だから僕はアル中の父親を詰るのを辞めた

 「父親がアル中(アルコール依存症)だった」と言うと、昼間からだらしない格好で酒を飲み続けて終始酔っ払い、家族に暴力をふるう無職のおっさんを想像されるかもしれないが、実態は全く異なる。僕の父は、東証一部上場企業に勤める真面目なサラリーマンであって、家族以外の誰もアル中だと気づいていなかった。

 飲み会の帰りに電車を乗り過ごして終点まで連れていかれ、母と僕が1時間かけて車で迎えに行く羽目になったり、酔っぱらって自宅の居間の網戸を突き破って庭先に転落したり、トイレと間違えて和室の隅に放尿を始めたりといったエピソードも、「酒を飲みすぎて失敗したこと」みたいな面白話で片付ける人もいるだろう。だが、間違いなく父はアル中だった。アルコール依存症のチェックシートの項目は全部引っかかったし、家族がいくら止めても、大丈夫だと言い張って、飲むことを辞めなかった。酒に酔った父は、暴力をふるったりすることは一切なかったが、わけのわからないことを一人で呟いたり、眠っていたはずなのに急に起き上がって話しかけてきたりした。それを怖がって妹は泣いていた。

 アルコールが入ってさえいれば、父は酒の味なんて気にしなかった。僕が友人との飲み会で余ったカンパリを500ミリリットルくらい持って帰ったら(通常、オレンジジュースで割ったりする苦いリキュールであり、アルコール度数は19%もある)、次の日に水で薄めて飲み干した。僕と母が漬けた梅酒は、氷砂糖が溶けきる前から減り始め、僕が一滴も飲む前になくなった年さえあった。そんな風に、家の中でアルコール類に簡単にアクセスできるのが悪いのだということになり、ある時、家にある酒を全て処分することにした。当たり前だが、そんなことは無駄に決まっていた。家に在庫がなくても、世界には酒があふれている。父は、趣味のウォーキングに出かけると必ず酒を買って帰ってきたし、ポストに手紙を投函しに行っただけでも缶ビールを買って帰ってきた。それを指摘すると、本当に不思議そうに、今気づいた、みたいな顔をした。

 酒を禁止しても隠れて飲むだけなので、せめて家族の見ているところで家族の決めた量だけ飲んでほしいと頼んだ。父は、飲めるならそれで大丈夫と気軽に承諾したが、自分の好きなだけ飲めないことに耐えられなかったらしい。時折、酒を飲んだ状態で家に帰ってくるようになった。家族がそれを指摘すると、酒臭い息で一滴も飲んでいないと主張する。あまりにも無様な人間と水掛け論をするのが馬鹿らしく、僕はAmazonでアルコールチェッカーを買った。呼気からアルコールが検出されたら、家での飲酒は禁止というルールになったが、父はそれでも隠れて飲んで帰ってきて、「ふ」ではなく「へ」の口でゆっくりと息を吐くことでアルコール検知から逃れようとするという、見苦しい呼吸法を披露した(当然、有効なわけがない)。僕はこんな人間の息子なのかと、心底がっかりした。


 ある時、僕は結婚して実家を離れることになり、賃貸マンションの保証人として父にサインを書いてほしいと依頼した。素面の父の手は、明らかに震えていた。最初、冗談でやっているのかと思った。ミミズののたくるような字で、かろうじて自らの名前を書き上げた。僕は何も口に出さなかった。端的に、軽蔑の眼差しを向けた。こんな人物と一緒に暮らさなくて済むようになることを、本当にうれしく思った。


 その数か月後、父はALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病に侵されていることが発覚した。体を動かす筋肉がやせていき、徐々に全身が動かなくなってくる病気である。最終的には、呼吸が出来なくなって死に至るが、人工呼吸器をつけることを選択すれば、身動き一つとれないままで延命することもできる(閉じ込め症候群)。完治する見込みがないという以上に、家族と本人に「死のかたち」(あるいは降りかかってくる介護負担の重さ)の選択を迫るという点で、壮絶な病である。

 ALSの発症原因は、未だにはっきりしていないらしいが、僕はアルコールのせいだと勝手に考えている。

 ALSが発覚して以降、もう好きにさせてやろうということで、家族は酒を止めることはしなくなった。父は好きなだけ酒を飲めるようになったが、さすがに病気のことが気がかりだったのか、無茶な飲み方はしなくなった。ただ、手の力が衰えて日本酒のパックの蓋(つまみ)が開けられなくなっても酒を飲んでいたし、喉の力が衰えて嚥下が難しくなってきても酒を飲んでいた。そのうち、体を起こすこともままならなくなり、口から栄養を摂取できなくなって胃ろう(腹に開けた穴にチューブを通し、直接、胃に食べ物を流し込むためのシステム)を造ったが、時折、家族に頼んで胃ろうのカテーテルを通して酒を飲んでいた。

 残酷なようだが、家族は全会一致で人工呼吸器をつけないことを希望していた。本人にどう伝えようかと悩んでいたが、父はそれを平然と受け入れた。父は、これ以上家族に負担や迷惑をかけながら生き続けるのは嫌だと言った(勿論、僕には人工呼吸器をつける選択をした人たちのことを否定したり非難したりする意図はない)。僕は、「家族に迷惑をかけるのが嫌なら、酒を飲むのを止めろと言ったあの頃に、言うことを聞いておけよ」と思わなくはなかったが、一秒の躊躇いもなく自らの死を受け入れたことだけは、素直にすごいと感じた。この頃、僕の妻と僕の姉が妊娠していて、延命しなければ初孫(と二人目の孫)に会えないかもしれないと言われていたが、父はそれでも判断を曲げなかった。

 闘病の果て、2014年に父は亡くなった。孫には会えなかった。


 アルコール関係以外のことでも、僕はもともと父親と折り合いが悪かった。だが、相手が死んでしまっては、喧嘩のしようもない。だから僕は、アル中の父親を詰るのを辞めた。

 父の死後、自宅の介護用ベッドの脇にあった棚の奥から、ワンカップが発見された。どんな病状のタイミングで、どんな意図で購入したものなのか全くわからなかった。別に誰にも止められなくなっても隠れて酒を飲もうとしていたあたり、父親らしいと思った。それでこそアル中だった父だ、と僕は変な満足をした。あの父が、ALSという大変な病に侵されて悲劇の中で死んでいったという人間像になってしまうことに、僕は違和感しか覚えない。

 父が死んでも、僕は涙一つ見せなかった。姉も妹も、あんなに酔っぱらった父を毛嫌いしていたのに、死の際に号泣していたのは不思議だった。いや、父のアル中という側面に縛り付けられ、曲がりなりにも産まれてからずっと育ててもらっていたという恩を忘れてしまった僕が、ただ親不孝者だというだけの話なのだろう。

 

 10月28日が父の命日であることを、僕は母からのLINEで知らされて思い出した。

 それがつまり、執筆時点の今日のことであって、僕は、何とかそれらしい章タイトルを捻り出し、急遽、父の話を書き始めた。


 保証人を頼んだ時に震えていた父のあの手は、アルコール依存症の離脱症状でなく、ALSの初期症状の筋萎縮のせいだったのかもしれない。その中で懸命に息子のために署名してくれていた父に、僕は迷いなく蔑むような視線を向けてしまった。それについて謝り損ねたことだけを、今でも少し後悔している。


 合掌。

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