だから僕は「彼女いない歴=年齢」を辞めた

 中学校、高校と男子校で過ごし、灰色の青春時代を過ごした僕は、自身が異性と付き合う可能性がある人間だという認識を持たないままで成長した。別に、性自認がどうとか、同性愛がどうとかいう小難しい話をしているわけではない。僕は生物学的にも性自認も男性であって、自分が異性愛者であることを疑ったこともなかったが、恋愛沙汰とあまりに縁遠すぎて、自分と関係のある事象だと捉えていなかった。酸っぱい葡萄的な側面が全くなかったとは言えないが、あまりに遠い話過ぎて、恋愛を謳歌する人間のことを羨ましいとすら思わなかった。そもそも恋愛感情は、遺伝子を次世代に伝えやすくすることを目的に、距離感の近い人間の間で半ばシステマチックに感染する、幻想や錯覚に過ぎないと考えていた。「リア充爆発しろ」と面白がって口にしていたが、爆発すべきだと思ったことなどない。世界のために本当に爆発すべきは僕たち非リア充の方なのではないかと、常々考えていた。

 男子校出身者でも、このような拗らせ方をするのは少数派であるらしい。僕の中学時代からの友人達も、大学に入ると同時に嬉々として花のキャンパスライフに飛び込んでいって、恋をしたり彼女をつくったりしていた。まるで共学出身者のように、女性の前でも自然体で振る舞える彼らのことが、本当に不思議だった。同年代の女性との接し方が全くわからないのは、姉も妹もいるはずの僕だけだった。

 僕には昔から、「好みの顔」という概念がない。というか、そもそも人間の女性の顔を見分ける能力が極端に低い。「AKBのメンバーは皆同じ顔に見える」などと揶揄されることがあるが、僕にとっては芸能人の女性の顔自体、「可愛い系」と「綺麗系」の概ね二パターンくらいにしか分けられない。「好きな女性芸能人は〇〇」と言われて、「△△というドラマで××をやっていた人」とわかったとして、パッと顔が出てくることは殆どない(この点、アニメのキャラクターは髪の色や口調、過剰なキャラ付けで識別しやすいので助かる)。身近な女性についても、全体の雰囲気で個人を把握しているので、髪型が変わると誰だかわからなくなることがざらである。女性に縁がなさすぎて、顔を識別する必要性がなかったため、そういう能力が育たなかったのではないかと思う。ほとんどの人間が、動物園のペンギンを見ても顔付きの違いがわからないのと同じことだ。僕にとっての異性は、ペンギンくらいの位置づけ(遠くから眺めて漠然と可愛いと感じる)だったのである。

 

 恋愛沙汰に縁のないまま(別の章でふれた通り、女子二人の固定ファンがいたことはあったりしたが)、大学四年生になった。僕は、研究室に配属されて実験が忙しくなった一般的な理系の学生に擬態しながら、それなりに楽しくやっていた。5月か6月だったと思うが、所属していたサークル(落語研究会)の、週に一回の集まり(例会)に顔を出した。研究室のゼミの時間と重なってしまい、四年生になってから殆ど参加できなくなっていたため、久しぶりの例会だった。そこに、見たことのない女子がいて、突然話しかけられた。今年度から入会した、近隣の女子大の一年生だという(お笑い全般を扱うインカレサークルだったため、別の大学の学生が所属することはざらにあった)。

 それが、Mとの出逢いであった。

 Mは、眼鏡をかけた小柄な女性で、大人しそうな見た目をしており、僕は、少し喋っただけで、彼女が「何らかのオタク」であろうと、あたりをつけることができた。女子と話すことは得意ではなかったが、オタクとマニアックな話題について喋ることは得意だったので、差し引き少しプラスくらいの感じで、それなりにスムーズに会話を続けることができた。その日は、Mの好きな漫画家について喋り(志村貴子やよしながふみの名前を挙げていた)、イラストを描くのが趣味であるというような話を聞きだすことに成功し、本人は名言こそしていなかったが、BL(ボーイズラブ)方面への傾倒があるのが見てとれた。「腐女子をネット上以外で初めて見た」というのが僕の印象であって、正直、それ以上でも以下でもなかった。

 次の週の例会でまた会った時、音楽の話題がクリティカルヒットした。僕が、直近で買ったCDとして、Syrup16gというロキノン系のマイナーなロックバンドのアルバム『Mouth To Mouse』の名前を挙げたら、Mはそのバンドを知っており、あまつさえ、昔のアルバムを1枚持っているという。今度貸してほしいと頼んだら、次の例会に持って来るので、代わりに『Mouth To Mouse』を貸してほしいと言う。

 次の週、僕はCDを持参していたが、Mは意外なことを口にした。

「アルバムを忘れてしまったので、明日改めて二人で会いませんか?」

 例会は金曜開催だったので、翌日は土曜だった。突然、異性から休日デートの誘いを受けた、とシンプルに受け取った。人生で初めての出来事であったので、どう贔屓目に見ても周章狼狽した。僕は休日に予定のあるタイプの人間ではないので、忙しいことを理由に断ることなど考えもつかず、「わざわざ悪いから。また今度持ってきてくれれば良い」という消極的な理由で断ろうとした。

 Mは顔を真っ赤にしながら、「でも、明日会いたいんです。だめですか」と言った。

 この時、「こいつ、僕のこと好きなんじゃないか?」と、さすがの僕も気付いた。というか、童貞はちょっとしたことで女子が自分に気があると勘違いしがちなので、「一緒に楽しく話をしている」時点で、「ワンチャン、自分に気があるんじゃないか」という妄想にとりつかれるものだが、僕はそれに自覚的であり、全て含めて幻想・錯覚であると切って捨ててきた人間だったわけで、ここに来て急に、その虚構が現実を侵食してきたような恐怖を感じた。

 やれやれ、恋愛沙汰なんて面倒だな、とラノベのクール系の主人公みたいな思いが微かに頭をよぎったが、たぶん、現実の世界で上記のような女の子からの誘いを断れる童貞はいないと思う。二人で話している内に新興宗教に勧誘してくる可能性や高額な絵を売りつけてくる可能性がある、などと様々なリスクを思い浮かべ、「騙されているわけではない自分」を偽装しながら、僕は結局、浮足立つ気持ちを抑えられないまま、翌日、Mが住んでいた寮の最寄り駅で待ち合わせることを承諾した。

 翌日のそれを初デートと呼ぶのであれば、なかなか類を見ない惨憺たる代物であったと思う。気が付けば僕は、マクドナルドで彼女と向かい合いながら、「何故自分が呼び出されているのかわからなくて正直怖いので、真意を教えてほしい」と、甘い雰囲気をぶち壊しながら、彼女を詰問していた。可哀想にMは、自分が目の前の相手を好きであること、サークルの他の女子に相談した結果、「今迫なら押せばイケるから適当な理由をつけて呼び出せ」とアドバイスを受けていたこと、僕に話を合わせるために一曲だけ知っていたSyrup16gのアルバムを持っていたことにしてしまい、慌てて『delayed』というアルバムを探して購入したことなどを泣きそうな顔で白状させられる羽目になった。それを受けて僕は、自分の性格が(ご覧のように)破綻していること、人間と付き合うことを想定してこなかったので正直やり方がわからないこと、極論、性欲の捌け口みたいな扱いをしてしまう恐れさえあることなどを極力丁寧に説明した。僕としては腹を割って話しているつもりだったが、これは絶対によくない。人間、最低限、着飾ったほうが良い。

 しかしMは、そんな僕に対し、それでも良いのだと言った。自分は今迫先輩のことを信じているので、絶対にひどいことにはならないと思っているし、仮になったとしても構わないと言った。僕は、僕自身よりも強く僕を信じているという彼女の真っすぐな想いに対して、さすがに正面から向き合わなければいけないのではないかと思った。

 はっきり言って、僕はチョロい。要するに、「好きになられたら好きになる」のである。自己肯定感が低いので、自分を認めてくれる人間に容易に好意を覚える。ただ、それ自体は悪いことではない。僕はこの時、自分に対して「恋愛感情」を向けられて初めて、自分という存在そのものを最大限に肯定してもらえることに充足を覚え、幻想と断じてきた愛というものを受け入れて、信じてみようと、確かにそう思えたのだ。

 だから僕は「彼女いない歴=年齢」を辞めた。

 その日、よくわからない雰囲気のまま、カラオケに向かった。Mは歌がものすごく上手な娘だった。時間が来て、個室を出る直前に、生まれて初めてキスをした。早鐘のように鳴る心臓の音が自分の耳元で聞こえていた。僕がそれを伝えると、Mは笑いながら、僕の手を自身の胸の中央にいざなった。衣服の向こうからでも、彼女の心臓が僕を倍する勢いで暴れているのがわかった。異様なほどの彼女の熱さと脈動に、「こいつは本当に僕のことが好きなんだな」と、愛の実在めいたものを感じた。


 愛の実在の証明可能性はさておいて、結果として、この日の僕の判断は完全に間違っていた。

 Mの「愛」だと思っていたものは、どちらかと言えば「狂気」に近く、彼女はリアルガチのメンヘラとして、以降の僕を翻弄し続け、最終的には共通の知り合いと浮気するという最悪の形で僕を裏切り、僕の脳を完全に破壊した(なお、Mというのは彼女の名前のイニシャルであるが、僕は「Monster」の頭文字のつもりで書いている)。人間不信に陥った僕は、自死という選択はぎりぎりで回避できたものの、10か月間引き篭ることになり、人生を少しだけ狂わされた。

 まあ、それはまた別の話だ。


 僕は一度完全に壊されているので、結婚して子供がいる今でさえ、メンタルは未だ童貞を拗らせた人間のそれに近く、精神的恋愛弱者を全く抜け出せていない。ただ、愛と狂気の区別がつかないそんな僕にさえ、恋愛の真似事はできたのだ。個人的に、このことは、世の「モテない」と嘆く男性や、一歩踏み出す勇気が出ない奥手・草食系の男性の福音になり得るのではないかと常々思っているのだが、僕のエピソードを聞いた人間が「恋愛」に対してポジティブな捉え方をするようになるとは到底思えない。

 僕自身、狂気と区別できないほどの妄信で誰かとの関係を回していくことの全てを否定する気はない。愛が幻想であったとして、幸せな幻想の中に溺れたまま暮らすのも、それほど悪くないものである(これは結局、「惚気」の一種だ)。


 僕は、傍から見ると、得意の自虐風自慢を披露している「元童貞」に過ぎない。居心地の良い場所を離れ、随分遠いところまで来てしまったな、と自分の魂に労いの言葉をかけてやりたくなる。

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