だから僕は化学の勉強を辞めた

 僕には人生で二度、化学の勉強を辞めたタイミングがある。大半の人間にとっては、「水兵リーベ僕の船」という周期表の語呂合わせくらいしか縁が無いかもしれないし、人によっては、「水上置換で集めた気体を石灰水に入れて白く濁らせがち」というあるあるネタで盛り上がれるかもしれない。求核置換反応、ΠΠ相互作用、くらいになると、説明出来る人を探す方が大変だろう。なお、僕は本来説明可能でなければならない立場の人間なのだが、何しろ二度にわたって化学の勉強を辞めてしまったくらいなので、全く説明出来ない。そして、そういった基礎的な化学の知識が著しく不足していると露見しないよう、如何に立ち回ればよいか考えて実践している内に歳を重ねてしまった。


 化学の勉強を一度目に辞めたのは、高校三年生の夏休みである。医学部を目指すことを辞め、大学入試そのものへのモチベーションを失った僕は、受験科目の中で最も嫌いだった化学を一切勉強しなくなった。化学が嫌いだった一番の理由は、当時の高校での化学担当教員のことを特に理由もなく嫌っていたためだが、化学という学問分野の特徴の中から強いて探すなら、「言語化しにくい要素が多過ぎて暗記しにくかった」という点だろうか。例えば、「不斉中心が二つ以上存在する時、エナンチオマーだけでなくジアステレオマーが生じる」のだが、文字情報だけでこの意味を上手く伝えられる人間はいないのではなかろうか。モデル化合物の構造式を示してすらなお、三次元的な解釈が難しくて理解できない人が一定数現れるはずだ。また、同じ有機化学ではさらに、ベンゼン環、カルボニル基、ピリミジン骨格など、構造の名称を知っていることが前提のコミュニケーションを強いられ、CとHとOがどう繋がったら何という名前になるか、最低限覚えるべきことが多すぎる。それに加えて、受験科目の化学には無機化学やら気体の状態方程式やら酸化還元反応やらまであるのだから、ちょっとやり過ぎ感すら漂う。

 所謂進学校に通っていたこともあって、僕は高校三年の頭くらいまでに、大学受験に必要な範囲の化学の知識を詰め込まれており、夏休み以降にそれを緩やかに逃がしながら受験本番を迎えた。吸い口を結んだ風船が日に日に萎んでいくような場面を想像していただければよいが、どれだけ気が抜けていったとしても、少しは中身が残りそうなものだと、上手く伝わってくれるのではないだろうか。僕は、そのわずかな残圧を利用して、当時のセンター試験、そして国立大学の入学試験を切り抜けることに成功した(実のところ、僕の時代は、国立大学の受験においてセンター試験の理科は一科目で事足りたので、化学は使っていない)。入試で化学から完全に逃げ切ったつもりでいたので、大学に入ってからの基礎教養の課程で必修科目だったのは本当に参った。しかも、熱力学という地獄みたいなやつまでおまけについてきた。エントロピーとかエンタルピーとか、本気で言ってんのか、というくらい意味がわからなかった。僕は生物が好きで(生き物が好きなのではなく、生物という科目が好きなのだ)、大学でもそれに関係することがやりたいのに、何でこんなことになっているのか本当に疑問だった。三年生になって、遺伝子とかを扱うごりごりの分子生物学の研究室に配属されてようやく、僕は化学の呪縛から解放された。

 勿論、完全に解き放たれることはなかった。生物分野の研究においても、試薬の調製に際してモル濃度の計算がしょっちゅう出て来たし、緩衝液をつくるなどという化学の実習みたいなことも平気で出てきた。化学の基礎知識があれば、最初からやらずに済んだ無駄な検討に時間を食われたことも多々ある(ノーベル賞級の発見が、えてしてそういう学生の失敗から生まれたというエピソードを時折聞くが、大抵は僕みたいに完全に時間の無駄で終わっているものである)。これは僕の持論なのだが、生物学は科学というより物語に近い部分があって、それなりの整合性とパッションさえあれば自分の主張を通せるようなところがある。理論に裏付けられたガチガチのサイエンスである化学から目を背けたまま、僕は自分だけの物語の世界に耽溺して行った。


 何の因果か、分子生物学を専攻して博士課程を終えた後、僕は、有機化学や薬学の知識を必要とする分野の研究職に就くことになった。

 流石に頭を抱えた。こんなミスマッチが許されるのかと悩んだが、ニートになる以外の選択肢がそれしか残されていない以上、僕は化学の世界で生きていくしかなくなった。

 職場での研修にすらついていけないレベルで溺れかけていた新人の僕は、とりあえず即効性の高そうな参考書を幾つか購入して、手当たり次第読み始めた。即効性の高そうな、というのは、化学の基礎をすっ飛ばしてとりあえず職場で使うガスクロマトグラフ質量分析装置や液体クロマトグラフタンデム質量分析装置の原理や使い方だけでも何とかしようとする試みであり、習うより慣れろで手を動かし続けたことも手伝って、ぎりぎり何とか形になった。

 分析装置を使えれば、形式的な仕事はどうにかなる。落ち着いた頃に本腰を入れ、『困った時の有機化学』みたいなタイトルの基礎的な本で自主的な座学を始めた。専用のノートを作って、練習問題も真面目に解いた。僕はこの時、長年軋轢のあった化学との和解を達成しつつあった。

 2011年3月11日、僕は化学の勉強を辞めた。

 この日、職場の自席でノートに舟型の有機化合物の構造を書いている時、大きな揺れが来た。僕のいた地方でも震度5強を記録したその揺れにより、職場の実験用ガス配管の安全弁が閉じて供給は緊急停止した。建物には被害はなく、停電もしなかったが、電車が止まって帰れなくなる人が出た。僕は道に迷いながら、3時間かけて歩いて帰った。

 翌週から普通に出勤したが、計画停電の話が出てきたことや、ガス配管が復旧しなかったこともあり、分析装置を全て落とすことになり、実験は完全にストップした。今こそ座学の出番だったが、僕は参考書を開くことも出来ず、日がな一日、ニュースサイトを巡って東北地方の状況を追い続けた。動画配信サイトに上がっていた津波の映像を眺めては溜息をつき、それだけでいつの間にか業務時間が終わっていた。僕は自らの業務を放棄した罪滅ぼしに、ニコニコ動画を通じて一日あたり一万円の寄附を行って自分の精神を保った。

 送別会のたぐいが全部吹き飛んだまま年度が変わって、輪番停電の噂などありつつも、それなりの日常を取り戻した。僕は、化学の参考書を開く気になれないまま、目の前の仕事をやっつけることだけに時間を費やした。


 しばらくして、自分の分子生物学の知識を活かして独自の研究を立ち上げることになり、僕は化学の世界で生物を武器に戦うという特殊な立場を手に入れた。

 後はもう、化学からひたすら逃げ回るだけで事足りた。


 かくして、僕の化学の知識は、あの震災の時に止まったままだ。こう言うと、何だかエモい感じがしなくもないが、実のところ、仕事をしない理由を本気で探していた怠惰な人間が、ぬるぬると低い方に流されてきただけだ。

 何を始めるにも遅すぎることはない、という名言もある。化学の勉強の再開を明日の自分に託しながら、僕は今日を終える。たぶん明日も同じように終えるが、いつかまた和解の日は来る。そう信じている。

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