だから僕はネット麻雀を辞めた
執筆時点で最も直近に辞めたものに関してだから、少し長くなる。
麻雀と最初に出会ったのは、大学時代のことだったと思う。別の大学に進学した高校時代の友人が、「最近は徹夜で麻雀ばかりやっている」と言っていたのを聞いて、どれほど面白いのだろうと思って、ルールと大体の役を覚え、PCでフリーソフト(対人でなくPCと対局するタイプのもの)をダウンロードし、何局か打ってみた。
その時の感想は、「これ、運の要素が強すぎないか?」だった。例えば安全牌の探し方にしても、スジ理論(リーチ者が四を捨てていた場合、二三や五六のリャンメン待ちの形で当たり牌を待っていることはないので、一と七は比較的安全という考え方)に従っても、シャンポン待ち(一一、七七)、カンチャン待ち(六八)、ペンチャン待ち(八九)、タンキ待ち(一、七)の形で持たれていたら普通に放銃するし、何も考えていなくても、最初から相手の当たり牌を持っていなければ、どれだけ危険そうな牌を切っても放銃しない。さらに、配牌時点で手牌に四面子一雀頭が揃っていたら、天和・地和という役満になるので、「理」の要素は置いておいて、運の良い奴がとにかく勝てるゲームであることに間違いはない。
結局、自分の周囲に麻雀をやる人間が現れなかったことや、僕自身が「そうだ、雀荘に行こう」などとまかり間違っても考えないタイプの人間だったこともあり、当時はあっという間に麻雀熱も冷めて、そのまま存在を意識することはなくなった。
その僕が一時期ネット麻雀の沼に嵌ることになったのは、ひとえにバーチャルユーチューバーの存在が大きい。世間でバーチャルユーチューバーが少し話題になり始めたころ、とりあえずサブカル的に流行しているものについて知識を得ようと考えた僕は、2019年「バーチャルさんがみている」という、当時有名だったバーチャルユーチューバーがそのまま出てくる謎のアニメを視聴することに決めた。本作は、今でも語り草になっているほどの黒歴史として知られ、僕個人としても「出来の悪いウゴウゴルーガみたいだな」という感想を抱くに過ぎなかったものの、キャストの一人であった月ノ美兎の人間性の面白さに興味を惹かれ、実際にYOUTUBEで配信を見てみることにした。すると、彼女がにじさんじという団体(?)に所属していることがわかり、徐々にその団体内の他のライバーについても詳しくなり、暇つぶしにその誰かの配信をYOUTUBEで見るようになった。そうする内に、YOUTUBEは興味がありそうな関連動画を上位にあげてくるようになるのだが、ある時、何の因果か、麻雀に関する動画がサジェストされてくるようになった。おそらく、当時、にじさんじネットワークに所属していた天開司が麻雀配信も多く行っていたからだと思う。その辺りから、「バーチャルユーチューバーで麻雀やっている人もいるんだな」と認識するようになり、時折、配信も見るようになった。
僕にとって大きな転機となったのは、2020年6月、「誰も教えてくれない麻雀Vtuberの本当の実力」という、界隈で話題になった動画がYOUTUBEに投稿されたことだ。当該動画でランキング1位になっていた千羽黒乃の麻雀配信を試しに覗いてみた僕は、そのクオリティに衝撃を受けた。自身の手牌、他家の捨て牌、点数状況などから的確に判断された打牌の意図を、ネット麻雀特有の制限時間に押されながら、時折雑談もはさみつつ、初心者にもわかりやすく喋り続けていたのである。実際のところ、「まだ巡目も早いし打点も欲しいから索子の伸びとウーピンのくっつきに期待してペンチャンを払っていくことにするのじゃ」と言われても、当時の僕には何を言っているのかよくわからなかったが、内容の詳細がわからなくても、そのスキルが尋常でないことはすぐに伝わった。さらに、これが一番印象的だったのだが、リーチで自分と誰かのめくり合いとなり、自らが相手の待ち牌を掴んで放銃してしまった時(たとえ、こちらがリャンメン待ち、相手が地獄タンキ待ちという確率上の有利をひっくり返された理不尽な状況であっても)、千羽黒乃は迷わず「お見事なあがりなのじゃ」と相手を褒めるのである。常人だったら悔しさのあまり暴言の一つでも吐いているところである。そのメンタリティに惹かれ、当人が「師匠」という愛称で知られていることもあり、僕も勝手に数多くいる弟子達の一人になった。私淑というやつである。
千羽師匠の麻雀解説の配信を見るだけにとどまらず、牌効率などの麻雀上達のための勉強動画なども見るようになると、「さすがに、自分で打たないのは意味が分からない」と思うようになり、一念発起して2020年の12月に雀魂というアプリをインストールし、オンライン対戦を始めた。
ネット麻雀では、段位やレーティングをあげていって、どんどんレベルの高い相手と戦えるようになっていく段位戦というシステムがあるのだが、「ラス回避」が大事という、リアル麻雀と異なる特徴がある。麻雀は四人で打つゲームであり、当然、一位が一番偉い。リアルでは、順位点に加えて、一位になった者にトップ賞(のようなもの)がつくため、三位から二位になるより二位から一位になる方がさらに価値が高く、「トップ取り麻雀」と呼ばれる。一方、ネット麻雀では、一位が一番偉いのは確かなのだが、四位になったものだけが罰ゲームみたいな量の段位ポイントの減点を食らわされるという仕様になっており、「ラス(ラスト、四着の意味)にさえならなければ、三位でも勝ちと思った方が良い」と表現されるシステムが採用されている。これは、オンラインゲームで「トップ取り麻雀」のシステムにすると、試合の途中で一位が断トツの展開になった場合、他の皆が諦めて回線切断など試合放棄してしまう危険性があるため、より最後まで気を抜かずにプレイせざるを得ない状況にしているのだと考えられる。この「ラス回避」が、結構メンタルを削ってくる。何しろ、一着2回分くらいの加点が、1回のラスでごっそり失われるのである。僕がやっていたMMORPGのFF11でも、デスペナルティと言って、1回の戦死で、貯めるのに2時間くらいかかる分の経験値を失う非道なシステムがあったが、リスクが違いすぎる。麻雀は4人に1人必ずラスになるのだから、単純に言って4回、どんなにうまい人でも大体6回に1回くらいはラスになる換算なのだ。僕は、東風戦という、最短で4局で終わる、1戦が15分から30分くらいで済む形式でのみ打っていたのだが、コツコツと3時間かけて貯めた段位ポイントが次の15分で泡と消え、取り返そうと熱くなって続行した次の1時間で、1週間かけて貯めた分まで失って取り返しがつかなくなる、みたいなことが平気で起こる(さらに、そのポイントを何とか3週間かけて取り戻し、6連続でラスをひいて一瞬で元に戻る、みたいな地獄を繰り返す)。丁寧に丁寧に打ちまわし、低打点のあがりと形式聴牌を駆使して微差のトップ目の状態で東4局を迎え、3巡目にダマテンの親のチートイドラドラに放銃して9600点支払ってラスになって試合が終わりポイントが消し飛ぶ、みたいな不条理にも見舞われる。
東風戦は試合自体が短いため、どうしても競技者の実力で覆せない局面ばかりが訪れ「運負けする」リスクも高いとされ、ネット麻雀では、より局数の多い(最低8局)半荘戦が人気である。ただ、僕には半荘戦こそ耐えられない。1戦30分から1時間かかるのに、「最後の最後、ギリギリまで勝っていたのに、たった一つの判断ミスやたった一つの不運で敗北する」という事態が起こり得るのである。一撃のダメージが大きすぎる。段位ポイントの増減も東風戦の二倍だし、そんな状況、許しがたい。
運の良さだけで自分より上手い人間に勝てる可能性があることは麻雀の魅力であり、完全に実力が反映される将棋を挫折した僕には朗報かと思っていたが、やってみると、到底そんな風には思えなかった。大体の場合、「勝ったのは実力のおかげ、負けたのは運のせい」と思い込み、自身の運の悪さを嘆くか、怒って当たり散らすことしかできないのである。
一日に何度も何度も、およそ4から5戦に1回という頻度でラスになり、千羽師匠の教えも虚しく、「お見事な対戦相手だった」などと達観できなかった僕は、「ネット麻雀をやっている人は、どうやってこの悔しさ、苛立ち、腹立たしさに立ち向かっているのだろう」と不思議に思った。正直、自分の血液がかかっていたり、大金がかかっていたりするわけでないのだから、もっと気楽に打てそうなものだが、ネット麻雀に負けた時の悔しさは本当に筆舌に尽くしがたい。できるだけ負けないように座学に取り組んだりもしたが、「麻雀で負けた時の悔しさは麻雀でしか取り戻せない」ので、すぐに実戦を打ちたくなるものなのである。そして負ける。
結局、「この辛さには誰も耐えられない」のではないかという結論に至った。どういうことかと言えば、「鬼打ち勢」という、何千試合と麻雀をやりこむ人たちがおり、僕はそれを「麻雀が上手い人たちが脇目も振らずに研鑽を重ねているのだ」と他人事のように捉えていたのだが、雀魂を始めて1年以上経過した頃、僕は(下手なのに)他人から「鬼打ち勢」と思われる存在になっており、いつの間にか、「玉の間」という上から二番目のレート帯の「東風戦」試合数ランキングで一位になっていた。数百万人のプレイヤーの中の一位である。いずれ追い抜かれるのであろうが、僕は雀魂というアプリの東風戦で、日本で一番多くのラスをひいた人間であったのだ。単純な話、さして強くもないのに、一日に何度もラスをひく苦痛に耐えながら、ネット麻雀を何十試合も(最高記録は一日で12.7時間、48試合)打ちこむ僕みたいな人間は、そうそう現れないというわけだ。大概の人間は、負けたらネット麻雀を離れ、気分転換に別のことをやる。おそらく、そうやってメンタルと麻雀の勝率を保つのである。
ネット麻雀を辞めた理由は、家族からストップがかかったというのが一番大きい。僕は感情を表に出しやすい。スマホを常に眺めながら、負けるたびに露骨に不機嫌になり、舌打ちやため息、小声での罵声を繰り返す人間がそばにいて気分が良いはずがない。妻から「黙ってできないなら今すぐにやめろ」と何度言われたかわからない。二つ目の理由としては、麻雀に勝つための技術を学べば学ぶほど、自身の限界が見えてきてしまった、という点だ。さすがに長らく打っているうちに、ある程度上達したのだが、将棋の時にも感じた、「文章化できない物事への記憶能力の低さ」がネックになってきて、鳴き読みの精度を高めるために手出し自摸切りを覚えたり、面前清一色の多面待ちの形をすぐに把握したりすることが僕にはどうしてもできなかった。それに、「万が一ここで放銃したら二着からラスに転落する。一着をとるためという理由で無理をする局面ではない」とわかっているのに危険牌を押して放銃してラスになり発狂する、ということを何度でも繰り返した。どれだけ痛い目を見ても学習しないので、多分、向いていないのだと思う。三つ目の理由が、まあ、とある妙なメールを受け取ってしまい、それの対処を考えるうちに、人生を見つめ直す、ではないが、「麻雀をやっている場合だろうか」と考えてしまい、「雀魂の段位戦で東風戦を合計10000試合打ったら、キリも良いし、打つペースを落とそう」という結論に至ったためだ。ところが、9800試合目くらいから、びっくりするくらい勝てない「地獄モード」と呼ばれる時期に入って、体感2回に1回ラスを引くくらいの感じになり、何をしてもうまくいかず、1ヶ月以上定着して喜んでいた自己ベストの段位から一週間足らずで降段し、「別に僕は全然うまくなっていなかったのだ」と思い知らされ、ちょうど10000戦目の記念すべき試合すら、何の見所もなく当たり前みたいに四着に終わった時、憑き物が落ちたように完全にネット麻雀から足を洗うことに決めた。その日のうちに、カクヨムのIDを作って過去の自作の小説の投稿を始めた(このあたりの顛末は、『今迫直弥を名乗る人物からのメールについて』参照)。
麻雀は人生に似ている、とよく言われる。配牌の時点で優劣があるが、自分はその配牌で勝負するしかない。配牌が悪くても、自摸が良ければ上手くいくことがあるし、その逆もある。とんでもないミスをしても結果的にうまくいくこともあるし、最善の手順を踏んでも酷い目にあうこともある。……ただでさえ、現実の人生をうまくやるのに音を上げている僕には、そんな深みのあるゲームに対処しているゆとりなどなかったのである。
ただ、麻雀は自分で打つのをやめても楽しめる。それは、将棋と同じである。そもそも「見る雀」だった人間が、一時期打っていて、また「見る雀」に戻っただけの話だ。2020-21シーズンの中盤からMリーグを欠かさず見ているし、「神域リーグ」も全試合見た。千羽師匠は今でも僕の心の師である。自分でない人間の成功を目の当たりにしても、妬み嫉み怒りを覚えるより前に「お見事なのじゃ」と真っ先に言えるようになりたい。麻雀に似ているという噂の、「人生」とやらの方はまだ辞めていないので、そちらで役立てたいと、心の底から思っている。
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