だから僕は第二子を望むのを辞めた
何の話なのか、タイトルからすぐわかるようにするため、本章の仮題は当初「だから僕は二人目の子作りを辞めた」だったが、あまりにも生々しかったので、公開する前に変更した。勿論、カクヨムのガイドラインに違反するような過度に性的な話は出てこないし、実のところ「不妊治療」みたいな話題も一切出てこない。話は少し、意外な展開を辿る。
どんな読者層を想定したらよいかわからないので、「世間が恋愛に興味のある人間ばかりである」というゼクシィみたいな価値観で語り始めるが、付き合う相手とは、「結婚したら子供は何人欲しいか」という点について、よく話しておいた方が良い。勿論、付き合う目的が完全に体目当てであって結婚など全く考えていない、というような場合、そんな会話の優先度は著しく下がるが、雑談のついでに聞いておいて損はないだろう。何しろ、この質問は、当人の人間性や価値観が如実に出る。大きく意見の異なる者同士は、そういう根っこの部分にズレがあるもの同士ということになり、必然、うまくいかない可能性が高い。
そもそも異性と付き合うことに何の意味も見出せないなどとうそぶく、性格の破綻していた昔の僕のような人間は、当然、「子供なんて一人もいらない」と考えがちである。「何より、ガキなんてうるさいだけで、嫌いだね。自分と半分遺伝子が同じ子供だなんてさらに虫唾が走る」みたいなおまけもつく。これはもう、絶望的である。幸せいっぱいのゼクシィ・ワールドの住人にふさわしくないのでご退場願おう。
一方で、妻となる女性と付き合い始め、後に結婚してだいぶ丸くなった僕は、こう考えていた。
「0人か、でなければ最低2人だ」
どういうことかと言えば、子供は(苦手なので)必ずしも欲しいと思わないが、もし作るというのであれば、1人だけだと次世代の人口減少に加担してしまうことになるわけだから、最低2人、できれば3人作りたい、という考えである。男の子か女の子か、など、そういう話はどうでも良い。1組のつがいが1個体しか産まなければ、生物の個体数は確実に減少する。次世代に命をつなぐと選択したのであれば、最低限、個体数を維持するために2個体産み出すべきだという、生物学を修めた理系研究者か、そのふりがしたいだけの単なるバカか、いずれかに特有の深そうな考えなのであった(実際、人口を維持するために必要な合計特殊出生率は2.06くらいだったはずである)。
僕の妻も、この考えに概ね同意していた。概ねというのは、妻の方が「子供なんていないならいないで別に構わない」という「子供がそんなに欲しくない側」の意見を有していたからであって、「①積極的子供待望論者」「②消極的子供待望論者」「③消極的子供不要論者」「④積極的子供不要論者」の四パターンに大別するなら、僕は②と③の間(±0)くらい、妻は③、といった感じになるだろう。なお、②は「子供がいるに越したことはないが、大変な不妊治療をしてまでは欲しくない」くらいの感覚を想定している。
「結婚して2年くらいは二人で過ごしたい」みたいな漠然とした理由で最初の2年、二人暮らし生活を送ったのち、消極的な子供待望論に従って避妊を辞めたら、幸運なことに労せず妻が妊娠した。戸惑いの中の十月十日があって、無事に元気な娘が産まれた。「子供嫌いの人間であっても、自分の子供が産まれると変わる。本当にかわいい」という陳腐な言説があって、僕は一切信じていなかったのだが、娘は本当にかわいかった。僕の物語が終わって、次世代の物語が動き出したように感じた。件の個体数維持計画も始動する……かに思われた。
娘が産まれて1年2か月経ち、第二子を考える家庭が、長子との学年の差を考えて色々と計算し始める頃合いの出来事である。妻に乳癌が見つかった。胸のしこりがまさか悪性腫瘍だとは思わず、一人で検査結果の告知を受けに行って帰ってきた妻が、買い物袋を片手に、笑いながらそれを告げた姿を、僕は今でも時折思い出す。ベビーサークルの中で娘と戯れながら、「え、○○(妻の名)、死ぬの?」と僕も笑いながら、常軌を逸した問いかけを返していた。人間、衝撃を受け流すためには笑うしかないものである。一か月後、妻は右胸を全摘出し、手術中に癌細胞一つの転移が見つかったことから腋窩リンパ節も切除した。抗癌剤治療が開始され、全身の体毛が全て抜け落ち、放射線治療のため定期的な通院もした。その一年のことはいくらでも語れるが、大切なことはたった一つだ。妻は無事に生き残って、ガンサバイバーとなった。転移や再発がないまま五年経過し、もう、一般人と同じくらいの発癌リスクしかないと考えられている。仕事を辞めて、大手を振って念願だった専業主婦になり、毎日楽しそうに暮らしている。たぶん、一番幸運な世界線を掴んだ。
妻は、闘病を経て、「④積極的子供(第二子)不要論者」に転じた。自分が若くして死ぬかもしれないのに子供を作るなんて、残される子供がかわいそうだというのである。むしろ僕なんかは、「死ぬかもしれないからこそ、生きている内に二人目を作るべきだ」と考えてしまうし、一連の癌治療で生殖能力を失ってしまう人もいる中、妻は大丈夫だったという僥倖に恵まれているのだから、端的に言って「勿体ない」と感じてしまうのだが、こればかりはもう、当人がどう考えるかという問題で、僕が口出しできる領分を越えている。それに、「せっかく娘が小学校に入って手がかからなくなってきたのに、あの大変だった子育てを0歳からもう一度やるなんて考えられない」「そもそも我々は人の親にそんなに向いていない」「もう、かわいい娘が一人いるのだから、それで十分じゃないか。何が不満なんだ」などと言い募られると、確かに僕の破綻した人間性からすると、娘一人をまともに育て上げるので手いっぱいなのでないかという気にもなってくる。当の娘もきょうだいを欲しがっているが、これは、幼い子供がペットを欲しがるのと同じ感覚なので、僕の援護射撃としてはあまりに脆弱だった。家族計画は、多数決では決まらない。
何より、妻は右胸と一緒に、「生んで増やすため」に必要な人間の欲求の一つを削ぎ落とされて帰ってきている。「やればできる」は魔法の合言葉であるが、裏を返せば「やらなければできない」のであって、コウノトリが本当に運んで来ない限り、僕と妻の間に第二子が誕生する可能性は万に一つもない。
かくして、僕の次世代の個体数維持計画は失敗に終わった(もう、過去形にしてしまっている)。僕に連なる者の個体数の増加については、次の世代に期待する、というような言葉で結ぼうかとも思ったが、娘にだって当然、子供を産まないという選択肢があるし、僕自身、「子供の数はゼロでも良い」と考えていた人間なので、実際のところ深いこだわりはない。ただ、僕というヤバい奴とその僕を配偶者に選んださらにヤバい妻を親に持つ、「親ガチャ」に外れた疑惑のある一人娘を、何とかまともな人間に育て上げたいと、今はそれだけを考えている。
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