だから僕は三十代を辞めた
本作品で、僕が自身に課したほぼ唯一のルールは、章タイトルを『だから僕は〇〇を辞めた』という形式に統一することだが、難易度の丁度よい「縛りプレイ」として上手く機能しているのではないかと思う。自身が辞めたもの、諦めたものについて語る分には全く困らないし、唐突に何か主張したくなった時も、どうにかしてタイトルを捻り出さなければならない、という点が程よいハードルになる。とはいえまさか、自身が四十歳の誕生日を迎えたことを、こんな風に表現する日が来るなどとは微塵も考えていなかった。
なお、僕が三十代を辞めたのは執筆時点から直近の出来事ではあるものの、誕生日が投稿日であるというような事実はない。怠惰であるというだけの理由で、無理やりなタイトルの本章は、「タイムリーな話題」ですらなくなりつつある。
カクヨムの利用者層の平均年齢は定かでないが、よもや僕の年齢より上ということはないだろうと思ってこれを書いている。就職した時、既に三十歳に近かったのに即戦力ですらなかった僕は、この期に及んで若手気分が抜けていないのであるが、世間的にそれが許容されることはない。何しろ、同い年のプロ野球選手は既にほとんどが現役を退いている。この年齢で若手と言ってもらえるのは、政治家くらいではなかろうか。
僕は昔から、「誕生日が近い」ことだけを理由に、「ライバルは宇多田ヒカル」であると冗談めかして主張してきた。宇多田ヒカルが1998年、『Automatic』を引っ提げて鮮烈なデビューを飾った時、同じ15歳だった僕は、おこがましいという言葉以外で形容できないが、敗北感でいっぱいになった。まだ自らが「特別な何か」であるという幻想から抜け出せていなかったこともあって、自分よりほんのわずかに生まれの遅い強烈な才能の持ち主を、素直に受け容れることができなかった。ただ、負けるものかと考えて奮起するにも何一つ勝てる要素などなく、「自分は別に音楽の世界で生きているわけではない」という一点だけを言い訳にして、「別の業界で頑張っている好敵手」みたいな位置づけということで自らを納得させて生きながらえてきた。先日、宇多田ヒカルが40歳のバースデー記念ライブを配信したというニュースが流れてきて、「え、宇多田ヒカルももう40歳か」と人並みに驚いてしまったが、当然、それと同じくらい、自分が40歳になったことに驚いている。
悲しいことに、「自分より若い強烈な才能の持ち主」は、平然と、あらゆるジャンルで現れて続けてくる。芸能人、将棋棋士、囲碁棋士、オリンピックメダリストなんかは、年若い成功者が現れる最たる例だが、僕自身の趣味であった小説執筆という分野に限って言っても、綿矢りさ、金原ひとみ、島本理生あたりが出てきた時は、結構堪えた。いやいや、純文学の世界では若い女の人の感性が持て囃されるだけですから、と震える声で負け惜しみを言っていたら、後に羽田圭介も出てきて、もう言い訳がきかなくなった(そもそも、年齢自体は僕より年上でも、デビューが若い作家自体幾らでもいる)。自分自身が「特別な何か」ではなく、それどころか「何者にもなれないかもしれない」ということを受け容れる必要に迫られ始めた。程度問題ではあるが、生きていれば誰しもそういうことはあるのではないか。デビューした新人作家の年齢が自分より年下であることが当たり前になった頃、僕は既に「書くサイド」の人間ではなくなっていた。おかげで、悔しさに殺されることなく今日まで過ごしてきた。
著名なロックスターが何人も二十七歳で亡くなっている、という話を最初に見たのはおそらく浦沢直樹の『二十世紀少年』だったと思う。僕が知っていたのはジミ・ヘンドリクスとカート・コバーンくらいだったが、調べたところ、「27クラブ」という言葉がwikipediaに載っているくらいで、他にもポピュラーミュージックの担い手が若くして何人も命を落としていた(フジファブリックの志村正彦もこのクラブに該当するかと勝手に思っていたが、彼は享年二十九だった)。僕はロックスターでも何でもないし、それどころか音楽を始めることすらできていなかったが、二十歳くらいの頃は理由もなく、「三十になる前に若くして死ぬ」と思っていた。よもやその二年後、二十二歳で本気で自死を決意するほどに追い込まれるとは夢にも思っていなかったものの、何とかその危機を免れると、その後、三十を迎えるまでは一瞬だった。何の感傷もなく二十代は過ぎ去った。
それでも今度は、「確かにいつの間にか三十歳になってしまったが、自分が四十歳のおっさんになっている姿なんて想像できない。その前に死ぬのではないか」と考えていた。要するに、想像力が足りないだけなのだが、本当にそう思っていた。控えめに言ってもそれからの十年は波乱に満ちていた(身の回りで人が死んだり産まれたり死にかけたり、自分自身が全身麻酔の手術を受ける羽目になったりした)が、平然と四十歳の自分はやって来た。まじかよ、と思う。正直、中二病を拗らせたまま十四歳くらいのメンタリティで社会性を身につけないまま暮らしてきたのに、「不惑」とか言われても困る。「去年、妹が高齢出産した」という事実のパワーワード感が凄すぎて、ラノベを超えている。誰も読みたくないその世界観が、僕の現実ということになる。
『ラーゼフォン』というアニメの主題歌である坂本真綾の『ヘミソフィア』のサビ前に、大好きな一節がある。
「人生の半分も僕はまだ生きてない」
2002年当時の僕は確かにそうだったので、若いということをずいぶん上手く表現するものだ、と素直に感心していた。しかし、若さはいずれ失われる。すでに人生の半分以上生きたと思しき人間は、この歌をどんな顔で聴けばよいのか。
別にその答えというわけではなかろうが、同じ歌の中で、こんなことが主張されている。
「僕は灰になるまで 僕で在り続けたい」
逆説的に、僕は僕であるうちに灰になりたい、という考え方も出来るかもしれない。僕は相変わらず、十年後、五十歳になっている自分のことを全然想像できないので、やっぱりそれまでに死んでいるのでないかと考えてしまう。これくらいの距離感で平和に死のことを考えていられるのは、魂の平穏が保たれている証拠であるから、ひとまず今は良い人生を生きているのだと思える。
……それだけで、十分だろ。
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