第五話 傷

 ちょっとまずいことになった。

 いや、だいぶかな。

 あれ以来、真くんはなにも話してくれなくなった。

 というか、会ってくれない。

 ずっと自分の部屋に閉じこもっているんだ。

 訪ねていっても鍵をかけられているし。

 そんなんだから、もちろん調査や実験も進まない。


「まぁ……仕方ないよなぁ」


 僕はこの世界に慣れているが、彼にとってはショックだったはずだ。

 少年の、誰かを助けたいという思いを踏みにじってしまった。

 悪いことをしてしまったな。


「よぉ、鈴木」


「あ、先輩。おはようございます」


「お前、あの子に嫌われたんだって?」


「うっ……」


 改めて言われると、心に刺さる。

 本人から嫌いだと言われたわけではないんだけど。


「なにもお前を責めてるわけじゃないんだがな」


 先輩は僕の隣に座った。


「世界ってのは、少年が夢見るほどきれいじゃないんだよな」


「そうですね……」


 世の中にはどうにもならないことがある。

 僕だってそれに打ちのめされることもある。


「他ならぬ彼自身もそれを知ってるんじゃないか?」


「え?」


「ほら彼、学校行ってないだろ?」


「ああ……」


「社会に出れば、見たくないものを見てしまう。だから、閉じこもってしまう。彼の気持ちは痛いほどわかるんだけどね~」


「……」


 見たくないものを見てしまう……か。

 彼は目が見えていないから、余計に辛い世界を見ることになったのだろうか。

 今僕が抱いている哀れみに似た感情も、彼を傷つけてしまうのだろうな。


「しかし、君達が落ち込んでいると研究が進まないんだよ」


「すみません……」


「そこで、プレゼントを用意した」


「プレゼント?」


――――――――――


「おはよう、真くん」


「……」


 今日も返事はなしだ。


「今日は、プレゼントを持ってきたんだ」


 僕は手に抱えたそれをなでる。

 これが仲直りのきっかけになればいいんだけどな。


「これ、ヘッドホンなんだけどさ。真くん専用なんだよ」


 僕の声は届いているだろうか。


「あの怪物の声を、聞こえなくするヘッドホンなんだ」


 技術部が特注で作ってくれたんだ。

 なんでも超音波を打ち消せるらしい。


「これがあれば、夜寝るときに悩まされることもないんだよ」


 魅力的だろう?


「さらに、超音波を抑える機能も付いているから、苦しまないで聴けるよ」


 ここまで説明すると、やっと返事をくれた。


「でも、それならあなた達が付けたらいいじゃないですか」


「いやいや、そうもいかないんだよ。いくら抑えたとはいえ、いまだ人間には聞こえないレベルなんだ。だから、普通の人より聞こえる真くんが必要なんだよ」


 だから、君が断ったら……。


「……僕、嫌です」


「え?」


 正直、聞きたくなかった言葉だ。


「黙って奴らの声を聴くだけなんて」


「……」


「僕はっ、助けたいんですよ!!」


 助けたい……か。

 声を荒げる彼からは、すごく気持ちが伝わってくる。


「鈴木さんだって、あのとき僕がいなかったら死んでたかもしれないんですよ!?」


 たしかにそうだ。

 あのとき君がいなければ、僕は今ここにいなかっただろう。

 それには感謝している。


「なのに! こんなところに来たのに!! 誰も助けられないなんて!!!」


「……」


「僕のしようとすることは間違いなんですか!?」


「……間違いなもんか」


「え?」


「そうだよ、君が正しいよ。目の前に困っている人がいたなら助けるべきだよ」


 僕だって、そうしたい。

 ……研究者じゃなければ。


「そうですよね?」


 同意を求められる。

 仕方ない、ここは彼に乗るか。


「わかった。君は誰かを助けるヒーローになるって、この前言ったよな?」


「はい」


「その夢、叶えてあげるよ」


――――――――――


「戦闘訓練?」


 僕はある提案を先輩にする。


「はい。いずれ戦うことになるのなら、今のうちに訓練を積ませておきたいと思って」


「ふ~む、まあ、そうだな」


「よろしいでしょうか?」


「うん。あまり危なくないならいいよ」


「ありがとうございます!」


 これで少しは彼の気持ちも変わるはずだ。

 ヒーローっぽいことができるからね。


「で、ここからは仕事抜きの俺の独り言なんだけどさ」


「……」


 独り言?

 先輩はいったい何を言う気なんだ?


「君、流されたでしょ。彼に」


 ぎくっ。

 否定はできない。

 彼の必死の主張を聞き、少し心が動いてしまった。


「その熱い気持ちはさ、若さの象徴だ。良くも悪くもな」


 どうやら先輩は怒ってはいないようだ。


「くれぐれも、間違った方に突っ込むなよ?」


 ポンと、僕の肩に手を置いた先輩。


「はい!!」

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