だから僕は医者になるのを辞めた
世界で一番ダサい自慢は、「俺、高校生の時、無茶苦茶勉強できて、東大余裕で受かる感じだったけど、やりたいこともないし、大学行くの自体バカバカしくなったけど、とりあえず遊びたいから形だけ〇〇大に入った」といった、証明しようもない「出身大学名から考えられるより学のある自分」をアピールすることだと考えている。気持ちはわかるが、絶対に辞めた方が良い。品性を疑われる。何故そんなことを急に言い出したかといえば、僕は、高校生の時、滅茶苦茶勉強が出来て、地方医学部なら余裕で受かる感じだったのだが、壊滅的に医者に向いていない性格であったことから(社会貢献の一環として)医者になるのを辞めた、という経歴を持つからである。あー、世が世なら僕も今よりはるかに高い生活水準の暮らしを送れていたのになあ(棒)。
現代の日本で生きていく上で、人生を左右するような大きな選択を迫られる機会というのは、実はそれほど多くない。「後から思えば、あれが人生の転換点だったな」と思うような事柄(例えば、後に伴侶になる人物に思い切って声をかけた瞬間など)はあるかもしれないが、選択しているその瞬間に、その後の人生がかかっているとわかるような出来事は、多分、数えるほどしかないはずだ。僕は幸運にも、「両親が離婚して、そのどちらと一緒に暮らすかを選ばされる」というような憂き目にあわなかったし、暴走トロッコの進路を切り替えて五人の作業員の代わりに一人に犠牲になってもらうような局面にも遭遇せずに済んでいる。
僕が自覚的に人生を変えるだろう選択に立ち向かったのは、中学校受験を決意したことと、医学部受験を辞めたこと、あとは自死を思い止まったことと、就職先を見つけたことくらいではないだろうか。
これらは、世界線が複数あったとして、その選択の結果次第で全く違う僕が生まれていそう(または死んでいてその先がなさそう)なものをあげた。一方で、妻と付き合い始めたことや結婚したことなどは、どこか「選択の余地のない」一本道イベントなのではないかと考えており、一生を賭した選択とは相容れないものという印象がある。
とりあえず、受験というのは、多くの人間が立ち向かう、わかりやすい人生の一大イベントなのである。
僕が最初に医者になりたいと思ったのがいつだったのか、それは定かでないが、高校に入った頃は既に、医学部を目指していた。中二病だったので、心理学の用語とかが格好良く思えて、精神科医になりたかった。「お客様の中にお医者様はいらっしゃいませんか」というドラマでよくあるシチュエーションで颯爽と登場して、「外科は専門外ですし、研修医以来なのでお役に立てるかわかりませんが」みたいなエクスキューズを挟みつつ、人命救助に寄与したかった。僕は理系で、生物が得意で、進学校で成績も良かった。高校三年生の一学期には、医学部受験を見据えた小論文と面接対策の特別授業まで受けていた。僕の家は、裕福な方だが大金持ちというほどではなかったので、医学部は国公立しか許されない雰囲気だった。家から通える大学を選ぶつもりだったので、受験先は関東圏に絞っていた。
高校三年生の夏休みに、僕は何の脈絡もなく燃え尽き症候群みたいになって、大学受験そのものに嫌気がさして、勉強に身が入らなくなった。丁度その頃、薬剤師の母親と話し合いをする中で、僕は自分が医者に向いてない性格をしている旨を告げられた。
話は単純だった。
「お前は、人の命を全く平等だと思っていない。普段の言動からわかる。研修で訪れる救急救命の現場に、コンパで一気飲みして急性アルコール中毒になった若者が運び込まれてきたとしたら、お前は本気で助けようとは微塵も思わないはずだ。むしろ、自業自得の無軌道な奴のせいで他の患者が迷惑を被っているとすら断じるだろう。それは、ヒポクラテスの誓いという医療の根本理念と全く異なるものであり、医療従事者にあってはならない。お前は医者にならない方が良い」
僕は常に、「何かをやらなくて良い理由」を探しているし、心の底から、コンパでハメを外す若者を憎んでいる。僕を18年育てた人間の指摘は、あまりにも芯を食いすぎていた。
だから僕は医者になるのを辞めた。
その後、色々と拗らせた僕は、大学受験そのものを辞めてゲーム開発会社を起業する、みたいな夢物語を語り始めたりしたものの、「そんなことは大学に行ってからでも出来る」という説得もあり、夏休み前までの猛勉強のおかげでキレキレになっていた頭脳の「余熱」を利用して受験本番を乗り切り、医学部でない都内の大学への現役合格を決めた。
まさかそこから博士課程まで含めて9年間も通うことになるとは思っていなかったが、医者にならずに何になるべきか見当もつかず、何者にもなりたくないというモラトリアム期間をただただ引き延ばすだけの生活が始まるのだった。
大学受験の練習のため、記念に受けていた防衛医科大学に補欠合格していた僕の元に、繰上げ合格の連絡があったのは、確か三月に入ってからだったと思う。他大学への入学手続きが終わっていたこともあり、何の迷いもなく「秒で」断ったが、防衛医大は、入学金も授業料も無料、入学後から特別職国家公務員としての給与がもらえるという破格の待遇で知られている。勿論、毎朝ラッパで起こされる規則正しい生活や、医師になってからも自衛隊病院での数年間の勤務が義務付けられている点など、タフな人生を余儀なくされるわけで、良いことばかりでないはずだが、僕は未だに、「防衛医大に進学した世界線の自分との生涯収入の格差」を考えて絶望的な気持ちになる瞬間がある。その差額が億の単位に及ぶことは必定であり、正直、「あー、世が世なら僕も今よりはるかに高い生活水準の暮らしを送れていたのになあ(棒)」で済まない。
受験生の皆さんは、人生を左右する選択で後悔しないよう、是非、最大限のリソースを惜しみなく注いで、一世一代の大イベントに臨んでください。
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