艦のイメージが消えた。代わりに浮かんだのは青白い亜佐美の顔と風呂だった。


 湯船につかって疲れを癒したい。だが、潜水艦の中では無理な願いだ。


「シナプス接続オフ、……イオン粒子排出、……システム・スタンバイモード」


 ヘルメットの銀色のシールドを上げ、取り外す。


 カプセルを出て戦闘服を着ていると、えびすヨウイチが祝福する。


「おめでとう」


 戎はミユキと同期の22歳。やはりサイコファイターで少尉だった。


 サイコファイターは特殊な技能を持つことから、入隊と同時に尉官とされた。


「150人殺したのよ……」ミユキが応える。


「潜航したまま領海に侵入するのは宣戦布告も同じだ。攻撃を受けたからといって、文句は言わないさ」


 ミユキは戎を無視し、小さな自室に戻った。音楽プレーヤーを耳に当てると一冊の本を片手にしてベッドに横たわった。


ミユキが乗っているのはナイトメアという名の潜水艦だ。通常、潜水艦は艦船の発する音を頼りに位置を把握する。動力を止めた無音の敵に対してはピンという音波を照射し、反射してきた音で所在をつかむ。


 ナイトメアは音波の代わりに感性の優れたサイコファイターの感覚と思念をナイトメアシステムで増幅して使用する。それは敵を探査するだけでなく、魚雷を誘導することもできた。


 サイコファイターが誘導する魚雷は、機械的な自動追尾装置と違ってデコイやジャミングの妨害を受けて外すことがない。ナイトメアは敵国におそれられ、スナイパーと呼ばれた。就航して1年ほどしかたたない艦だが、すでに5隻の敵潜水艦を沈めている。


 覇権を争う大国は公式の場で握手を交わしながら、見えない場所では常に戦っている。国境を犯した国は、たとえ船を沈められても己が違法行為を行った都合上、騒ぎ立てないだけなのだ。


※※※


 ミユキは1歳になる前から両親の虐待を受け、その行動や感情に敏感になった。成長するにつれて全ての他者の気配に過敏になり、壁越しの存在さえ察知することができた。逆に心を封じる術も覚えた。


 小学校5年の夏、暴力をふるう父親から逃げ出してマンションの階段から転落。大怪我を負って保護され、それからは施設で育った。


 中学に入る年、国家機関のPSAピーエスエー研究所から人がやってきて、寄宿制の学校に入れられた。そこには似たような境遇の生徒が20人ほどいて、中学、高校と、勉学と同時にPSAサイを鍛える訓練を受けた。


 高校を卒業すると同時に、半強制的に自衛隊員にされたが、やることはPSA訓練ばかりだった。


 ミユキにとっては、両親の家はもとより、児童保護施設もPSA研究所も、自衛隊も、望まない場所だった。


 ミユキは、2年ほどで米軍への交換将校として派遣され、新造艦ナイトメアに乗ることになった。ナイトメアが日本国の資金で建造され、その名がナイトメアシステムから取られ、実践を行うために米軍に籍を置いていると知ったのは、船に乗ってから半年後のことだ。


 ナイトメアには4名のサイコファイターがいた。1年先輩の河本かわもとツガル中尉。同期の阿部あべハルカと戎だ。


 サイコファイターは2年間で5隻の潜水艦を沈めたが、ミユキが3隻でトップだ。ミユキが当直の時にたまたま敵と遭遇したともいえるが、運も実力の内と考えればミユキの能力が一番高いといえた。


 生まれてからこの方、不本意な場所にばかりに身を置くミユキを癒すのは、千坂ちさか亮治りょうじという作家のSF小説だった。彼が描く世界は人と人とが分断された孤独なものばかりだが、それでいて個々の人物は健気で前向きだった。それは、ミユキが生きている世界とよく似ているのだ。


 ミユキは千坂の作品の中でも〝偽りの記憶〟を愛した。


 --小説の主人公は全寮制の高校で青春を謳歌していたのだが、交通事故の衝撃で自分の記憶が全て作られたものだということに気づいてしまう。実際の自分は両親から虐待を受けていて、祖父が両親から引き離すために全寮制の学校にいれたのだ。


 怪我で入院した青年が両親にうとんじられ、暴力を受けた記憶に苦しんでいると、看護師が未来の自分を信じることで、過去を乗り越えられると教えた。彼女もまた、作られた記憶から醒めた人間だった。青年には記憶を書き換えるチャンスが与えられるが拒否し、看護師を愛することで豊かな人生を送る--


 そうした話だ。


 私なら気持ちのいい記憶を選ぶのに。……ミユキはそう思いながらも、〝偽りの記憶〟を手放さなかった。


※※※


 ナイトメアの艦長はリュック・ピカード中佐で偏見が軍服を着たような金髪の男だ。当初、自衛隊から派遣された6名の日本人と同乗することに不快感をあらわにいていた。ところが、サイコファイターが抜群の実績を上げてからは、自分が日本人を育てている、と自慢していた。


「日本の戦友諸君。喜んでくれ。来月、日米合同訓練が行われる。我々は横須賀で半月の休養をとり、日本海に進出する。日本の空気をしこたま吸い込んで故郷を満喫してくれ」


 ナイトメアには、サイコファイター以外にも米軍と自衛隊の仲介役をする副長の加藤かとう少佐とサイコファイターを統括管理する亜佐美少佐が乗り組んでいる。


「日本海……、どんな訓練ですか?」


 リュックの隣で加藤が訊いた。


「ユーラシア大陸から日本に向かって落ちてくる大陸間弾道弾を迎撃するテストだ」


「水中の作戦ではないのですか?」


「水中で出来ることなら空中でもできるだろうというのが、日米両幕僚本部の見解だ。その可能性をテストする。日本を守るためだよ。悪くない話だろう?」


「日本海で出来るなら、北極海でも大西洋でもできる。テストに成功したら、ナイトメアはワシントン近海に置かれる。違いますか?」


「それは私には応えようのない質問だな」


 短い応答の後、ナイトメアは深く潜行して横須賀を目指した。


※※※


「潜水艦ではなくミサイルを撃ち落とすなんて、馬鹿げていると思わないか?」


 戎はミユキに言った。サイコファイターの控室でのことだ。


「軍は、とんでもないことを考えたわね。水中と大気中。途中には激しく動く波がある。私たちの感覚が及ぶ世界かしら?」


「全くだ。疲れるだけだよな」


「でも、船を沈めるより気持ちは楽だわ」


 戎は忌々いまいましげだが、ミユキは違った。


「沈めるのはきついか?」


「戎は感じないの?……あの不快な圧迫感」


「死んだ連中には申し訳ないが、自業自得だ。……俺たちが責任を感じることはないさ」


「そうかしら……」


 ナイトメアが横須賀基地に入港すると乗組員のほとんどは街に出たが、サイコファイターの4人は基地を出なかった。


 彼等には家庭であれ学校であれ、日本での楽しい経験はほとんどない。彼らを待つ家族もない。それゆえにサイコファイターとしての能力が開花したともいえた。彼等は家族に半強制的に自衛隊に送り込まれ、直後、米軍の指揮下に入れられた。それは家族に棄てられたように、日本国にも棄てられたようなものだ。日本の空気に癒されるはずがなかった。


「早く海に戻りたいな」


 仲のいいツガルとハルカは官舎の窓から、日なが、海と空を見ていた。日本でもアメリカでもない。海が自分の生きる場所だと信じていた。


 戎は埠頭ふとうで釣り糸を垂らす。太公望よろしく魚を釣り上げようとは考えていない。魚が針の周囲をよぎるのを感じ、魚との会話を楽しんだ。


 ミユキは〝偽りの記憶〟を読み返していた。主人公に恋をしているのではなかった。恋をするには、ミユキの気持はあまりにもめすぎていた。


 明日には出港するという夜、ミユキが食堂で本を読んでいると、戎が背表紙をパチンと指ではじいた。


「またその本かよ。好きだな」


「私の勝手でしょ」


「だな……。俺の記憶も作られたものならいいのにな」


 戎がミユキの隣に座る。


「なぜ?」


「本当の自分は楽しい青春を謳歌おうかしているのかもしれない。それなら、今の記憶が消し飛ぶのが楽しみじゃないか?」


「馬鹿じゃない。本当の記憶は、もっと悲惨なものに決まっているわよ」


「ミユキは夢がないな」


「ヨウイチの夢って何よ?」


「俺は、……そうだな。家庭を持って……」


「妻や子供を殴る?」


「そういう言い方はやめてくれよ」


「言い方を変えたって、結果は同じよ。私たちに幸せはやってこない。私もあなたも、人殺しなんだから」


 戎はチェッと舌打ちをして立ち上がった。


※※※


 訓練前のブリーフィングが行われたのは、4月初旬。ナイトメアが日本海の底にいる時だった。


 狭いミーティングルームに集まったのは幹部とサイコファイターの4人だけだ。


「3発の模擬弾道ミサイルが某国近海から発射される。サイコファイターは1発ずつ捕捉し、迎撃ミサイルSM-10で撃ち落とす。簡単だろう?」


 横須賀から乗り込んだ作戦参謀のウイリアム・ライカは両手を広げておどけてみせる。


「大陸間弾道弾ということは、落ち始めたらマッハ10ほどの速度です。それに当てるなど不可能ではありませんか?」


 亜佐美が疑問を投げるとウイリアムが首を振った。


「SM-10の方向転換性能は格段に向上している。目標さえイメージできれば、それを迎撃するのは回避行動をとる海上艦に魚雷を当てることより易しいのではないかな?」


「何を案じている。この2年。サイコファイターたちは確実な実績を上げた。神戸少尉は15キロ先の艦を沈めることにも成功している。部下を信じたらどうか」


 艦長の発言に対しても亜佐美が遠慮しなかったのは、不安ゆえのことだ。サイコファイターたちは、黙って幹部の話を聞いていた。彼らには何の権利もない。


「水中から飛行物体を捕捉するなど、訓練も行っておりません。まして、高高度では……」


「忌部少佐がそんなに心配していては、彼らの精神にも影響を与えかねない。発言には注意したまえ」


 加藤副長は硬い表情のミユキらを指して、亜佐美の発言を封じた。


「やったことがないから訓練をするのだ。模擬ミサイルは沖縄、立川、小松の各軍事基地を想定した地点に飛ぶ。各基地から相当の距離のある洋上だ。失敗しても被害は出ないのだから、伊部少佐もサイコファイターの諸君も安心してくれたまえ」


 ウイリアムは立ち上がると、右腕を上げて陽気にガッツポーズを決めた。


※※※


 ナイトメアには、人間と機械を繋ぐデバイス・カプセルは3機しかない。


「今回搭乗するのは、ツガル、ミユキ、ユウイチ」


 亜佐美がメンバーを発表すると、指名されなかったハルカはほっと息を吐いた。


「訓練だからこそハルカも乗せたいところだが、この訓練には莫大な金がかかっているうえに、マスコミも注目している。失敗するわけにはいかないのだ」


 それは、ハルカの能力が一番劣っていると言っているのも同じだった。


「わかっています。みんな頑張ってね」


 ハルカはカプセルに入る3人にエールを送る。


「任せて」


 ツガルが応じた。


「おうよ」


 ユウイチが親指を立てる。


 ミユキは小さくうなずいただけで戦闘服を脱ぎだした。


 裸になったサイコファイターはカプセルに入るとヘルメットを装着する。


「スタンバイモード解除、イオン粒子充填」


 カプセル内にイオンが満たされると、肌は刺されるようなチクチクとした刺激を感じる。


「シナプス接続」


 頭に電気が流れると殴られたような衝撃がある。眼を閉じると自分の身体は消えて、ナイトメア全体が自分の身体のように感じた。


 視線……、とはいっても実際の視線ではないけれど、それを遠くに向けるとミユキには日本海に浮かぶ船の数々が見て取れた。


「前方10キロに護衛艦ちょうかい、その北1キロの海中300メートルになだしお型潜水艦。ロシア原潜がちょうかいの西5キロで無音潜航。ほぼ海底です……」


 ミユキがいつものように視界を説明すると指揮所の幹部は満足そうにうなずいた。


「上空はどうか?」亜佐美がきく。


 ミユキは頭の中のイメージを上空に向けた。うねる波があり、その上には何もなかった。


「ア……、8時の方向5キロを対潜哨戒機A-5、所属は……、日の丸です。自衛隊機」


「おぉ、彼等は、目標物の国旗や紋章まで見えるのか」


「彼女は特別です」


 ウイリアムの驚きを亜佐美が正す。


「自分が感じるのは、ぼんやりとした飛行機の影だけであります」


 戎が報告すると、亜佐美は苦笑いを浮かべた。


「定刻まで5分」


 指揮所の緊張が高まる。


「対潜哨戒機が飛び去りました。そろそろですか?」ミユキがきく。


「馬鹿者。そんなことを知っては訓練にならないだろう」


 加藤がマイクに向かっていうと、「申し訳ありません」とミユキが応じた。


 氷のような静寂が生まれる。


「時刻です」


 亜佐美はマイクを絞って囁いた。


 ウイリアムとリュックがうなずき、自分の時計を確認する。


※※※


 200キロほど西の原潜から、中距離弾道ミサイル・フラッシュⅡ-D7が3発打ち上げられた。大気圏外に出てから、それぞれの目標上空に落下する軌道だ。


「さすがに200キロ先は見えないようだな」


 サイコファイターの声がないことにウイリアムは不思議と安堵した。もし、ミユキが打ち上げられたばかりの弾道ミサイルが見えたと言ったら、化物と恐れたに違いなかった。


 カプセル内のミユキは、ほぼ身体を横たえた状態で空を見ていた。目標が上空だと限定されていたから、水中に意識を向けて精神が疲弊するのを回避したのだ。


 意識を配る範囲を限定したため、意識は遠くにまで届いた。小松基地の沖合10キロ上空で訓練を見守るヘリが見え、その近くが着弾地点だろうと考える余裕もあった。


「えっ?」


 ミユキが思わず声を発したのは、感覚をひどく刺激する4つの存在に気づいたからだ。3つは模擬ミサイルだと分かる。もう一つ、やたらと温かい刺激がある。……何だ?


 意識を集中すると、200キロほど離れた丘の上に中年男の存在を感じた。〝偽りの記憶〟の著者である千坂亮治だった。その男がまるで主人公の高校生のような眼で、こちらを見ているのだ。


 これは……。ミユキは自分の身体を包むような熱量を恋だと思った。


「少尉、どうした?」


 亜佐美が声を掛けるとミユキの声がスピーカーから流れる。


「目標捕捉。青い光です。低いのが中央。東と南に高度を上げているのが1基ずつあります」


「ミユキ、早すぎる」


 戎とツガルの呻きにも似た声が続いた。


「では、一番低いやつをミユキが落とせ。東に向かうのは戎だ。南はツガル」


 亜佐美が命じると「了解」と三つの声音が流れた。


 1分後、ミユキの判断で最初の迎撃ミサイルSM-10が射出され、ナイトメアが僅かに揺れた。


「あと1分ほどで第1弾が当ります」


 レーダ担当のミドリ・オブライエンが報告した時だ。


--ピピピピ--


緊急警報のアラームが鳴った。


「何だ?」リュックがきく。


通信担当のキャサリン・ポラスキーが驚きの方告をした。


「VLF無線連絡。発射したフラッシュⅡには、誤って核弾頭が搭載されています」


 ナイトメア全体の時間が止まったかのような静寂があった。


「なんだと! ファイターども必ず撃ち落せ」


 リュックの声が艦内に轟くと時間は動き出し、乗員の感情はパニックに陥った。


 乗員の恐怖と不安、憎悪と失望が滝のようになってミユキに流れ込む。


 --キャァー……ミユキの悲鳴だった。


「タスケテ」


 ミユキに流れ込む乗員の感情は、ミユキを嬲り押しつぶすようだった。幼いころに殴られた父親の顔が、熱湯をかけた母親の歪んだ表情が脳裏を赤く染め、汚物を投げつけた同級生のあざけりが黒く飛び散った。


「タスケテ」


 何も知らない千坂が、遠くからミユキを見つめている。そこに行けば救われると感じた。


「タスケテ」


 恐怖と困惑と怒り、記憶とミサイル……。ミユキは自分のもつすべてを引きるようにして千坂に向かった。


「ミユキ! 心を閉じろ」


 亜佐美の声は、ミユキには届かなかった。


 シナプス接続を強制的に切り離され、カプセルから助け出されたミユキは全身が痙攣していた。白目をむいた眼は内出血で真っ赤に染まり、鼻や耳からも血が流れ出していた。


「救急班!」


 叫んだが、急いだところでどうにかなるようなものでもなかった。


※※※


 東と南に向かっていたフラッシュⅡは自爆処理され、核爆発は阻止された。


 ところが、小松基地沖に向かったフラッシュⅡは、自爆信号を拒否するように受け付けなかった。それどころかミユキの思念の影響を受けてコースを大きくそらしていた。まるで恋人を求めるように……。


 フラッシュⅡとSM-10はミユキに導かれて激突した。福井県の原子力発電所上空だった。


 その日、原子力発電所の南の丘で桜を眺めていた千坂や多くの無辜むこの住人が爆発に巻き込まれた。


 フラッシュⅡの爆発で多数の原子炉が制御不能となった。冷却装置が壊れたからだけではない。装置を動かす職員は全て死亡したし、事故処理作業に向かえる人間もいなかったからだ。道路は寸断され、道は死体と瓦礫で埋まっていた。


 大半の生命は死に絶え、送電線から切り離された機械は沈黙した。ただ、熱風によって発生した火災とメルトダウンした核燃料は暴走していた。


「悪夢だ……」世界中の人間が同じことを感じていたに違いない。


「しかし、ピンチはチャンスだよ」日本の総理は違った。


「我が国は核攻撃を受けた。2発はぎりぎり迎撃できたが、1発は不幸にも着弾した。日米同盟軍は、すぐさま防衛のために反撃する」


 メディアの前で宣戦布告した。


※※※


 作戦から外されたナイトメアは横須賀基地に寄港し、ミユキ、戎、ツガルの3名を病院に移した。ミユキ程ではなかったが、戎もツガルも感情のオーバーヒートで脳を損傷していた。


 ミユキの意識が戻ったのはひと月後で、既に4月戦争と呼ばれた反撃は終わっていた。


「大丈夫か?」


 戎が声を掛けた。


 ミユキには戎の顔が〝偽りの記憶〟の主人公に見えた。


「私はカプセルの中で……」


「あぁ。みんなオーバーヒートしてしまったんだ。ミユキも鼻血なんか流して、大変だったんだぞ。ミサイルも福井で爆発した」


「……そう……、なの……」


 記憶をたどると千坂の優しい眼差しがあった。頭が痛み、他のことは思い出せない。


「もう少しナイトメアに繋がっていたらダメだったろうって医者が言っていたよ。ギリギリのところで助かったんだ」


「私、助かりたくなかった……」


「馬鹿なことを言うな。俺たちは死んだ40万人に代わって生きていかなきゃいけない」


 ミユキは、自分が核ミサイルと共に千坂の懐を目指したのだと悟った。


「私が殺したんだ」


「ナイトメアシステムが不完全だったんだ。それに、模擬弾と核を間違って乗せた馬鹿が悪い」


 戎は勢いよく言ったが、ミユキの醒めた視線の前にため息をついた。


「……ミユキの言うことも間違いじゃない。これが作られた記憶なら、どれだけ楽だろうな……。ミユキがミサイルの向きを変えなければ、死ななくてすんだ人間がいた。だから、生きなきゃいけない。俺たちは歴史の証人なんだ。ギリギリまで生きて、俺たちがした過ちを後世に伝えないといけない」


 ミユキは、戎の温かい胸の中で声を上げて泣いた。


 生まれて初めて感じたリアルなぬくもりだった。


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サブマリン・ナイトメア ~~深海のスナイパー~~ 明日乃たまご @tamago-asuno

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