だから僕は高校野球観戦を辞めた

 もしかすると、スポーツ観戦を趣味とする人達からすると、「観戦」というのは、試合会場まで直接足を運ぶことを前提としているのかもしれないが、出不精を極めている僕にとって、どれだけ気になるスポーツであっても、現地で観戦することなど殆ど考慮の外であって、大抵、家でゴロゴロしながらTV放送を眺めるだけである。ゆえに僕は、高校野球観戦が好きだった時代があると主張している一方で、甲子園球場には一度も行ったことがない。当然、「甲子園の地方予選の試合を見るために地元の球場に通っていた」という「高校野球大好き芸人」みたいなエピソードも持ち合わせていない。ニワカの極みと言って良いだろう。また、僕にとっての高校野球と言えば、夏の甲子園のことが殆どであり、春のセンバツの比重は極めて低く、秋季大会に至っては一切触れることが出来ないという体たらくであることも了承願いたい。


 小・中学生の頃、夏休みは、ほぼ一ヶ月間、富山県にある母方の祖父母の家で過ごすのが恒例となっていた。祖父母の家は広く、屋内で走り回って遊ぶことが出来るほどであったが、子供が楽しめる娯楽(ゲーム、漫画)は一切なく、学校から課せられた益体もない宿題をやる以外、大半の時間を持て余していた(祖父に川遊びに連れて行ってもらったりといった田舎らしいエピソードもあるが、一ヶ月も過ごすとなると、そんな特別なことばかりやっていられないものである)。必然、テレビを見る時間が増えたが、田舎なのでチャンネル数も少ないし、祖母が厳しい人間だったこともあり、ほとんどNHKしか選択肢がないという有様で、結果として、八月の中旬以降、甲子園の本戦が始まったら、そればかり見ることになった。これが、僕と甲子園の出会いである。余談だが、この原初体験のせいか、高校野球は「野球の上手いお兄さんたちが、暑い中頑張って試合している」という印象が強く、どれだけ歳を重ねても、「野球が上手い人=自分より年上」という謎の等式が瞬間的に浮かんでくる。活躍していたプロ野球選手が引退するというニュースで、年齢が自分より若かったりすると、脳がバグりそうになる。

 この時代は、自分の出身県の代表校を漠然と応援するくらいで、ただ漫然と試合を見ていた(松山商業の奇跡のバックホームや松坂大輔のノーヒットノーランなど、今でも語り草になっている決勝戦のことは憶えている)。その後、高校野球を一番追いかけることになるのは、大学生になって以降のことだ。たぶん、2ちゃんねるの実況を横目に甲子園の中継を見ると面白いことに気づいたのがきっかけだと思う。送りバントを多用していた愛工大名電高校にちなんで、バントのことを「メイデン」と呼んだり、NHK特有のチャンネル移動(「高校野球はこの後〇:〇〇から教育テレビで放送します」というおなじみのもの。最近では、サブチャンネルを駆使する場合があるため、移動の難易度が以前より上がっているらしい)の成功・失敗報告でスレが流れていく謎の界隈であるが、オタク特有の気質が合えば、非常に楽しめる。時折、コアな情報を持っている人間が、地方大会でのエピソードや、対戦している高校の因縁話を披露してきたりして、偶発的にエンタメ要素が高まる瞬間があるのも魅力の一つである。

 僕が一番好きだったのは、ダルビッシュ有がいた時代の東北高校である。東北地方に初めての優勝旗をもたらすことが待望されており、僕は東北地方に縁もゆかりもないのだが、それを応援していた。背番号18を付けた真壁という眼鏡をかけた大人しそうな外見の控え投手が、故障がちなエースのダルビッシュを支えるように、先発、救援に大活躍し、見た目とのギャップもあってネット上で(「メガネッシュ」みたいなあだ名をつけられ)人気になっていた。二人が二年時の2003年夏は全国大会決勝で常総学院に敗れ準優勝、2004年春のセンバツではダルビッシュが一回戦でノーヒットノーランを達成するも、準々決勝で真壁が済美高校の高橋に劇的なサヨナラ3ランホームランを被弾して敗れ、同年夏は全国大会3回戦で千葉経済大学附属高校(監督の実子の松本啓二朗が主力を担っており、親子鷹として話題になっていた)に延長戦の末敗れ、結局、優勝旗を持ち帰ることはできなかった(待望の東北勢初の甲子園優勝は、2022年に仙台育英高校によってようやく達成された)。僕は、人生の半分以上千葉県で暮らしているので、普段は千葉県の代表校を一番応援しているのだが、2004年は複雑な気持ちになったものである。

 その後も、田中将大のいた駒大苫小牧とハンカチ王子の対決、佐賀北高校の劇的な甲子園優勝など、しばらくは高校野球を楽しんでいた気はする。「熱闘甲子園」も出来るだけ見るようにしていたし、この時代にプロ野球のドラフト会議で名前が上がった有名校の選手のことは「ああ、ドラフト候補とは言われていたけど、無事にプロになれたのか」と感じられるくらいには馴染みがあった。

 「日本文理の夏はまだ終わらない!」という実況が話題となった年があって、それが奇しくも僕の「夏」の終わりだったと思う。次の年から就職し、8月の平日昼間に野球の試合を好き勝手に見ることが出来なくなった(それまでの数年間、8月の僕は甲子園中継を大学院の研究室で見ていた。そのためだけにPC用のTVチューナーを買っていたくらいである)。甲子園の結果はネットニュースの見出しで知るくらいになった。応援している県の代表校がどこなのか知らない内に敗退していることも増えた。ある年など、気が付いたら決勝戦が終わっていて、優勝時のメンバーが揃って県知事に報告しに行った、などという後日談で優勝校を把握することさえあった(情報の入手方法が偏ると、その内容も偏るという典型例かもしれない)。


 甲子園は、野球という集団競技を通して、それに関わる人間たち(勿論主役は選手だが、それだけにとどまらない)のドラマ・物語を楽しむという形式のエンタメだと僕は考えている。そういった意味で、スポーツを題材としたフィクション(漫画、アニメ、小説など)と楽しみ方は一緒であり、「事実は小説より奇なり」と言えるくらい、現実の高校野球も面白い、というだけの話なのだと思う。ただ、それは、完全に見る側の都合であって、フィクションと異なり、高校野球の選手は現実の前途ある若者であってエンタメのために産み出されたキャラクターではない。近年、選手の故障を防ぐために、準々決勝以降に休養日を設けたり、球数制限のルールを定めたり、延長にタイブレークを導入したりしているのは、とても良いことだと思う。高校野球は、どれだけ観戦者が多かろうと、「プレイヤー」のことを第一に考えて存在するべきである。

 新型コロナウィルスの影響で、夏の甲子園が中止になった時、僕自身は既にどんな感情も湧かなくなっていたが、賛否両論、ネット上で結構な議論が巻き起こって、単なる学生スポーツの枠を遥かに超えたその影響力の大きさを再認識した。無事に開催されるようになって以降も、全然試合を見ることが出来ていないのだが、以前よく暴れていた「甲子園の魔物」君は、コロナ禍を越えて、まだ元気にやっているのだろうか。

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