リベンジ
@nabukumi
リベンジ
『もう一度、僕にチャンスをください』
郵便受けに入れられていた手紙の最後には、そう書かれていた。
差出人は、最近別れたばかりの元恋人だ。私が電話を着信拒否にして、あらゆるSNSもブロックしたので、こうして手紙をよこしてきたようだ。今のところ、まだ部屋に押しかけてこないだけの分別は残っているらしい。
『これまで、和子の気持ちを全然考えられていなかったとわかりました。もう一度、僕にチャンスをください。 和紺より』
どうも、彼は手紙だと人が変わるようだった。普段は「僕」なんて言わないくせに。殊勝な顔つきを匂わせてくるところが、ずるいやり方だ。
それにしても、『もう一度、僕にチャンスをください』か………
その一文に、体の力が真から抜けるような徒労感を覚える。
和紺と別れたのは、再三の我慢の上だった。もっと私と会ってほしい、もっと私を大事にしてほしい。そう思っていたけれど、いつも和紺に「ごめん」って言われるとそれ以上何も言えなかった。謝っている相手にそれ以上何かを求めるなんて、そんなのはみっともないし迷惑だ。けれど、別にいつだって許していたわけじゃなくて、埋め合わせを期待していたのに……
思い返すと腹が立って、思わず手紙の裏にペンを走らせた。
『私は、一度もチャンスなんてあげてない』
そのまま、郵便受けに突っ込んで、紙の端っこに「返事です」と書き添えた。
しかし、手紙というのは上手いやり口だ。ネット上の繋がりならブロックしてしまえば、なんの通知もこない。けれど、手紙となるとそれは郵便受けへ届いてしまう。その白い封筒を見れば、もう私は好奇心に勝てるはずがなかった。
『返事をありがとう』
翌日の手紙は、そう始まっていた。やはり切手のない手紙は、本人が投函しにきているらしい。ご苦労なことだ。
『これまでは、和子に甘えてばかりで、本当にごめん。今、とても大事な存在だと実感しています』
和紺はこの手紙をどんな顔をして書いているのだろう、と私は首をひねる。
『昔、一緒に見ようって言っていた映画を、職場の先輩たちと見てしまったことがあったよね。あの時本当はどう思ってた? 今さらだけど、教えてほしいです』
映画………
そうだ、ずいぶん昔にそんなことがあった。
私が好きなハリウッドスターが、数年越しに新作に出ることになって、しかもそれが大好きだった映画シリーズの最新作ときた。見ないわけにはいかない。そして、この感動を好きな人と分け合いたい。そう思って、私はすぐに和紺にメッセージをしたのだ。一緒に観にいこう。そう言っていたのに、翌週、彼は職場の先輩との付き合いがあるからどうしても、と言った。同じ映画をもう一度一緒に観にいくからと話す和紺に、私は首を振って「気にしないで」と答えた。
そんなことを、今になって話して何になるというのだろう。もう私は、和紺とよりを戻すつもりはないのだ。
けれど、手紙は「今さらだけど、教えてほしい」という言う。私の答えに、一体、何と返すつもりなのだろうか……そう思うと少し気になって、私はペンをとった。
『初めての感動を分け合いたかった。二回目じゃ意味がない』
書いてみてから、どうも素直になりすぎた気もしたけれど、書き直すのはそれこそこの手紙に真剣になっているようで気に食わない。そのまま郵便受けに少しはみ出るようにして入れた。
『デートに友達を連れてきてごめん。ダブルデートのつもりだったけど、気を遣わせたよね?』
『後で電話するって言ったのに、朝まで飲み会だったとき、本当はどう思っていたか教えてほしい』
『僕が気付いていないこともあると思います。本当は、嫌だったことを教えてくれませんか?』
いつの間にか、手紙は毎回、そんな風に昔の出来事についての質問で終わるようになっていた。和紺にしてみれば、反省を示しているつもりなのだろうか。
最初に返事をした、映画に行けなかったときの私の気持ちに、手紙は、
『僕を選んで誘ってくれたのに、ごめん』
と返事をした。悔しいけれど、その答えに少し胸のすく思いがしてしまった。
康介のことが大好きで、だから一緒に過ごしたかったし、色々なものを分け合いたかった。だけど、わがままを言って嫌われるのも嫌で、「気にしないで」と答えた寂しい私。あのときの自分が、すくいあげられた気がしたからだ。
あの頃の私の、言えなかった気持ちは、本当は胸のしこりになっているのだろうか。別に今さら聞いてほしいなんて思っていなかったはずなのに、私はいつも手紙にぶっきらぼうに、短く一言、返事をしてしまう。
「何? じゃあ今、和紺くんと文通してるの?」
思わず、お酒のせいで口が滑った。和紺と私の大学時代からの付き合いを知っているわっこんだから、「手紙を送り合っている」なんてよっぽど面白おかしく映るだろう。
苦々しい気持ちで、ビールのジョッキを傾けていると、
「で、よりを戻すの?」
と聞かれるけれど、そういうつもりじゃないのだ。
「じゃあ、なんで返事してるのよ」
意味がわからない、というように責められて、また言い淀む。
別に何かを期待している訳じゃない。でも、質問されるから。答えたら、昔はもらえなかった返事がくるから。そしてまた、質問されるから。
「まったく和子は、そういうところはずるいのよねぇ」
ずるい? ずるいのはいつも和紺の方だ。
「ごめん」ばっかりで、約束を守らなくて、だけどその場をうまく収めるのだけは得意で。我慢するのはいつも私だった。
「自分の気持ち、先に言わないでしょ。だから後でややこしくなるのよ」
ごくごくといい飲みっぷりで、人のことをぶった切っていく。やっぱり黙っておけばよかった。
2軒目にも行ったので、帰りが遅くなってしまった。ほろ酔い気分で、駅からの道を歩いて帰る。
付き合いたての頃は、和紺もよく駅まで送ってくれた。そんなに遠い距離ではないのに、大事にされているようで、嬉しかったのを覚えている。
今日の手紙には、なんて書いてあるのかな。
ただの白いコピー紙を3つ折りにした手紙で、封筒にも入っていない。その簡素な手紙に、昔、康介としたかった会話が書き込まれていく。
最初から素直になれてたら……
手紙に書く言葉みたいに、心の中で思ってることを面と向かって康介に言っていたら、違う今があったのだろうか。わっこんに言われたことがボディーブローのように時間差で効いてくる。
「あれ?」
思わず、声が出た。あれこれ考えるうちにマンションまでたどり着いたのだけど、郵便受けにいつもの白い手紙がないのである。もう一度、奥まで手を伸ばしてみるけれど、やっぱりない。
飽きたのか……
ズンッと心が下にさがった気がした。けれど、そんな自分を自覚したくなくて、郵便受けのフタを急いで閉める。エレベーターへ乗り込もうと振り返ったときに、
ん?
白いパーカーの男性が、こちらと目線が合うのを避けるように、パッと顔をそらしたのが気になったのだ。フードをかぶっているので、顔が見えない。
エレベーターに向かって歩き出すと、男性も逃げるようにマンションから出て行こうする。
もしかしてこの人………いや、違うかもしれないけれど、でも…………
「和紺…………?」
小さな声で呼んでみる。男性はそのまま足早に、歩いていく。歩幅が広くて、どんどん進んでいってしまう。
「あのっ……」
今度は少し強めに呼び止めてみる。
「手紙の………手紙の和紺、ですか………?」
白いパーカー男はピタリと足を止めた。こうして、じっくり見てみると分かるけれど、やっぱり和紺よりも少し身長が高いし、肩幅も広いような気がする。
「あなたが、手紙を書いていた人……?」
ゴクリと、唾を飲みこんだ。どうしてこっちが緊張しているんだろう。男は立ち止まったまま、微動だにしない。
「あの、たぶん、本人が書いてるんじゃないだろうなって思ってたので。大丈夫ですよ」
そう、あの手紙が和紺の言葉じゃないことは、最初の方から感じていたけれど、やりとりを重ねるにつれてそれはどんどん確信に変わっていった。どうせ、和紺が自分は上手く書けないからとか言って、友人に代筆を頼んだのだろう。実際、手紙の中の和紺は、言葉がとても優しくて、でもそれは、文章が上手いということではなくて、私の気持ちを一生懸命に汲み取ってくれているからだと思った。
「手紙も、もう終わりですね」
どんな風にこのやりとりが終わるんだろうと思っていたけれど、まさかこんな形で本人に会うことになるなんて。少し寂しいけれど、プツリと切れてしまうよりはいいかもしれない。
「あなたのおかげで、言いたいこと全部言えました。だから、ありがとう」
背中を向けた男にそれだけ言って、エレベーターの方へ向き直る。
「和紺には、一発殴られてきました」
和紺よりも声が低い。振り返ると、その男の左頬が赤く腫れていた。
「だから、僕と、一度デートに行ってくれませんか?」
そう言って、深々と頭を下げる白いパーカーが、蛍光灯の下で眩しい。
「手紙のやり取りで、すごく健気な人だなって。僕だったらもっと大事にするのになって、そう思って……」
あぁ、今になってお酒が回ってきたんだろうか。体の内側から暑くなってくる。
手紙……手紙………そうだ、私の心の中を全部書いた手紙………
目の前の男性がそれを全て読んでいたのだという事実に、今更ながら猛烈に気恥ずかしくなる。あんなにわがままで、昔のことをジメジメと書いた言葉……けれど、それを読んで、彼はここに来てくれたのだという。
「映画を見に行きませんか? 二人とも初めてみるやつを」
あぁ、今更とりつくろったって意味がないかもしれない。だって、この人は、私がどんなことを思うのかきっとわかってしまうだろうから。
「気になる映画を、教えてください」
まだ戸惑っている様子を察してか、そっと質問してくれるのが優しい。
だから今日もまた、私は素直に答えてしまう。
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